綺麗な言葉遣い=自分磨き:「マジヤバイ」はマジヤバイから一緒にやめません?

外に出かける。

そうすると、いろいろな日本語に出会う。

「おお!!」と思う言葉遣いのひともいれば、「おお..」と思う言葉遣いのひともいる。

 

言葉づかいの悪さで育ちの悪さを連想してしまう。
ともすれば、
言葉づかいの良さで育ちの良さを連想する。

 

 

『言葉遣い』

 

それは、お金をかけずに自分を磨くことのできる、とても初歩的ゆえに盲目的な自己表現である。

 

相手の言葉遣いから、自分の言葉遣いを学ぶ

帰国直後に日本語が気になったときに書いた記事
日本語は心的距離間や立場によって変わるから、それを再学習しなくちゃ!!

 

 

 

「ひとの話をよく聴きなさい」

 

 

このフレーズ、子どものころよく耳にした。

相手の話をよく聴くこと。
大切である。

子どもというのは、集中力が散漫になる。
これは致し方ないことでもある。

大人になると、集中力が高まると同時に、意味がないものを省こうとする。
「意味がないモノはない」と、多くの人がポジティブシンキング風な逃げ道を用意しているのにもかかわらず、都合が合わないと、真っ先に意味がないものに白羽の矢が立つ。
「集中力を使い、エネルギーを消費してまで頑張る必要がない」ことが周りに増えるのだろう。

 

大人になんてなりたくない!!

などという言葉が聞こえてきそうだ。
大人のほうが自由が多いので、小中高という”箱”の存在をとても懐かしく思うことが年々増えてきた。
自分の心のなかに、どこか未練があり、やり残したことがあるのだろう

 

 

ぼくは集中力を高めるために、ほかのひとの言葉を注意を払って聴いていることがある。
集中力を鍛えるためというか、暇つぶしのためというか、、
ほかのひとの言葉遣いから学んで、自分の言葉遣いを良くしていきたいと思っている。
どれほど内容がない演説でも、言葉遣いを学ぶことはできる。
そこで思いがけない使い方をされている言葉に出会ったり、聞いたことのない単語に出会ったりする。
これがとてもおもしろい。

 

われわれはたくさんの情報をもとに、知らず知らずのうちにひとを判断している。
これは当然のことである。

1人歩く薄暗い夜道で、タバコを咥えた腰パンのやんちゃそうなお兄ちゃんがいたら、「うわ。大丈夫かな。通りたくないな~」と感じるのが普通だ。
情報を受け取り、自分が持っているイメージと照らし合わせ、瞬時に判断する。

 

「人は中身」とは言うものの、誰彼構わず「中身」を視ていたら疲れてしまうのだから、中身を視てもらうために外見を整えておくことはとても大切なことだ。

 

不慮のアクシデントにも落ち着いて対処できるひとは、勇敢で冷静なひと。
綺麗な文字を書くひとは、きれいなこころを持っているひと。
綺麗な所作を身に着けているひとは、目の届かない部分をきちんと磨くことができているひと。
綺麗な言葉遣いで話すひとは、それだけで教養の高さをにじませる。

 

 

そういうイメージを持っているのなら、それに近づきたいではないか

 

 

きれいな言葉遣いは、最良の『自分磨き』

 

女子力アップ。

モテるための趣味。

綺麗に見せるためのお化粧。

 

 

 

おもむきがない。

 

 

最近本当にそういう外面だけを取り繕って綺麗に見せようとしている、姉歯物件みたいなひと多い気がする。
そういう本が並んでいたり、テレビでそういう話を聞くから、そうに思ってしまっているのかもしれない。

 

いつ化けの皮が剥がれるのだろうか。
それらの「自分磨き」には積み重ねがない。

自分を磨く前に、自分のことをもっと整理したほうがいい。

女子力という言葉を僕は好きではないのだが、
スキンケア、無駄毛処理、料理、お菓子作り、愛されるように化けの皮を被る。

往々にして、素敵な女性ほど「女子力がどうとか」とは言わないし、そういう自分磨きの入り口に足を踏み入れたくらいの浅い部分で自己満足に浸っていない。

浅い、すぐに取り組むことができる部分ばかり気にして、女子力がアップした気になる。
だれでもできることは、だれでも取り組んでいるものだ。
足し算引き算の計算が自分の強みになることがあるだろうか?
算数は義務教育のなかのひとつの教科である。

 

 

ぼくが最近この女性はすごいな!!と感心したのは、
しゃぶしゃぶのお店でアルバイトしていた高校生か大学生のひと。

胸のネームプレートに書いてある名字がひとりだけ下の名前だったので、「どうしてほかの人はみんな名字なのに、あなたは下の名前なの?」と訊いたことから始まった。

彼女はきっと20歳以下だろうに、とてもきれいな言葉遣いで話していた。
店員さんとお客という関係もあり、より難しい丁寧な日本語を選択しながら話さなくてはいけないはずなのに、とてもたくさんのことを学べる言葉遣いだった。

 

あの若さで、あの落ち着きっぷりときれいな言葉遣い。
高圧的な印象を一切与えず、相手の言葉を引き出す何拍かの間の取り方。
帰国してから1カ月経つが、あの子はすごかった。

間の取り方はやっぱり難しい。
特に、間が空くのが嫌で沈黙が苦手なひとと話すと、疲れたりする。
落語のようなものだ。
間が違えば、それは間違いなのだ。

 

というわけで、ぼくはそのしゃぶしゃぶの女の子にとても好印象を抱いた。
たかが数回の言葉のやりとりだったが、それだけで「あのひとは良いひとだ」と判断するのには十分なわけだ!!

だから、自分を磨きたいのであれば、まずは言葉遣いを気にすることから始めると良いと思う。
もちろんぼくも綺麗な言葉遣いを学んでいる最中。
このブログでも、なるべくきれいな表現になるように心がけている。

記事を書くというのはとても面白いことで、文字でしか伝えることができない。
写真が貼られていれば、写真からの視覚的な情報の影響はとても大きい。
でも、この記事もそうだが、文字だけで僕は今あなたに伝えている。

だから、僕の場合、記事を書き続けることは、言葉遣いの練習にもなっている。
ありがたいことだ。

 

最近気になる”いろんな”日本語

自分で文字を書いていると、「ら抜き言葉」や「ん」が多いことに気づいたので、それを意識的に改善するようにしている。
そうに意識していると、みんなよく使っている。

 

いろんなこと ⇒ いろいろなこと
こんにちわ ⇒ こんにちは
やるんだろう ⇒ やるのだろう
うめぇ ⇒ おいしい

マジヤバイ ⇒ 本当に大変
超むかつく ⇒ とってもイライラする

最後の2つは異色だけどね。
でも、言葉遣いを意識することの面白さは、言葉遣いを意識することで、口から発する前に一呼吸置くことができること。
冷静に考えて、「本当に大変(マジヤバイ)」とか、「とってもイライラする(超むかつく)」とか言う必要ある?
言葉で発する意味、ある?

そうに思ったとしよう。思うことは悪いことではないからね。
そのように思ったことを、パパッと口に出す必要はあるだろうか?
ない。

考えてから言葉を使う癖は、言葉遣いを意識することから鍛えられる気がする。

 

おわりに

かしこまる必要はない。

ぼくはまだきれいな敬語を使うことができない。
自分のかしこまった表現に自信がないので、使いたくない。
日常生活において、普通に会話をして意思疎通できているのなら、それでいいのではないだろうか。
そこにすこし丁寧な言葉遣いを意識すればいい と思う。と自分に言い聞かせてみる。

でも、年齢に見合った言葉を使うべきだと思う。
30代、40代のひとが「マジヤバイ。超むかつく。」と言い放てば、周りはドン引きだろう。
理由は言わずもがな、である。

 

われわれは
言葉を通して、意思疎通を行い、
言葉を通して、相手のことを知る。

言葉が綺麗であれば、綺麗なひと。
言葉が綺麗でなければ、綺麗ではないひと という烙印を無意識のうちに押す。

「親しき中にも礼儀あり」という言葉がある。
この言葉は、つねに自分の内面を磨き続けることの大切さをうたっているのではないか、と最近思い始めた。
人と会えば、かならず自分をさらけ出すことになる。
だから、自分をきちんときれいに表現することは、友人や家族などの親しい間柄でも日々練習し、鍛えることができる。

 

そうに考えると、
昔の日本人が「奥ゆかし」かった理由というのは、外面ばかりでなく、内面を日々磨き続けていたからであるような気がする。

外面ばかりを気にするひとが多いからこそ、内面を磨けば輝くことができる。
これこそが、自分磨きの醍醐味だろう!!


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Chaito

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