【時には起こせよムーブメント】前でも後ろでも歩みを進めることが大切:芸能界の騒動

【時には起こせよムーブメント】前でも後ろでも歩みを進めることが大切:芸能界の騒動

テレビを持っていないので、出先のホテルでひさしぶりにテレビニュースを見る。

ヤフーニュースは毎日見ているのだが、記事だと世間がどれほどそのニュースに注目しているのかはわからない。
なぜなら、ワイドショーのようにひとつのニュースを延々と取り上げたりすることがないからだ。

ひとつのニュースが、ヤフーの最新ニュース記事の項目10件くらいを占有することはない。
だから、ネットニュース(記事)では世間の流行りがわからない

なんだか、日本の芸能は変遷期なのかな

芸能人が所属する事務所が珍しく注目されている。

今までは、僕は芸能人のことは知っていても、彼らが所属する事務所やその会社については全く興味もなかった。
今でも大した関心はないのだが、ついこの1、2週間の芸能界の動きは目を見張るものがある。


テレビをつけたら見ないことはない2つの大きな所属タレント。
ジャニーズ と 吉本興業。

なんだか、経営やタレント(社員)管理の方法が変わろうとしているみたいだね。

変化が促される

いろいろな出来事があると、それに応じて変化が求められる。
それは悪いことではない。

個別の事象を見れば、その時のムーブメントはダサかったり、しょうもなかったり、「必要なのかな?」と疑問に思ったりする。
でも、そのあと年月がたったときに振り返ると、その当時のムーブメントが分岐点(ターニングポイント)になっていたりする。


そういう意味で、芸能界について全く知らないぼくも知っているような2つの大きな芸能事務所が置かれている状況は、ターニングポイントに立っているのだろう。

何かを自分自身で変えることは難しい。
変わりたいと内発的に思ったとしても、外的なきっかけが必要になることは多い。

外的なプレッシャーで自分自身を変えなくてはいけないこともある。
「君のそういうところは変えた方がいいよ」と言われることもある。

そうに言われると、ムッとなる。
ムッとなって、瞬間的に反発心が生まれる。
けれど、時間とともに咀嚼して吸収しようとすると、そのときの反発心と同じくらい自分のものになる。 


変化がなければ、面白くない。ということではない。
変わった方がいいことと、変わらない方がいいこともある。

変化を促されたときに、その変化をどう捉えるかはその当事者が決めることなのだろう。

いろいろあるけど、一歩を歩むしかないんだなぁと思う

何かを言うと炎上したり、一石を投じると「空気を読め」と揶揄されたりする。

空気は読むものではなくて、吸って吐くものだ。
吐いて吸うものでもある。


最近、「いま時間を共有している人も、あと10年や30年、50年後には生きていなんだなぁ」と思うようになった。
ぼくもあと80年後にはいないだろう。

この記事を書いているときも、誰かに叱られているときも、あーでもないこーでもないと四苦八苦しているときも、結局1度しか人生の中で出現しない。


好きな人と食べたご飯も、綺麗に眺めた観光地も、すれ違いざまに挨拶をしたときも、もう2度とやってこない。
その時間は1度しかない。
そうに「1度しかない」ことに着眼してしまうと、その時間の儚さを感じてしまう。

こう書いた次の日に、交通事故に会うかもしれない。
何の気なしに雑談していた相手の家族の誰かが救急車で緊急搬送されているかもしれない。


いろいろなことを教えてくれる人も数10年後にはいなくなり、その人について自分が他の人に話をする時が来る。

なんだか儚い。


自分がそのような輪廻のなかに生きている。
ぼくが感じていることを、ぼくより若い人がぼくと同じ年齢になったときにハッと気づく。

なんだか仏教的な発想かもしれないが、
自分が経験で得たものを他の人に受け渡すことで、これまでもずっとながーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいこと日本人や人類が歴史を築いてきたのだとすると、ぼくらも何かを積み重ねて前に進まなくてはいけないのかもしれない。


ネガティヴな気持ちが悪いことであったり、社会が何かをきっかけに変わってしまうことが悪いことではないように思う。



何をしても、一歩を歩んでいる。

前であろうが、後ろに後ずさろうが、一歩を歩んでいる。
経験値で考えれば、失敗は成功と同じくらい大切なこととし扱われる。
それは、何かに一歩踏み込まなければ「失敗」さえ起きないからだ。
「失敗」自体はネガティヴで望まざるもの。
でも、失敗に到るまでに一歩を踏み出しているから、前に進んでいる。歩みを進めている。
だから、その歩みは大切。

失敗をすると凹むけど、その歩みが大切なのは間違いない。


そうに思うと、何事も経験で、それをどう解釈し、どう今後に生かすかなのだろう。


自分と関係のあるところで、生命の儚さに触れることがあった。
京アニの火災事件のような衝撃的で凄惨なこともこの数日で起きた。
哀しみが胸をギュッと締め付ける。

「自分だったらどうしたんだろう」と思わずにはいられない。


そうに想ったところでぼく個人が何をすればいいのかわからない。
それもまた切なく、儚い。



やれることをやれる範囲でやろう

そうに思いました。


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Chaito

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