強く主張しなければいけない時代は、問題が山積みで悲しくなる
知らない事実を知ると、それへの理解を怠るのは怠惰な気分になってしまう。
だから、ついついいろいろと情報を仕入れる。
そうすると、問題の根っこに近づくにつれ、ほかの問題と密接に絡まり合っていることに気づいてしまう。
問題を引き抜こうとしたら、地下茎で繁殖するタイプなのだ。
多くを知れば、その分悲しくなることも増える。。
目次 Índice
世界が混沌としているけど、逆戻りはできない
アメリカで広がっている、ジョージ・フロイドさんの死を発端としたデモ。
日本のニュースは、芸能人の不倫などで話題が持ちきりのようだが、このデモの広がりはすさまじい。
そして、このデモのゴールが何なのかがわからないため、どう静まっていくのかもよくわからない。
何を目指して、デモをしているのか。。
リーダーのいない民衆の統制を行うのは、どれほど困難なことなのだろうか?
「船頭多くして船山に上」っている状態なのだろう。
そのような集団のことを、日本では「烏合の衆」と呼ぶ。
このデモが広がりを見せるにつれ、何もしていない白人の老人が集団リンチにあっているビデオが最近多数登場している。
しかも、それはアメリカだけではない。
「誤っている」というのは簡単なのは重々承知だが、
それでも、四方八方に非倫理的に攻撃を行えば、わかり合えないことは増えていってしまう。
有名店や高級店で略奪が相次いでいるようだが、そこで働くことで生活賃金を稼いでいるひともいるだろう。
それに、ひとつの問題を解決するために、新たな問題をいくつも生み出してしまうのは、残念でならない。
人種差別撲滅のためにデモに参加している白人のひともいるだろうが、その対応をする警察官が黒人だったりする。
「いつか、わかり合えるときがくる」
その「いつか」が近い未来であることを心より願う。
この騒動に対して、なにかできることがあるのかと考えるが、ぼくにできることは今のところなにもない。
その点、コロンビアの友人を介して、コロンビアに避難してきているベネズエラ人とコロンビア人の20の家族に対して食料を寄付してもらった(友人発案の活動に賛同して、コロンビアの彼らの元にプールしてあるぼくの数十万円分のお金を有事に使用してもらっている)。
結局できることなど、限られている。
でも、コロンビアの友人たち自身はもちろんのこと、彼らが人に優しく、そして現状を打破するために行動していることはサポートできる。お金で解決できることはあるからだ。
コロンビアにはいろいろな人種がいる。けれど、彼らにとってはそれが普通だ。
だから、アジア人を差別することもないし、肌の色で何かを判断することもない。
顔がやけどでただれて左目がない友人もいたし、毎日道ばたで飴を売っているベネズエラの黒人の彼もいたし、うまく言葉を発することができないひともいた。
ぼくは黒い髪で、若干茶色い目をして、顔の堀も浅いし、見た目が完全にアジア人だ。
これだけの特徴で差別される地域もあることだろう。
数年前から「欧米が先進的である」という幻想を持っていない。
先進性にはすべて方向性があるからだ。
経済、人権、科学、技術、環境、自然、文学、音楽、幸福。。。。
これまでの社会的価値観においては、経済が豊かであれば、そのほかの多くのお金で解決できる進歩ももたらされると考えられていた。
でも、果たして、そうだろうか?
アジア人が欧州で差別されることはコロナウイルスのとき以外にもあっただろう。
「お金よりも大切なものがある」という綺麗ごとを聞く。
僕らの世代は、そのきれいごとを綺麗に磨いていかなくてはいけないのだろう。
どんなものでも、最初から完成されたモノなどないのだから。
学生のころ習った、マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉が注目されている。
人間はだれでも、創造的な利他主義という光の道を歩むのか、それとも破壊的な利己主義という闇の道を歩むのか決断しなければならない。
https://meigen-ijin.com/martinlutherkingjr/
Every man must decide whether he will walk in the light of creative altruism or in the darkness of destructive selfishness.
どこにおける不正であっても、あらゆるところの公正への脅威となる。
Injustice anywhere is a threat to justice everywhere.
*フロイドさんは複数の前科持ちで、その日も偽札の使用によって逮捕されたようだ。
(逮捕されたことではなく、その扱い方に問題があったから問題になっているわけだ)
コロナウイルスはどこ吹く風だし、オリンピックができる情勢か?
コロナウイルスは終わった。
そんな空気だ。
日本では一段落したから、そのような雰囲気を感じる。
「国民の習慣によってコロナウイルスが収束したのであって、政府のおかげではない」とか、
「マイナンバーカードがあれば、早くに給付金が送付できたのでは?」とか、
「安倍さんが頑張れば、拉致被害者が帰ってきたはずだ」とか、
それまで妨害していたり、大反対していた人たちがダブルスタンダードで、また批判ばかりしている。
なんだか、もうわけがわからん。笑
「政治界が」というか、マスコミや業界団体が全く機能していないで世論操作を行いすぎている。
フェイクニュース連発して、長年の「悪事と嘘」がばれてしまうくらいなら、もっとしたたかにうまくやっていればいいのに。
これまでのように、ワイドショーや数社のマスメディアからしか情報を得る時代は終わりつつあるから、日本の社会情勢も変わっていくだろう。
ネット社会はネット社会でいろいろな問題をはらんでいる。
だから、これはこれでひと悶着あるだろう。
マスコミがいつまで「安倍政権による言論統制がある」と主張し続けられるのか、甚だ疑問ではある。
真実が常にねじ曲げられて伝えられると、真実が嘘として扱われる土壌が培われるのだなぁ と歴史のたまものを感じる。
本当は「白」なことなのに、フィルターがかけられて「それは黒だ」と長年続けられる伝えられると、グレー寄りの黒として定着する。
そういうとき、ぼくは歴史の重みを感じる。
環境問題に取り組む必要あるの?
デモ、コロナウイルス、政治。
それにともなう社会的な混沌。
これは人間社会のことだ。
人間社会だけで起きていることだ。
残念ながら、地球そのものが危ないことも事実だ。
家のなかでの出来事を人間社会だと例えるならば、家が建っている敷地自体が地球だと思う。
家の中を整理整頓するのは当然だが、外の庭もきれいに片付けないといけない。
庭も自分たちが管理しなければいけないからだ。
それができないなら、元の主に還さないといけないかもしれない。
最近散歩していて、とある公園の入り口に「数十年前のこの町の森林マップ」を見つけた。
それを見て、まざまざと理解を強いられたのは、
ぼくが住んでいる家も、その公園まで歩いた道もすべて、数十年前は森の中だったという事実だ。
『人間活動が、最大の環境問題』と書いてある論文をたくさん読んできた。
けれど、ここまで痛烈に自分事として理解していなかった。
自分のために環境を守る必要があるということを、とても強く理解する日々だ。
そして、少数の人が取り組んだとしても、結果がついてこないから難しさもある。
すべてを知ろうとすると、本も情報も足りない
すべてを知りたいと思う。
でも、決して真の意味で「すべて」にはならない。
だから、結局本1冊を買って読み切ると、本2,3冊を買うことになる。
わからないことが多いというのは楽しいことでもあるが、世界の混沌性を理解し始めているだけにすぎないのだろうね。
COMMENTS & TRACKBACKS
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“いつか”なんて、
願ってる時点で
いつまでたっても来ないもんですよね。
一個人の人生然り、
人類全体然り。
やまのさん、コメントありがとうございます。
個人の人生であれば、その”いつか”を自分自身で引き寄せながら進むことができますが、
集団が大きくなるにつれ、なかなか訪れにくいと思います。
それに、さまざまな課題に対して、奇跡的に解決するタイミングが訪れたとしても、きっと全員一致ではないでしょう。
なんだか、さみしい気分になります