間接キスはもちろん、異性とのバスタオルやベッドの貸し借りも当たり前:コロンビア人の感覚

間接キスはもちろん、異性とのバスタオルやベッドの貸し借りも当たり前:コロンビア人の感覚
 
 
 
他の国でもそうである可能性が高いが、コロンビア人と共有できるモノはめちゃくちゃ多い。
 
今回は、そんなコロンビア人の感覚について書いていきます。
 
 
パーソナルスペースが異常に狭いから、職場で仕事しているときに後ろからハグされることがときどきある。
ぼくがケータイで撮った写真を友達に見せようとすると、相手のほっぺの熱を感じるほど近くに顔を寄せてくる。
 
 
香水がよく売れ、身なりを清潔に保つことがコロンビアのマナーとなる理由がよく理解できる。
 
 
体を密着させる挨拶やダンスが当たり前の世界なので、当然といえば当然だ。
 
 
 
 
 
ペットボトルの共有化やビールボトルの試飲タイムは当たり前なので、間接キスは日常茶飯事である。
 
 
コロンビアではビールは、缶かボトルで飲む。コップを渡してくれることもあるけど、あまりコップは使わない。
ボトルビールは口の部分を紙ナプキンでよく拭き、サビの鉄の味を拭う。
そして、ボトル最上部の最初の部分のビールは、ピッと釣り竿を投げるように捨てる。この部分は、ボトルにビールを充填する際の保存用の窒素のせいで味が美味しくないからだそうだ。
 
エレガントなレストランではそんなことはしないが、そこらへんの売店やパーティのためにケース買いしたボトルでは、みんなピッと地面に最初の数滴のビールを捨てる。
 
 
 
ぼくはいろいろなビールの味を知りたいから、真新しいものがあればそれを頼んで飲むのだが、
すぐに、「それ味どうなの?」と聞かれて、飲まれる。
ちなみに、フライドポテトは当然の如く、数本は“奪われる”。
 
 
ビールはボトルで飲むので、間接キスも間接キスである。
 
 
 
 
 
間接キスを気にする年齢というのがあるかどうか知らないが、ぼくはあまり気にしない。飲む側でも飲まれる側でもだ。
 
 
コロンビア感覚で麻痺しているのかもしれないが、間接キスがどうのこうのと騒ぐのは高校生くらいまでな気がしなくもない。
 
 
日本にいると、「自分のものは自分のもの」というコンセプトがかなり強い気がする。
それでいて、年齢や社会的な立場など様々なパワーバランスによって、ジャイアン化して「俺のものは俺のもの。お前のものは俺のもの」のようになる。
 
でも、コロンビアだと「俺のものはお前のものでもあって、お前のものは俺のものでもある。」という感じだ。
 
 
文化や価値観の違いだろう。
 
 
 
 
 
自分の唇にどのくらいの価値を見積もっているかということでもあるのかもしれない。
挨拶でほっぺキスしたりする文化圏と、人生のパートナーとしかキスしない文化圏ではその価値が違うのも納得だ。
つまり、「キス」という単語が、挨拶を含む文化圏と、パートナー間の愛情表現しか意味をしない文化圏ではやはり「価値」が違うだろう。
 
 
 
 
というわけで、ぼくがコカコーラを飲んで、デスクの上に置いておくと、勝手に飲まれてたりする。
間接キスがどうこう以前に、『“許可なく”飲まれた』という事実にイラっとする。
 
 
 
 
まぁ、ボトルでの間接キスなんていうのは、サッカーやほかのスポーツをやっていても、部活での給水ボトルの共同利用で当然のことだし、あまり変わったことではない。
 
 
 
 
 
 

あなたは友だちとバスタオルの貸し借りができますか?

年始(1月1~7日)は海や川に行って、1年を明るく始める

コロンビア人は川や海が好きで、よく水遊びをする。そのとき必ずと言っていいほど、タオルを忘れる奴がいる。
 
ぼくはもう、前日からある程度準備しているし、バスタオルの優先順位は、お金、ケータイ、水着に次いで4番目の地位を確立しているから忘れることはない。
 
 
 
海の近くの暑い地域なら、すぐ乾くから問題ないのだが、ぼくの任地は夕方に水浸しのままだと風邪を引きそうなレベルでちょっぴり涼しいので、水遊びをしたあとはよくカラダを拭かなくてはいけない。
 
 
 
そういうときにタオルを忘れたらどうするか?
 
A. 他の人のタオルを借りる。
 
 
 
 
ぼくは、速乾性の小さくまとめることのできるバスタオルをコロンビアで買って持っているので、よく1人2人にパスされる。
 
ここに男女の区別はない。
 
 
男の人でも女の人からタオルを借りるし、女の人でも男の人から借りる。
使用後でも御構い無しだ。
 
 
 
日本のドラマで、泣いている女の人にハンカチを貸し、洗った後アイロンをかけた上で返してくれたりするシーンを見るが、そんなもの一切ない。
 
 
 
まだ、自分のタオルを自分が先に使った上で貸すのは問題ない。
でも、先に相手に貸して、湿って返って来たのを自分が使うことになることもよくある。
 
 
自分が頼んだパスタを、自分が先に味見する前に、友だちにぐちゃぐちゃにされてがっつり味見されるようなものだ。
結果は同じになるので気にしすぎても仕方ないのだが、なんとなく心にしこりができる。
 
※いまは、ほとんど何にも感じなくなってしまった。悲しいことに……
 
 
 
この前も、配属先で自然のプール(川の水を利用しているプール)に行ったとき、一緒に働いている女大学生とこうになった。
 
彼女は髪の毛が長い子だったので、バスタオルを貸した後、結構濡れて返ってきた。
そのあと、ぼくがその“彼女が使った”タオルを使った。
 
お昼ゴハンを食べた後、またプールに入ったので、また同じことが繰り返された。
 
 
彼女→ぼく→彼女→ぼく  だ。
 
ここでは彼女と呼んでるが、“彼女”ではない。sheもしくはellaの彼女である。
 
 
 
この行為、人によっては恋人同士や夫婦同士などの親しい仲でもタオルの貸し借りが嫌な人がいるだろう。
 
ぼくの周りのコロンビアでは、普通である。
 
 
 
 
彼女に
「タオル良い香りがしたよ!ありがとう」
とルンルン気味に返却され、さらに
「ああ、サレリー(もう1人の女学生)も持ってなかったから、貸したよ。ありがとうだって」
 
 
 
『ホントにタオルを共有することを気にしていないんだなー』と思った。
 
 
 
ちなみに
彼女は、ボジャカ県という山間の自然が豊かで涼しい地域出身の子。色白でとても落ち着いている常識人で、思慮深い綺麗な子である。その辺にいる大雑把でハッチャケている、ときに叩いてくるコロンビア人とはすこし違う。
そんな彼女でも気にしないのだから、コロンビア人自体気にしないのだろう。
ぼくは彼女のことを聖母だと見なしているから。
 
 
結局、正しくは
 
聖母→サレリー→ぼく—お昼ご飯—聖母→サレリー→ぼく
 
というタオルリレーが行われていたわけだ。「そりゃぁ、すごく濡れて却ってくるわけだわ」とその理由に納得した自分がいた。
 
 
 
 
タオルに香水を振っといて良かったと思ったときでもあった。
みなさんも、コロンビア人の友だちと水遊びするときは良い香りがするタオルを持っていくと良いだろう。
 
 
 
 
 
 

あなたは自分のベッドを友だちに貸せますか?

 
 
さてさて、コロンビアのぼくの周りでは、ベッドを他人に使われることにも抵抗がないようである。
 
かく言うぼくも、農家さんの家で農家さんのベッドを借りて昼寝させてもらったりするし、農家さんの家に泊まらせてもらうとき、子どものベッドを貸してもらう。
 
友だちの家でお酒を飲んで、泊まらせてもらうとき、そのとき実家に帰っていて空いている学生の部屋を貸してくれたりする。これも男女問わずである。
 
コロンビアには、大学生に部屋を一室貸すビジネスがあり、大学生は休暇のときに実家の家族の元へ引き上げるのでその部屋は2ヶ月近く誰も利用しなくなる。だから、そのとき、平気でベッドを貸す。もちろん、「今週末いないから、いいよー」というのもよくある。
 
 
ぼくは常に借りる側で、自分の部屋を貸したことはないが。
 
 
 
コロンビアにはベッドがある寝室自体に、「寝室には入らない」という暗黙のルールがない。
 
だから、コロンビア人と同棲すると、結構気軽な感じで自室に入られる。ものを盗むとかはないが、勝手に掃除をしてくれたり、勝手にベッドの位置を変えてくれたりする。
 
『他の人のものには触らない』という配慮は特にない。
だからノックした後、間髪入れずに部屋に侵入してくる。
正直未だにコレだけは慣れない。最近は部屋に必ずカギをするようにしてる。安全上の理由もあるが、「自分の部屋を自分だけの空間にするため」という動機が強い。
 
 
 
 
家族の引っ越し前の家に居たころ、
自室のカギを閉めたあとに間違えてカギを自室のなかに置いたまま、部屋の外に出てしまい、部屋に入れない一晩があった。
夜の10時以降だったので、合鍵を持っているお母さんを起こすのは気が引けた。
リビングのソファで寝ようとしてると、一緒の家の別部屋に住んでいた親戚の子がタイミングよく帰ってきて、「今夜はまた外出するから、私のベッド使っていいよ」と言ってくれた。
 
その週は嫌なことが立て続けに起こっていたので、本当に天使のように感じたのを覚えている。
不幸中の幸いと言えるほどの“救い”だった。
 
 
そんなこんなで、彼女はホントに少し部屋を片付けただけで、すぐにぼくにベッドを貸してくれた。
異性だろうと、なんの抵抗もないんだなと思った。「優しさ」と「気にしていないだけ」だろうけど。
 
 
 
きっとすべてのコロンビア人がベッドメイキングを本当に毎日綺麗にやる。家を出るときは必ず綺麗にして出て行く。
 
 
いまだに、彼らがどこを気にしていて、どこを気にしていないのか把握することができていないが、誰の部屋でもベッドは本当にピシッとしている。
自分の部屋のベッドの上が散らかっているだけに、結構尊敬してる。
 
 
キチンと整頓されているベッドの上にダイブしても、座っても怒られない。ベッドはソファみたいなもののようだ。だから、友だちや他人に使われても、特に不快感はないのだろう。
 
汗に嫌なイメージを持っていないのも大きいかもしれない。コロンビア人、汗かいててもほっぺキスの挨拶をする。拭ったりもしない。
 
 
 
 
 
あなたは自分のベッドをすぐに抵抗なく、人に貸せますか?
人のベッドで落ち着いて眠れますか?
人に部屋を貸すことができますか?
 
 
 
 

コロンビア人の”寝る場所”の配慮に対して、どこまで「郷に従う」べきか?

 
 
 
これは都市部の話で、
田舎の方では「知らない人と一緒に寝る」ことが僕の場合割とたくさんある。笑
 
知らないと言っても、友だちの兄弟や姉妹である。
ベッドの数が足りないけど、ハンモックもない。各ベッドに2人詰めても人が収まりきらない。
そんなとき、寝るときだけあまりよく知らない人と寝る。
 
 
「おやすみー」と言って一緒に寝るのではなく、先に寝ていて朝起きたら、隣に知らない人がいるパターンか
知らない人が寝ていて、自分が遅れてこっそりベッドの半分を借りるパターンである。
 
 
 
コレ、
なぜか僕が友だちの妹と寝たりすることになることがある。
そうに友だちが案内してくれているのに、僕から「女の子とは眠れないよ」と言うのはどこかかえって変なので、言われた通りにご厚意にあずかる。
 
でも、「なんで俺が妹と寝て、友だち(男)が弟と寝るんだ?」と不思議に思ったことがあったので、一度質問したことあった。
 
「妹のベッドのほうが綺麗で、大きいかだよ」という回答だった。
 
 
 
これを配慮と捉えるか、自分が邪な考えを持っているから疑問に感じているだけだと捉えるか迷うところなのだが、これが彼の家族なりの客人への配慮なのだから、ぼくはその郷に従うのが正しいのだろう。
 
 
 
この判断がなかなか難しい。
コロンビアの任地に着いて2週間ほどで、プロジェクト対象農村を知るために1泊2日泊まり込みで、2人の女性同僚(30代シングルマザー)、1人の女学生とぼくの4人で農家訪問をしたことが2、3度あった。
 
農村は観光の街では決してないので、完全に農家さんの家にお世話になる形になった。当然部屋の数やベッドの数も十分ではない。
そのとき彼女たちが何を元に割り振ったのか知らないが、ぼくとその女学生がひとつのシングルベッドで寝る割り当てに常になった。
同僚たちは体格がいいので、ベッドサイズとか諸々を性別を考慮せずに単純に割り振れば、そういう割り振りになるのかもしれない。
でも、ぼくが最初に「コロンビアのひとって肌を密着させることに何の不快感も持っていないんだな。これが普通なのかな?」と思ったときだった。
 
「ぼくは男だから、ひとつのベッドで寝る」これが普通だと思ってた。
一緒に寝たところで手を出すつもりはないけど、一緒に寝た女の子のほうがぼくと寝るのが不安でよく眠れなくなるのではないかと思った。
 
とても不思議だった。
まぁたしかに、「同じベッドで寝るからといって変に意識し過ぎるのは日本のテレビの影響なのかな」とも思った。
 
 
 
結局そのときは、彼女が夜トイレに行くのに付き合わされただけで、よく眠れた。
次の日の朝、同僚たちに真面目な感じでいつものよう「調子はどう?」と聞かれたので「すこし寒かったよ」と応えたら、「ハグしながら眠れば、寒くないのに」と笑い話なんだか、真面目なアドバイスだったのかわからないコロンビアジョークを飛ばされた。
ちなみに2回目以降は、背中合わせで背中をくっつけて眠ることになったのは当然の流れだった。
 
 
 
日本では友だちとダブルベッドで寝ることも、「なんか変」であるように感じるが、ぼくはもともと同性であれば気にしていなかった。
ではなぜ、「女友だちとは同じベッドで寝ないのか?」と問われれば、正直説得力のある理由は見つからない。
 
きっと「ベッドという聖域」と「男は狼だから、女性は自分自身の身は自分で守る」的な理由なのだろう。
では、
ベッドがソファーやこたつのような共有スペース的な認識で、女性も男性もすこし肌が触れるくらい気にしない文化圏だったらどうなるのだろうか。
 
全く気にしない。
 
 
 
コロンビアでのベッド事情なんて考えたことがある人は少ないだろう。
こんな感じだ。
 
 
 
 
 
 

おまけ  バスタオル姿でもお構いなし

友だちの家に行くと、友だちも大学生に部屋を貸しているので、ばったりアパートのなかで住民に出くわすときがある。
彼らは半裸でシャワーから出てくるし、彼女らもバスタオル一枚羽織っただけの状態で出てきて挨拶してくる。
 
コレ、年齢関係ない。
男の人は基本的に半裸で問題ない。家のなかでも、結構みんな上裸で過ごしてる。お腹が出てるのによく半裸でいられるなぁと思う。
女の人は、親戚のおばさんもバスタオル一枚だけで俺と長話をし始める。
日本の「妻がお見苦しいところをお見せして、すみません」などと言う気配は一切の一切全くない。恥ずかしさを感じてすらいないんだと思う。
若い子もそのまま近寄ってきて挨拶してくれる。
 
 
 
すごく不思議に思う。羞恥心がないのかな と疑問に感じる。肌の露出とかもそもそも気にしないから、根本的に違うのだろう。
冷静に考えれば、水着よりも肌は隠れているし、ワンピースとなんら変わりないわけでもある。
 
 
ではなんで日本では、女性がお風呂から上がった後のバスタオル姿を艶っぽく感じるのだろうか?
 
 
 
 
 
かくいうぼくもシャワー室から自室に戻る、ものの4メートルくらいの間は半裸でバタバタと、誰にも会わないように移動したりする。
 
 
 
いろいろ破廉恥なことを書いてしまっているかもしれない。
そんなぼくもコロンビア人化が始まってるのだ。
 
 
 
Chao
 


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Chaito

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