お金をまわすひとが影響力を持つ現代と未来の方向性を修正する方法
お金持ちは成功者だ。
だから、金持ちになりたいと望むひとは多い。
けれど、成功者がすべからくお金持ちであるとは限らない。
ただ、確実に言えることは、
現代の仕組みにおいて、社会的な影響力を持つひとはお金をたくさんまわすひとたちだ ということだ。
目次 Índice
お金をたくさんまわすひとが影響力を持つ時代
社会は、舵を切って進んだ方向に一度歩みを進めると、「やっぱこの道は間違っているから、別の道に進みたい」と思っても、後戻りすることができない。
ゼロから走り出すにはエネルギーが必要なのだが、走り始めると止めることは困難だ。
一度転ぶと、ずっと転がり続ける。
この社会の歩みに、強制ストップ機能はない。
だから、力を持った者や組織がその歩みに反旗を翻さない限りは、”自然と”転がり続ける。
現代において、社会をコントロールする者は、お金を稼ぎ、お金をまわしているひとたちだ。
なぜなら、経済のために社会を転がしているからだ。
したがって、お金を稼いでいるひとたちの意向は、社会を強くコントロールしていると言える。
さて、お金を莫大に稼ぐ仕組みを創ったひとたちに対して、「お金が必要でない社会を創ろう」と伝えたらどうなるのだろうか?
お金をたくさん稼ぐことは、それほど魅力的なことなのか
ぼくは28歳だから、働き盛りで稼ぎどきなのかもしれない。
けれど、ぼくは元来、ある程度のお金がほしいだけで、金持ちになることを本気では目指していない。
もし本気で目指していたとしたら、ちまちまとブログなどやらずに別の儲かる方法を模索しているに違いない。
それにお金を稼いだら、自分や家族のため以外にも、コロンビアの友人たちや日本社会、途上国の農業発展のために投資する。
だから、僕自身が金持ちになって悠々自適に暮らしているイメージは、頭のなかでさえも想像することができない。
一代で資産を築くことは大切だが、人材を育ててこそ将来の社会の役に立てると考えている。
たとえば、
めちゃくちゃ激務でそこまで必要でない物を、営業のひとがノルマのためにどうにかして売り込んだりする。
そんなに必要ではない物を、「絶対にほしい!!」などと思っていないひとに売りつけることは、果たして健全なのだろうか?
社会の発展に対して貢献せず、自身のポリシーもなくモノを売り、大金を稼ぐことにぼくは魅力を感じたことはない。
右から左に流すことを生業とするひとも円滑に進めるためには必要だが、
必要以上にそのマージンに群がり、稼ぎを得るのにはあまり価値がないはずだ。
給料は、社会に対する貢献度で支給されるモノではなく、組織の方針に沿って支給される。
そのため、その組織の方向性や貢献度を知らずに、ただ給料を上げるためにその組織のために尽力するのは、自身の道徳観が苛まれる。
悪影響の片棒をかついでいる可能性があるからだ。
だからぼくは、日本の農業を「真に環境に優しい」方向へ進展させたいと思っていたので、既存の農業界のほとんどすべての転職情報は役に立たなかった。
どうしても、自分の曲げるべきではない技術・知識・経験があるのだ。
化学肥料や農薬を使わない農業の基盤を創りたいのに、それらを生産・研究する農業会社に就職しても、なんの未来も想像できなくなってしまうのが哀しかったからだ。
お金に執着していない成功者は、将来に投資する
お金を稼ぐことは悪いことではないし、お金を貯めることも悪くはない。
ぼくも貯金という一番お金のかかる趣味を持っている。口座の残高照会が好きだ。
現代は、多く稼いでいるひとが影響力を持っている。
数千万円稼いでいるひとはどこか自信に溢れているようだし、女性が稼ぎの良い男性を好むこともよくある。
消費拡大の一途をたどる方向に進む、見栄っ張りの道徳観を持っている金持ちが多いと、
そのひとたちは特に将来の社会の役には立っていないのにもかかわらず、将来の社会の方向性を決めてしまうのだ。
転がして。
他方で、社会の将来を考えて動いているひとは、これまた非常にたくさんいる。
ぼくがそういうひとたちとコネクションを持っているからなのかもしれないが、「ただの金儲け」ではなく、「将来のために」進んでいるひとたちは多い。
そういうひとたちは、金持ちでない場合がある。
なぜなら、社会や将来のために、どんどん投資していってしまうからだ。
言い返せば、それほどまでに疲弊しているということでもあり、見える人たちには将来の危機が見えているということでもある。
けれど、大きな問題は、
現代の社会は経済をまわす者がまわしているということだ!!
お金でまわる社会に対して、非金持ちが新しい社会を提案する方法
ぼくは非金持ちで、これからも非金持ちなので、自分のこととして考えてみた。
経済ありきの社会の方向性をよくする方法
(ぼくのおりじなるなので、こういう類いの内容を扱う本とかにはもっと良いことあるだろう)
①お金を稼ぎ、社会の歯車をまわした上で舵をとる
②社会に対して、お金の流れを変えるような新しい価値観を提案し、浸透させる
③非金持ちでもよい方向に社会が進むように数を増やし、大衆を味方に付ける
④圧倒的な魅力を持つツールを育て、そして用いて、流れをガラッと変えてしまう
ぼくは、この4つをすべて駆使する予定だ。
順番的には、③⇒②⇒④⇒①の順だけど。
2100年を、私たちは”現実的に”迎える
これから人口も減るし、人手も減るから、将来の社会ビジョンを結構うまく描かないと、成功することも成功しなくなる。
なにがむずかしいって、日本の社会が急にガクッと暗転する可能性があることだ。
徐々に、シナリオ通りに遷移していってくれれば、修正しつつ対応していけるだろうけど、
こう、クッと、ガッと、ストンと社会が悪くなるとどうしようもなくなってしまう。
ふと、将来のことを考えてみた。
2100年。
映画の世界のような遠い未来のようだ。
でも、(地球環境が悪化し続けない限りは)いまから80年後に時間上は必ず訪れる。
それはつまり、現実的な未来の時間なのだ。
ぼくは108歳になっている。
あと、80年もある。
これまで生きてきた人生よりも、2.9倍も長い余生だ。
遠い未来の話をしているように感じるが、「うまく生活できているのであれば」僕らの世代は世紀末を迎えることができる。
そのころも今と変わらない生活をしているのだろうか?
「今と変わらない」ことがよいことなのだろうか?
この前観た映画か本のなかで、おもしろいフレーズがあった。
昨日と変わらぬ今日を望む者は、未来に進もうとする者に敵わない。
未来を思い描いて語ることは、とてもポジティブなマインドを与えてくれる。
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