青年海外協力隊の内部実情:麻薬、売春、性事情、税金の無駄遣いなどを暴露した「青年海外協力隊の虚像」は、2019年の現状とは全く異なる!!【part.1】
「青年海外協力隊の虚像」という本を読んでいる。
内容は特に参考になる部分はないので、おもしろい話とブログで扱えそうな協力隊の話題を見つけるために読み進めている。
今日ちょうど、第2章を読み終えた。
この本の良いところは、話が時系列に沿って進んでいくところだ。
それに、基本的に一話完結型で、節ごとに読むことができるので、10分間の電車時間にちょうどいい。
さて、当初の理想としては、
この本を全て読み終えた後に2018年の僕の派遣期間の経験と照らし合わせて、取り上げてみようと考えていた。
そのために、箇条書きでメモをとったりしていたのだが、内容や言葉の表現がミスリードを誘っていたり、
当時は本当だったのかわからないけれど、2016〜2018年派遣の僕にとっては「嘘」にしか思えない情報があまりにも多いので、第3章に入る前に一旦記事として扱うことにした。
これを全て読み終えた後に、それを全てピックアップして記事にしていたら、僕が一冊の本を書くことができてしまうと思う。笑
すでに、箇条書きにメモした内容が多いので、単発でパンパンと歯切れよく行きたいと思います!!!
目次 Índice
本題に入る前に、第2章までの感想を
率直に言うと、この本の内容は「青年海外協力隊」に関する本のようで、そうではない。
内容に客観性はなく、著者自身の感情を文章に載せて書いている。
それに、きっとこの本を執筆していた時もなお、青年海外協力隊に対してネガティブな感情を持っていたであろうことは文章を読めばわかる。
だから、2016年に派遣された僕からしたら、この本を読んで青年海外協力隊の隊員や事業について学べることはない。
断言してもいい。
この本を読むことで、現在の青年海外協力隊事業や隊員の実情を知った気になって想像することは、明らかに間違いなので、やめたほうがいい。
30年前は役に立った暴露なのかもしれないが、2019年の今、役に立つことはない。(特に第2章までにはない)
この本で得られる情報は、
「現実に起きていることを、このようにネガティブなフィルターを通して、他人のせいにして見ている人もいるのだな」という人間観察に似た情報だけだろう。
それはつまり、青年海外協力隊に参加している、もしくは参加したいと思っている人も『ただの人間』であることを証明している。
こんなことは当たり前のことだ。
だって、この記事を読んでいるあなたは、きっと青年海外協力隊に興味がある人だろう。
そうでなければ、この記事を読むことはないし、行き着くこともない。
では、問うてみよう。
あなたは特別な人間ですか?
あなたは清廉潔白ですか?
あなたはこれまでに悪いことは全くしたことはないですか?
あなたは誰かが悪いことをしていたのを見逃したことは一度もないですか?
あなたはスポーツ万能で、勉学も語学も堪能で、専門性に秀でて、異性に誠実で、友人には信頼され、両親や兄弟とは親密な関係で、地元にはきちんと貢献していて、自分の時間は誰かの為になることばかりをしていて漫画や動画は見ないですか?
筆者は、本の第3行目に
「青年海外協力隊に参加する人は、清廉潔白な若者たちというイメージがあります。かくいう私もそう思って、隊員になりました。」
と、心地よく本のスタートを切っているわけだが、
そのイメージが事実でないことは、筆者が自分自身の性格や言動を文字に乗せて、この自伝からとてもよく説得してくれている。
隊員は清廉潔白ではないということを、説得力高く証明している。
僕も自分が清廉潔白だとは思わない。
この本の内容が事実だったとして、今は嘘のようにそれらが存在しないことは、良いことではないだろうか
また、大きな前提として、2016〜2018年に野菜栽培隊員としてコロンビアに派遣された僕は、1989〜1991?年にホンジュラスにコンピュータ関係で派遣された筆者が、どういうように派遣期間を過ごしていたのかを知る由もない。
実際に、青年海外協力隊という組織自体が、筆者が暴露したように”腐っていた”のかもしれないし、もしかしたら、筆者がそうに感じていただけで実際はそれほど悪くなかったのかもしれない。
それはわからない。
それは、筆者と同じ時代を生きて、活動した人しかしわからないだろう。
でも、「青年海外協力隊の虚像」をその大前提を考慮して読んでいると、ひとつとても大切なことに気づいた。
それは、「この本の経験が生まれた30年前の青年海外協力隊」と「今の青年海外協力隊」では大きく違うということだ!
30年前の本の情報と現状が、良い意味で大きく違うことは良いことだ。
なぜなら、それだけ現在は改善されているということになるから。
(この暴露本のおかげで変わった部分もあるかもしれないね)
僕が理解できない訳の分からない悪行が30年前は横行していたようで、暴露本ではそれを暴露しているわけだが、2010年代に到達した現在、そういう悪行はほとんどない。
「ほとんど」と少しの可能性を残して歯切れが悪いのは、自信がなくて断言できないのではなく、断言するための証拠を集めることができないからだ。
前振りが長くなってしまった。
長引いた前振りも、あと1メッセージで終わらせよう。
僕はこの本を読んで、こうに思った。
この暴露本が言っていることは、大げさであり、嘘であるように僕は感じる。
しかし、もし、この本にあるように青年海外協力隊のなかで悪事が蔓延していたのであれば、それは悪いことである。
それは間違いない。
1990年頃のこの本の内容が本当であったのなら、暴露されて然るべきだろう。
でも、2016〜2018年に協力隊に参加した僕からしてみれば、「悪事を暴いてやったぞ」と嬉々として書き記されている本の内容は、現在起きていない。もう存在していない悪事なのである。
だから、たとえ当時、筆者が書いているように悪事があったとしても、現在は微塵も起きていないのだから、良いことなのだ。
それは青年海外協力隊という組織が改善を図ったということに他ならないからだ。
ネガティヴな感情は、ポジティブな感情より根が深く、持続する。
だから、いくつかの記事に渡って、このネガティヴな感情をもとに書かれた30年前の暴露本を、冷静に2019年バージョンにバージョンアップして、価値のあるものにしていこうと思う。
前振りが長引いた、それでは本題に入ろう
気になったことを箇条書きテーマで記していく
この本は日記的に話が進むので、それを体系的にまとめるのはめんどう。
だから、気になってメモしたことをピックアップする。
気になる事が多すぎるので、かなりハードルを高くして、取り扱えそうな量にしている。
例えば、「みすぼらしい格好をした家政婦が・・・・」など、僕の価値観からすると、聞き捨てならない形容詞がとってもたくさん本の中では出てくる。
そういう”小さいこと”を拾い上げてしまうと、全く話が進まないし、記事の文字数が何万文字にもなると思う。
それ以外にも、僕の琴線をかすめる事は多いので、トピックは絞りたい。
(それでも多分5記事くらいになるだろう。そのくらい、むしゃくしゃする表現が多い)
人の厚意が断れず、身体を壊す
日本人的には衛生面でアウトなものを出されることがある。
飲んだら下痢になりそうな水。
加熱されていない牛乳。
よく洗われていない食器。
食べ残しが鍋に戻るスープ。
ススだらけの台所。
ハエがたくさんいるお昼ご飯。
相手のおもてなしにどこまで応えるかの判断は難しい。
出されたカニをみて、お腹壊しそうだなぁと思いながら食べて、次の日案の定お腹を壊すことは国際交流を仕事で行うプロでもよく話すエピソードだ。
お米にアリや小虫が湧いていても、タンパク源
自炊をよくする隊員の家の米びつに、アリが湧いていたらしい。
それを著者は受け入れることができなかったようだ。
確かに、それが嫌な人はいるだろうが、特に気にしない人もいるだろう。
特に、現地の環境に順応しようとしている隊員と、日本の生活を基本水準に置いている隊員でも違うだろう。
その違いは良し悪しではない。
僕は少しくらいなら気にしないと思う。
水シャワーが嫌いで、暖かいシャワーを待ち望んでやまない隊員もいるから、こういう生活水準に対する許容範囲の違いは人それぞれだろう。
几帳面で綺麗好きな人は、生活環境に順応するのは大変かもしれない。
著者は午前だけ大学に行き、午後は家で家事をしたりしていた
この本は青年海外協力隊の暴露本なのか、それとも、異文化に順応できずに日本人コミュニティに溺れる、自身の怠惰な姿を表した自己反省本なのか分からなくなることが多々ある。
午前だけ大学(配属先)に行き、家にお昼ご飯を食べに帰る。
午後はそのまま家で洗濯などをして過ごしていたそうだ。
そうに書いてあるからね。
この人自身が全然活動していない。
自信満々に語るから、他の隊員を含めて全体がそうであるかのように読み取らせている。
「隊員にはお金も時間もある」
だから、働かなくてもいいし、隊員のやる気が出ないのも仕方ない
という謎論理なのだが、お金も時間もあるのだから、それを怠惰に使うかどうかはその隊員自身の問題だろう。
どんな場所に行っても、学ぶことや新たに経験できることはたくさんある。
それをただ嘆いて、「周りの隊員もそうだから〜〜〜」「その国の調整員が悪口ばかり言うから〜〜〜」って、、、、
青年海外協力隊の応募資格は満20歳以上なのに、他者に自分の判断を委ね過ぎてて、なんかいや。
誰かが敷いたレールの上を歩いておいて、「自分が行きたかったのはこっちではなかったのに」というのが許されるのは、中学生までにしてほしいものだ。
男子隊員が現地の女を買う
お抱えの愛人がいて、性病をもらうと、JICA事務所が医療費を持って対応する。
いつの時代の話をしているのだ。→まさに、30年前だ!!!
こういうしょうもない話は、個人の問題だろう。
協力隊全体の話ではなく、1人間のレベルに落として考えてほしいわ。
気持ち悪い。
僕はパパ活とかいう現代の援助交際の一部を汚らわしく思っているけど、社会全体で見たときにはどうやらそうではなく、ワイドショーでも当たり前のように取り上げている。
それと似ているかもしれない。
当時では、一般化されていたことだったのかもしれない。
でも、現代はない。
それでも、男女関係は個人の問題だ。
「恋愛禁止」なんていう規約は、アイドルだけだろう。
それに、日本人の隊員同士の恋愛はオッケーで、任国の人との恋愛は禁止。という規約は、常識的に考えて作れっこない。
何が純愛で、何が不純なのかは、本人たちにしか分からない。
もし、そういう規約を協力隊事業で作ることができたとしたら、その規約作りのノウハウは直ちに浮気禁止条例に応用したほうがいい。
青年海外協力隊に参加する人たち全てが、清廉潔白などとは思わなくて構わない。
一定数羽目を外す人はいるだろう。
そういう俗に言う「あほ」は、きちんと処分すればいい。
協力隊は小学校や中学校ではない。
常識がない人や道徳観が欠如していて、協力隊の事業にそぐわない人は派遣させなければいいし、すぐ強制送還すればいい。
「玄人さん」「素人さん」というわけのわからんあだ名
協力隊の隊員のことを玄人さん。
協力隊の経験のない人のことを素人さん。 と呼んでいたらしい。
それで、「結婚するなら、”素人”がいい」らしい
何かうまいことを言おうとしていたようだが、話がしょうもないので、前後の文脈を全く覚えていない。
こんな呼び方、聞いたことも、見たこともない。
時代が違うから、全く知らないだけなのか。
それとも、この筆者の中の虚像(妄想)が大きくなり過ぎて、現実から空想の世界に飛んだのかわからないけど、こんなわけのわからない呼びかたは、2019年現在死語であることは保証する。
専門家は昔ファーストクラス移動だった
飛行機移動の際、専門家はファーストクラスで飛んでいたそうだ。
これは本当だろう。
JICAの支援で途上国に実験機械を納入し、そのセットアップに行っていた人も当時はファーストクラスだったと言っていた。
そういう制度だったのだろう。
今では、なんでも無駄がカットされ、郵送便もpdf化されはじめ、郵便物でさえ空を飛ばなくなってきた。
現職参加はお金が貯まる
これも上のファーストクラスの話と似ているが、
現職参加は企業から給料が払われ続けているので、お金が貯まるだろう。
これは今も変わらないのではないだろうか。
でも、これはそういう制度なのだから、現存する制度を最大限に利用することは悪いことではないだろう。
確かに、大元を辿っていけば、無駄な税金の使われ方をしている可能性はある。
でも、それを利用している側の人間に罪はない。
制度が悪いなら、その制度が終わるようにアプローチし続けなければならない。
この記事は終わり
このペースで書いていっても、かなり数になる。
自分がメモした内容の3分の1も紹介することができていない。
続きは、またあとで紹介していく。
今回のような前振りは初回イベントなので、次はパンパン進んでいきたい!!
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