帰国後の青年海外協力隊員が質問されるのは「活動内容」ではなく、「派遣国について」です
青年海外協力隊について、最近書いていなかった。
帰国後、1年と数ヶ月のときが経った。
目次 Índice
青年海外協力隊に参加していたことに、いつまでも価値を見出していても仕方ない
青年海外協力隊に行っていた。
コロンビアに行っていた。
だから、なんだ。
「青年海外協力隊としてコロンビアで2年間暮らしていた」という事実が、自然と浄化されてきた。
だから、もう気持ちがフラットだ。
前に歩みはじめて、早1年が経つ。
もうそんなに、青年海外協力隊に対する気持ちがない。
経歴としては、「青年海外協力隊」よりも、「コロンビア」のほうが強い
ぼくの前職が青年海外協力隊に当たるので、その話をするときがある。
『去年の7月まで、青年海外協力隊でコロンビアにいました」と言う。
そうすると、「青年海外協力隊に参加していた」ことよりも、
「コロンビア」という国家に2年間滞在していたことに話が進む。
もしくは、相手や相手の身近な存在にも元協力隊員がいたりする。
我々国際協力に関心のある人たちからすると、「青年海外協力隊の活動」に関心を持っているひとが多いのではないかと思うかもしれないが、そうではない。
ぼくが、「コロンビア」という誰もが知る危険な国で2年間を過ごしていたからだろうか、コロンビアのほうに注目が行く。
ああ、コロンビアに行って良かったなぁと心底思うわけだ。
帰国して話題になるのは、「どういう国で過ごしたのか」ということ
「コロンビアに住んでいました」というインパクトは、非常に大きい。
みんなのイメージが、「コロンビア=危険な国」だからだ。
しかし、現実はそうではない。
非常に良い国である。
個人個人の活動内容など、大して興味を持たれない。
それが現実だ。
2年間で多くのことを学べるのは、現地のひとを含む土地や国(文化・伝統など)からであり、青年海外協力隊の活動内容ではない。
協力隊員の活動によって学べるか学べないかは隊員個人の関心であって、大衆はそうではない。
ぼくが「傾斜地に段々畑をつくることを指導した」ことによって得られた経験には、大多数のみんなが興味を抱かない。
一方で、コロンビアにどういう美人がいて、コロンビアがどのくらい危険な国なのかという一般的な話には興味がある。
それは、ぼくがどう感じたかどうかは関係ないから。
ぼくの感想ではなく、「コロンビアがどういう国か」という一般論的な問いだからだ。
誰にどう話したいかを念頭に置いて、選択してもいいかもね
「経験」は、常に自分のためにあるわけではない。
他人にどう話し、後世にどう伝えるかを基準にすると、自分の背中を押してくれるときがある。
【経験を自分のために活かす】というのは、そういう意義が含まれているはずだ。
成功したら、成功体験に
失敗したら、笑いのネタにすればいい とぼくは思っている。
専門が異なるひととは、一般的な話にならざるを得ない。
そういうとき、国や土地に愛着を持つと良いかもしれない。
協力隊員が帰国後に話題にあがるのは、
間違いなく「その国がどういう国だったのか」という一般的なことである。
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