自分の力不足による悔しさを糧に:臥薪嘗胆
悔しいことはある。
よくある。
うまくいったことは一喜一憂し、すぐに忘れる。
その一方で、悔しい想いは、継続して自分の心の片隅に置いておく。
目的を達成するために、苦心し、努力を重ねるのだ!!
悔しいのは仕方ない。だって、悔しいんだもん
ひとに叱られたり、
きちんと説明しているはずが通じていなかったり、
知識が間違っていて、そこを鋭く指摘されたり、
自分の能力が足りなくて、うまくいかなかったり、
悔しさにもいろいろある。
しかし、どれにも通じることは「悔しい思いをした」という事実だ。
瞬時にわかるのは「悔しい」という自分の気持ちだけ。
それが徐々に冷静になっていくと、どうして悔しいのか、どうして悔しい結果を導くに至ってしまったのかを分析できるようになる。
すると、自分の至らない点を特定することができる。
だいたいうまくいかなかったときというのは、相手ばかりではなく、自分にも大小いずれかの原因があるものだ。
その原因を冷静に特定する。
そして、その原因を叩き潰す!
悔しさを糧に叩き潰すことで、もう一度そのシチュエーションに出会ったときに二の足を踏まない。
たとえば、ぼくは経験したことがないが、家の扉を開けたら、もしかしたら昔に戻ってしまっているかもしれない。
そういうとき、また悔しい思いをしたくない。
同じシチュエーションで同じ悔しさを味わうことを「学習能力がない」というようだ。
ひとは2回目までは同じ失敗を許すことができるが、3回目はない。
3回同じ失敗をしないように、悔しい想いを糧に過去から学習するのがいいとおもう。
悔しい思いはずっと残るけど、失敗は失敗や!!
同じ失敗を繰り返さないために、学習する。
しかし、学習したところで、過去の悔しさを払拭できるわけではない。
同じ失敗を繰り返すことはなくなっても、悔しさは晴れないのだ!
でも、だからといって、事前に対策を講じることができるわけではない。
対策ができるのであれば、失敗などしない。
だから、ぼくは臥薪嘗胆している。
あのとき味わった悔しさを胸に、それを動力源に変えるべく、心に棲まわしている。
なにかと心がざわつくが、成功体験ばかりでは経験の偏りが生まれる。
失敗体験はなるべくしたくない。
だからこそ、ときどきの失敗体験は大切だ。
【失敗は成功の元】
なんでもかんでも成功につなげようとするのは疲れるけど、
失敗はきちんと失敗として受け止めて、それを動力源にすることは意外と日々の景色を一新してくれるよ。
それにね、
歴史を勉強すると、自分の一時の感情なんて、自分の中だけの物だってはっきりわかるようになる。
だって、推古天皇はおろか、源頼朝や織田信長、徳川家康が考えていたことなんてわかんないもん。
かれらの描いていたプランがわからないのだから、彼らの一時の感情なんて想像もつかん。
屋敷の段差に躓いたとき、どう思ったと思う?
ウグイスじゃなくて、ハトを観たとき、どう思ったと思う?
自分の感情も、自分のなかのいっときの物なので間違いない。
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