在宅自粛でデジタル画面に飽きたので、本を読む:社会の閉塞感を自分に取り込まないで

在宅自粛でデジタル画面に飽きたので、本を読む:社会の閉塞感を自分に取り込まないで

たいていほとんどすべての時間において家にいる。

ここ数日の天気が雨なのか晴れなのかを知るために、かろうじて数日に1度天気予報をYahoo!ニュースで調べる。
外に出るためではなく、洗濯をいつ行うかを計画するためだ。


テレビをつけてニュースを見る。
「今日も多くのひとたちが在宅ワークに移行して働いています。
そのおかげで駅の利用者は70%削減できています!
なかには業務の関係上、出社しなくてはいけないひともいると思います。
ぜひ最善の感染防止対策を講じて、健康第一、安全第一でがんばりましょう!
わたしたちは海外のように法律で制限されるわけではなく、緊急事態宣言に基づく自粛のみで、ここまで新型コロナウイルスを抑制することができています。
医療従事者や物流関係者、スーパーなどで働いている方々は感染への不安があるなかで、わたしたちの生活を支えるために働いてくださっています。みなさん、思いやりの心を持って支えあっていきましょう!
たとえ「いま」あなたが役に立てることがなくても、このコロナウイルスにわたしたちが打ち勝ったときにぜひみんなでこの日本を盛り上げていきましょう!!
あともう少しです。
自宅で自粛することで、多くの命が救われています。
気持ちでコロナウイルスに負けてはいけません!!
わたしたちが一致団結すれば、負けることなどありません!!
また明日、より良いニュースをみなさんに伝えたいと思います。」

こういうポジティブなニュースがそろそろ流れて欲しい。

デジタル画面を見るのに飽きる

小さなプロジェクターで壁に映画を照射して、大画面で映画を見る。
ドラえもんやディズニー映画だったり、ラグビーワールドカップだったり、農業・環境のドキュメンタリーだったりした。

スマホでは毎日動画サイトを見て、Yahoo!ニュースを見て、まとめサイトを見る。
ニュースを見ること以外、特に意味などない。
ただ暇つぶしのために見ているだけだ。

だから、暇つぶしとしてときどき見るので十分なのだ。
ここ数日で、暇つぶしののための娯楽では、連続的な長時間の自由時間を埋めることができない ことを実感している。
それを実感し、理解したことで、急にやることがなくなった。


これは良いことでもある。
その時期、その時期で自分が「おもしろい!」と感じることは、移ろっていくものだと思うから。

2週間くらいテレビを面白く見ていて、テレビに飽きる。
そしたら、動画を見始めて、またいずれ飽きる。
次に、映画を見始めて、飽きる。
そして、今に至る。
次のマイブームは読書だった。
結局、文を読むことに戻ってきてしまう。

本を読めば、本の世界に入り込める

本には、デジタルニュースのような時事ネタがない。
スマホで調べるような情報やアプリのように、「いま」が流入してこない。

ぼくは大学生以来小説は読まず、学術系の本や知識を深める系の本しか持っていない。
(うそ。コロンビアにいたころは心理系の本の合間に、星新一さんの小説を読んでたわ)
だからさみしいことに、本を読むことで本のなかの海辺に行ったり、本のなかで恋心に共感したりすることはない。

ぼくは、自分の将来のためにイメージやアイディアを膨らませ、さまざまな情報を仕入れているのが好きなので、農業や土壌に関する分野を中心に本を読む。
この分野は、先進国ー途上国、農業経済、地球環境、食品、生産プロセス、健康、料理など無数に広がるので、本も尋常なくらいにたくさんある。

そのなかでも最近は、【生産プロセスと食品の安全性】、【その食品が健康にどう影響を与えるか】に関心が向いている。
だから、そのような本をゆっくり読んでいる。

本の良いところは、本の中で時間が止まっていることだ。
今読んでいる本に、「コロナウイルス」は出てこないし、「自粛疲れ」という”しおり”は挟まっていない。
ただ自分が読みたいから読むだけだ。

なので、飽きたら読むのをやめて、「ああ、なにをしようかな~」と考えればいい。
それだけ


本に飽きたらゴロゴロしているし、このブログを更新している。
ブログに書きたい内容は、アンテナさえ張っていれば、いくらでも出てくるものだ。
次々と書きたいテーマは湧いてくる。
(ちなみに、記事を連続して書くと、それはそれで飽きてくる)

在宅自粛に飽きたら、人のいない場所を散歩しよう

「Stay home」が社会に植え付けられた。
だから、「外に出る」という、ただそれだけのことが選択肢から消え始めた。

けれど、冷静に考えると、『感染を予防するために外出を控えましょう』という意味なので、手段のひとつにすぎない。
たしかにもっとも効果のある手段であることは間違いない。
だれも外に出なければ、ほかの住居に住むひとには感染していかないからね。

でも、なんだか、「外に絶対に出んな!!!」ととても強い束縛を受けているように、心が自動受信している。
頭では「少しは外に出てもいい」と理解しても、「万が一何かあったら嫌だから、家にいよう」と決断している。


これ、結構疲れる。
実際ぼくは、飽きてきた。

外に出かけることが悪いわけではなくて、濃厚接触などによって感染リスクを抑えればいいだけのこと。
だから、ひとがいない河原を歩いたり、ひともごくわずかの道を歩いたりすることは悪いことではないと思う。
(ひとが多い場所や、少なかったのに増えた場所はべつ)
人がとても少ないコースを選んで、マスク付きでジョギングすると、肺が鍛えられていい。
それでも、週に2回ほどしか、家の扉から出ていかないけどね。

社会の閉塞感と自分の閉鎖感をリンクさせない!

SONY DSC

なにもかもが規制されたわけではないし、制限をかけられたわけではない。
それでも、国民が「みんな自粛」のもと、自粛している。

けれど、残念ながら、テレビでは依然として「自粛のみで、感染拡大を抑制できている日本社会」をポジティブに取り上げることをしないので、社会の閉塞感が尋常ではない。
まるで、わたしたちが希望を抱くことを妨げているかのようだ。
知事と大臣の間の見解の不一致を指摘した発言に対して「言葉遊びはやめろ」とコメンテーターが指摘する割に、自分たちは大臣のその言葉だけを延々と指摘して言葉遊びを行う始末。
コロナ感染による死者数が少ないのに、この期に及んで他国でのニュースをもとに「日本はコロナ対策に失敗している。政府判断が間違っている」と言い続ける。他国のほうが人が亡くなっているのになぁと思う。
ごく一部の非協力者にフォーカスすることでとても多くの協力者の善行を無視する構図は、メディアとしての公平性が欠けているように思う。
そもそもテレビは公共の電波を使っているだけで、国民のためになる情報を届ける義理はないのかもしれないと、(そんなわけないのだが)ぼくは思ってる。






このじぶんのなかの閉鎖感はどこからやってくるのだろうか。
テレビなのか、スマホなのか、家に閉じこもっているからなのか。。。
はたまた、髪の毛を切りたいのに、わざわざ外に出かけるのは面倒だなぁと思い、そんな頭の上のうっとうしさが付きまとっているからなのだろうか。。

ぼくは幸いにも仕事がある。
趣味がなくて飽きるというのは、なんとつまらないものだろうか。
あらゆる趣味をやりつくしてしまったら、ピアノを習い始めるプランを25歳のときから持っているのだが、まだその段階までは行っていない。

ひとまず、読みたい本が5冊あるので、家のなかで転々と場所を変えながら読もうと思う。
自分の将来のために情報収集するのは一番の楽しみだから!



自粛期間中に、スマホをまったく触らないチャレンジをしたいと思う。

仕事を含め、映画や動画を見る趣味によってデジタル画面と長い時間にらめっこするようになった。
冷静に考えると、こんな無機質なものを毎日何時間も眺めているんだから、人間というのは変わった生き物に違いない。


アニメは全く見てないけど、鈴木雅之さんが歌っているので昨日からはまっている。


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Chaito

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