何もかも政治のせいにするのは簡単【個人でできることとできないこと】

何もかも政治のせいにするのは簡単【個人でできることとできないこと】

この数週間、数ヶ月間はコロナウイルスで持ちきりだ。

僕自身、きらいなマスクをする機会が増えた。
ウイルスは目に見えないものだから、常に不安感はある。
だって、今回が初めてのことだから。

なにもかも政治のせいにするのは簡単

自分ができること と できないこと。
家族でできること と できないこと。
地域でできること と できないこと。
会社でできること と できないこと。
組織でできること と できないこと。
行政でできること と できないこと。
国家でできること と できないこと。
人類ができること と できないこと。


物事にはそれぞれ順序があって、自分という一個人が働きかけることができる影響力はある程度決まっている。
手洗い・うがいをするか否かは、国家が決めることではなく、自分で行うことができることだ。
リモートワークにするか否かは、会社が決めることであり、仕事内容によっては出勤しなくてはいけない仕事もある。
マスクをすることも、個人が行うこと。
でも、少数の人たちがマスクを転売目的で買い占め、必要とする多くのひとに届かない場合、政治や法律を整備しなくてはいけない。


ニュースを見ていると、国会ではエビデンスがどうのこうの言っていて、
いつもどおり邪魔をしていて、いつもどおり哀れみに似た感情を抱く。
そのなかで、テレビのメディアがろくに建設的な話もなく、ただ政府の対応を評価していることに違和感を抱く。
「まだ、過去を悠長に振り返れるほど、事態は収束していないだろう」と。


どうして、日本のみならず、世界全体が「コロナウイルスの感染拡大」に対抗しようとしているのに、
日本のメディアは現政府の批判しかしないのだろうか。

もちろん、現政府のすべての判断が正しいわけではないだろう。
しかし、日本がひとつになって、一致団結して進んでいくべきときに内乱を合作する その考えがきらいだ。


数ヶ月前まで、「日本がワンチームになった」と盛り上がっていたのがどこ吹く風で、悲しくなる。

過去に事例のないことに、エビデンスはない

コロナウイルスの政府対応に対して、「エビデンスは?」とか
「学校を休校にさせるほどのエビデンスはあるんですか?」とか、
初めてのことに対面したとき、エビデンスなんかあるわけなかろうもん。


水俣病やイタイイタイ病などの公害問題から、なにを学んだのだろうか。
人類がそれまでに出会ったこともない・知りもしない出来事に遭遇したとき、いきなりその原因や根拠を突き止めるのは不可能だ。
物事にはたしかに多くの場合因果関係があるが、それは短時間に解明できるものではない。
時間の経過と共に徐々に明らかになる。


短絡的に「ウイルスは温かいお湯に弱い」とか、「○○をすればだいじょうぶ」などと、いいかげんなことに流されてもいけない。
徐々にエビデンスが蓄積されて、ようやく、すこしずつ適切な情報が見えてくる。

適切な情報が得られるまでは、大げさに予防措置をしたほうが人命のため

つい最近、経済についていくつか記事を書いた。

学校の休校措置においても、若い人は感染しにくいから問題なかったのではないかという意見もある。
けれど、後からなら、誰でも言えるのだ。
それに、その決定権が自分に巡ってくることなどないから、そうに言えるのだ。
子どもが感染しにくくても、手や服に付着したウイルスを媒介してしまうかもしれない。
このウイルスについてわかっていることが少ない以上、「○○かもしれない」で大きく安全策を張ることは間違いではないと思う。
特に最初のうちは大きく張っておいて、徐々に適切な範囲に抑えていけばよいだろう。


国として、日本人として一致団結してウイルス感染を抑えようとするべきときに、
重箱の隅をつついたような意見が非常に多いこと。
政府の対応を非難するのはかまわないが、そういうことは事態が収束したあとにやっていただきたい。



個人個人で耐え忍ぶこともあれば、行政や政府に助けてもらわなくてはいけないこともある。
個人でできること と 個人ではできないことを混同して考えると、誰しもが被害者になる。

そして、「個人でできること」を他人や政府のせいにすることは容易で、そうになってしまうと話をしていても仕方なくなってしまう。
コロンビアのひとびとは、自分たちが貧しいことの理由のほとんどすべてを政府のせいにしていたが、
そうになってしまうと自助努力もしなくなってしまってしまう。


他人のせいにするのはとても容易で、その行為は、自身の被害者意識を高める方向に進んでしまう。
このご時世において、今回のパンデミックは未曾有の災いだ。

たしかに、政府の対応への不平不満や経済低下への不安感はあるだろう。
しかし、こういうときにこそ、国民ひとりひとりが一致団結して、多少の自己犠牲を払いながらも、すこしずつ災いに抗っていくべきなのではないだろうか。



ワンチーム。

今年の春は花見が自粛だから、
夏になったら、砂浜でも散歩するか。
オリンピックはどうなるのだろうか??


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Chaito

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