第19弾:青年海外協力隊員は、いつまで”井戸を掘り続ける”のか?昔の国際協力のイメージを今後のために描き返る流れが必要

青年海外協力隊(以下、協力隊)は、アフリカに井戸を掘るイメージがあるらしい。
そういうイメージを持たれているようだ。

いつまで、協力隊員は井戸を掘り続けなくてはいけないのだろうか?

井戸を掘る協力隊?そんなの聞いたことないぞ

なぜか世間では「協力隊=井戸を掘る」と思っている人が一定数いる。

その人たちに、「どうして協力隊は井戸を掘らなくちゃいけないんですか?」と訊きたくなることがある。
興味としてだ。

ぼくもなぜこれほど多くの人が、協力隊=井戸掘り名人と見なしているのかわからない。
というのも、ぼくは協力隊になりたいなと思ってから、協力隊を経て現在に至るまで、協力隊=井戸掘り名人というイメージに出会ったことがないからだ。

だから、その協力隊に対するイメージのルーツがどこにあるのか気になった。

「協力隊の活動=アフリカ」というイメージは既定路線

協力隊のイメージは、国際協力。
だから、多くの場合、その活動フィールドは(イメージのなかでは)赤い貧相な大地である。
途上国のイメージが、開拓が非常に遅れた地域というイメージだからだろう。
だから、途上国(と認識されている国)の首都の写真を見ると、そのイメージのハードルの低さから、「こんなに栄えているんだ!!」と驚く。

我々が知らないだけで、第三世界も毎日発展し続けているわけだ。むしろ、日本に暮らす我々よりも、それらの国々の発展速度は著しいので、驚きはより大きい。

また、実際、アフリカのみならず、中南米、東南アジア、南アジアなどに協力隊員は派遣されているわけだが、それでも協力隊のイメージはアフリカにある。ぼくもそうだった。
協力隊に憧れているひとが想像する2年間というのは、アフリカのような広大な大地である場合が多いのではないだろうか。

それほどまでに、私たちの脳裏には「アフリカは発展が遅れている」というイメージが、写真の風景とともに焼き付けられている。

貧困=アフリカ
飢餓=アフリカ
貧しさ=アフリカ

私たちのこれらのイメージのファーストチョイスは、多くの場合「アフリカ」だろう。
写真というのは、それほどまでにビジョンとして容易にイメージを植え付けてくる。

さすれば、
国際協力=アフリカ
という構図を利用せざるを得なくなる。

皆のイメージが「国際協力=赤い貧相な大地」であるのに、「ビルのなかでパソコンを用いて、プロジェクターで発表してる写真」に何かインパクトがあるだろうか??

国際協力の現場を知らないひとに対して、国際協力の活動を紹介するためには、やはり、脳裏に焼きつくような、皆のイメージに沿った写真を使う必要が出てくる。

だからこそ、国際協力の現場に居た人は、嘘偽りなく、「インスタ映え」を狙わず、たくさんある国際協力の“現場”をレポートする必要があると思う。
それが、協力隊員に課せられた「日本社会への還元」という三本柱の1つなのだろう。
そういう理由で、ぼくはまだまだこれらのテーマを扱っていく。

「途上国」と言えば、農業が主産業の不安定な収入

「途上国」という言葉だけを聞いて、スーツ姿でビル街を働く人を想像する人は少ない。
スーツは誰が着ていても問題ないのだが、どうやら「途上国」のイメージには沿わないようだ。

小中高の社会の授業の影響だろうか、私たちは途上国=農業国というイメージを持ち合わせている。
たしかに、農業国→工業国と経る発展モデルがある。

食べ物がなければ生きることができないのだから、食糧が充実してきたら、資金目的で生産性のある産業に移ることは当たり前の流れだろう。

天候に左右されずに、決まった量を生産することのできる工場というのはとても魅力的であることは間違いない。

だからこそ、われわれは途上国と聞くと「第一産業が主産業である」ことをイメージする。
先進国と発展途上国の2つのカテゴリーに大別されるのだから、それは仕方ないことでもある。

そういうイメージに沿うと、
国際協力=途上国=農業 というようなイメージの数珠繋ぎが行われる。

農業は、安定していない。
というイメージも付帯してくるので、
国際協力=途上国=農業=金銭的に貧しい
というところまでつながってくる。

農業などの第一産業は、自然との戦いであるから、その年の天候に左右されやすく、より不安定な産業である。
だから、『それらの困難を乗り越える術を、協力隊が教えにいく』というイメージに行き着く。

 

アフリカで農業技術を指導する

まさにこのイメージこそが、最も一般的な「青年海外協力隊の活動」のイメージに沿ったものだろう。

井戸掘りや農業指導が協力隊らしいイメージ らしい

ぼくは、野菜栽培隊員としてコロンビアに派遣されたので、もろ当てはまるのだが、やはり外で活動をしていると“協力隊らしい”気がしてくる。
ぼくは大体半分の時間をオフィスでパソコンをカタカタしていたのだが、そういう活動は“受けが悪い”。

「絵にならない」とでも言おうか。

ぼくのこのブログのホームページに載せてある写真も、「外での活動」のものしか使っていない。
その方が絵になるし、「やってる感」が出るからだ。
何かを伝えたいとき、入口の部分は相手のイメージに沿った方が内容にのめり込んでもらいやすい。興味を持ってもらえれば、あとはそのイメージに沿い続けるもよし、イメージを壊すもよし。
キャッチコピーもそういうものだろう。

情報が溢れた今の時代、1人でも多くの人に興味を持ってもらうこと。
これが重要なのは言うまでもない。
目にとめてもらえなければ、意味がないのだ。

(なかには嘘の見出しをつけたりしているものもあるが、個人的にはそういう戦略は好きじゃない)

というわけで、協力隊の情報雑誌にも、青年海外協力隊事業に関するサイトにもポスターにも、非常に「協力隊らしい」写真が使われている場合が多い。

青年海外協力隊のことをネットで検索して出てくるのは、屋外で満面の笑みの写真が多いのはそういうことだろう。
検索:青年海外協力隊 画像

それが協力隊の本質を突いているのかどうかはいずれにせよ、協力隊に興味を持ってもらうには至極当然の戦略なわけだ。

だから、いまでも「協力隊=井戸掘り名人」というイメージが払拭されない。
現在は、井戸をコミュニティとしてしっかりと管理する活動を行なっている隊員はいれど、井戸を掘る隊員はいない。井戸掘り隊員の存在を耳にしたことがない。

余談:井戸を掘ったことで、そこにあったコミュニティが崩壊する 場合もある


水不足に悩んでいる、それまで井戸がなかった地域に井戸を掘る。
すると、どうなるか。

井戸の奪い合いが発生する(場合がある)。

当然の流れだろう。
だって、水不足の地域に水が出るオアシスが生まれるのだから。
そうすると、近隣のコミュニティと争いになる。それが口論であればマシだが、流血沙汰になることもあるだろう。なぜなら、水は生きるために欠かせないものだからだ。

だから、コミュニティが崩壊したりする。
それか、井戸を掘っても、管理できなければ全く機能しなくなる。
技術的な管理、コミュニティとしての管理……

たくさんのことを整理して、自治できなくてはいけない。
井戸を掘るということは、想像以上に意外とハードルが高い。
井戸を作るだけで、その近辺に住むひとの生活が激変してしまうパワーを秘めているからだ。
技術支援だけではなく、コミュニティをサポートする必要も出てくるからだ。
だから、安直に「井戸掘り」をテーマにするのは、ぼくはそれほど好きではない。
よくよく考えれば考えるほど、青年海外協力隊員程度の覚悟で井戸を作るべきではないことが見えてくる。
(「協力隊程度」というのは失礼かもしれないが、やはり相手の世界を激変させてしまう可能性を秘めた強インパクトの援助を行うためには2年間では足りない)

あと、モノを提供するとありがちなのが、あげたものが転売されるパターン。
われわれの想定外のことがよく起きることは、念頭に置いておくべきだろう。

井戸を掘り、井戸を作れば、それにまつわる物資が必要になり、そのポンプを常設しておかなくてはいけなくなる。
それを盗む人はいないだろうか?
それを守ろうとする人が、盗む人たちに襲われることはないだろうか?
日本が援助した1つの村と、日本の援助を受けていないその周囲のたくさんの村の間で争いが生まれないだろうか?

日本でも、ときどき線路や鉄線が盗まれる。
「信頼」することは大切だが、信頼するしないに関わらず、あらゆる可能性を考える必要があるだろう。

国際協力のあり方が、井戸掘りから変わってきたのだから、新時代のイメージを掲げることが大切

社会の流れが変わると、イメージも変わってくる。
ポケベル→ガラケー→スマホというように、技術が進むことで我々の世界も大きく変わる。

インパクトの大小の違いはあれど、何かが変わればそれに応じてインパクトが発生する。

国際協力や青年海外協力隊に関しては、井戸掘りや農業というイメージが未だに根強い。
それが悪いことでは決してない。
しかし、そのイメージは何年、何十年変わっていないのではないだろうか??

われわれが想像する途上国のひとは、スマホを持っているだろうか?
パソコンを持っているだろうか?
少なくとも、コロンビアのひとは高校生でもスマホを持っている。
農家さんでも、いわゆるラインのようなアプリでやりとりをしている。

イメージを現代社会にすり合わせることは、今後の国際協力のあり方を考える上で非常に重要なことである。
そのためには、現場の情報を発信し続ける必要があるのだろう。
そうしないと、イメージが更新されない。

「良い写真」が常に現状を的確に捉えているわけではないことは、今の時代みんな痛いほどに理解している。
だから、ぼくはなるべくありのままの写真を公開していこうと思う。

 

井戸を掘る協力隊員。
それは昔の国際協力のイメージだったのだろう。
しかし、いまそのような国際協力は行われていない。
のにもかかわらず、多くの人がどういう国際協力が現場で行われているのかを知らない。
知るすべがない。

であれば、少しでもそのイメージを更新すべく、「新しい国際協力のイメージ」を紹介していきたいなと自分なりに考えているわけです。
まぁ、所詮個人の勝手な頑張りに過ぎないんですけどね

 

いろいろな小難しいことは抜きにして、
やっぱり笑顔が見れれば、それで心が満たされてしまうんだよねー


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Chaito

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