【言葉遣い】タメ口が親しい証拠ではない:「うわ、最悪だ!」→「いや、最悪ではない」という自答

【言葉遣い】タメ口が親しい証拠ではない:「うわ、最悪だ!」→「いや、最悪ではない」という自答

身に沁みてしまったことは誰しもがあるのではないだろうか。
言葉遣いの場合、「口に染みついてしまった」とでも言うのだろうか。


それほど寒くもないのに、外に出て「寒っ」と一言。

ゲームをしていて、自分が痛くもないのに、自分の扱うキャラがダメージをくらうと、「痛っ」。

何がやばいのかわからないのに、「やばい」。
「やばい」と、とっさに出る人がやばいのではないだろうか。と思った矢先、ふと自分の口が「やばい」と発していることもある。



キッチンで料理をしていて、お湯を床に撒いてしまったとき、「うわ、最悪だー」。


でも、最近僕は、条件反射的に口から発される言葉を自分で正すようになった。
だって、キッチンの床に水をこぼしてしまうことが、最悪であるはずがないのだから。

無意識の言動は習慣化されたものであるから、人となりが出てしまう


直そうと思っていることなのだが、
ぼくはなぜだか、話を切り出すときに「でも、」から始めてしまいがちである。
この「でも、」は、相手の人の意見を否定したりするために使う意味ではない。
ただ、話を始めようとするときに、「でも、」を付けてしまうのだ。

だから、話し相手には気にされない。
でも、この「でも、」を個人的に直したいと思ってやまない。
「そういえば、」や「○○についてなんですけど、」と代わりとなる言葉のバリエーションを増やしている日々を送っている。



あ、すみません。
あ、こんにちは。
あ、だいじょうぶです。
あ、
あ、

とっさに出る「あ、」も当然あるが、きちんと心構えをしているのにもかかわらず「あ、」と演じてしまう。

ぼくは文章だとテンパりが伝わらないが、人前で話を振られるのが得意ではない。
3人くらいのグループでは問題ないのだが、なぜか4人ほどを超えると、必要以上に「注目」されているように感じてしまう。
「えーと」と連発してみたり、少人数のときの会話のように起承転結や話をうまくつなげたりすることができなくなりがちだ。
これは気の持ちようと、場数を踏むしかないことだろう。


「ありがとうございます」への返答は「どういたしまして」ではないのか

ありがとうございます
と言われることは、意外と多い。

「ありがとうございます。」に意識を向けると、必然的に頻出度の高さに気づく。

いろいろなニュアンスの「ありがとうございます。」があるので毎回ではないのだが、できるだけ「どういたしまして」と応えるようにしている。


建物の扉を抜ける際に後ろに人がいたり、前から人が出てくるときは、扉を押さえる。
そうすると、「ありがとうございます。」や「すみません。」と言われることがある。
『日本語的には、「すみません」も正しいのだなぁ。。。』と思いながら、「どういたしまして。」と応える。


「ありがとうございました。」
と言われたら、「どういたしまして」だろう。

でも、「どういたしまして」と返すと、キョトン顔をされることが多い。
「どういたしまして」にどう返せば良いかわからないからだろう。



「ありがとう」→終わり
ではなく、
「ありがとう」→「どういたしまして」→終わり
と返しても間違いではないと思うのだ。


だから、どうというわけではない。
ただ、そうに思っただけだ。

「すみません」と「ありがとう」

瞬時に、「ありがとうございます」と出る人と、出ない人。
この違いは意外とすぐにわかる。

「ありがとう」を伝えることは大切だと言うが、感謝の気持ちを抱いたら「ありがとう」というのは当たり前のこと。
でも、とっさに喉元に「ありがとう」を飼っているひとは意外と少ないだろう。
ぼくもその大多数側なので、最近は意識的に喉元に「ありがとう」を宿している。


日本人は、外国に行くと「thanks」や「gracias」、「merci」「シェイシェイ」などの言葉を気軽に発する。
その言葉がファーストチョイスになっている。
言語に自信がないからこそ、人当たりを良くするために、それらの感謝の言葉を喉元に飼うのだろう。
しかし、なぜだろう。
日本語では「すみません。」があるから、日本の人はありがとうよりも「すみません」をよく言う気がする。
たしかに、相手に不憫をかけることがあるので「すみません」でも正しいと思うが、その相手の親切心に対して「ありがとうございます。」で代用してもいいのではないかと思う。

最悪なことなんてない

「うわ、最悪」と、
何か予期せぬ嫌なことが起こると、口が悪く、そうに言ってしまう。

でも、最悪な訳なんてないのだ。
水をこぼしても、朝少し寝坊気味になっても、角に小指をぶつけても、最悪なんてことはないのだ。

最も悪いことがそんな頻繁に起こるはずがないのだ。
だから、口悪く「最悪だ~」と口が滑ってから、数秒後に「いや、最悪ではない!!」となぜか自分で口に出して訂正している。


そのたびに、不思議と笑えてくる。
最悪なことが頻繁に起こるわけなんてないのだから!!!笑
それに、「最も悪いことが何度も起こってたまるか!!」と冷静に思えて、今日も良い一日だと思うのである。

日頃から、言動を整える

『親しき仲にも礼儀あり』

親しい仲でも礼儀を重んじ、言葉遣いやたたずまいに気を払えば、それは内面的な魅力のアップにつながると思う。

礼節を重んじれば、それは習慣となり、とっさの言動に表れると思う。
だから、同じ文化圏においては、何度か会って話せば、どういう感じの人なのかというのは察することができてしまう。


たとえば、言葉ではなく、単語で会話をするひと。

ファミレスで「水!!」と、若い男性。
「水がどうしたの?」と思う。水に虫が飛び込もうとしたのだろう。


一方で、スーパーで子どもが「アメ!!」と指さして要求しているのを、親が「アメがあるね~」と返す。
子どもは「アメが欲しいから、買って!」と言うと、そこで初めて親がそれに対して反応する。



察してあげることは簡単で、言葉足らずな部分をくみ取ってあげることも時には必要。
でも、文章はきちんと完結させるように努力するべきだろう。


親しいからといって、タメ口になるのはなぜ??

昔から気になることなのだが、
親しくなるとタメ口で話すことが当然だと思っているひとがいる。

タメ口で話せる仲こそが、親しい仲であるようだ。
だから、年齢や上下関係などがあっても、それを飛び越えてタメ口を使う。



親しくなるためにタメ口を使うってどういうことなの?

タメ口使わなくても、親しくできるけど。。。。。。


タメ口が悪いわけではない。
でも、後輩に対して丁寧に話したり、同い年でも敬語で話してもいいのではないだろうか。

なんでもかんでも、「仲良くなったから、じゃぁタメ口で」となる理由がわからない。


タメ口であろうと、敬語であろうと、親しい仲にはなれるし、親しい関係を維持することはできる。


人間関係はひとそれぞれで、赤の他人が口を出すことではないことはたしかだ。
それでも、敬語や丁寧な日本語のなかでも十分に親しさを伝えることはできると思う。

今年は、マナーや言葉遣いについて、引き続き勉強していく。
ただ、日本語の敬語は、丁寧語まではわかるが、謙譲語や尊敬語は言い回しに親しみがなさすぎて、咄嗟に出ん!

口に覚えさせるしかないのだろう。


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Chaito

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