途上国の無残な写真を大画面で見ても、大衆で笑える気持ち悪さ【日本の平和さ】

途上国の無残な写真を大画面で見ても、大衆で笑える気持ち悪さ【日本の平和さ】

ぼくはコロンビアの田舎で、酷い集団制裁を見たことがある。それはそれは「狂気の沙汰」だった。
胸の中のザワつきが止まらなかった。

この前、東京で講演を見た。その講演の内容は国際協力がどうとか、そういう志の会ではなかった。
東京の地元のコミュニティのひとが多く参加するような会だったのだが、そのなかで一枚の写真が映画館の大画面のようなスクリーンに映し出された。

そこに投影された写真を見ながら笑うことのできる大衆に、コロンビアのときと同じような心のザワつきを感じた。

酷い写真を見ながらも笑えるのは、自分の世界と写真の奥の世界が繋がらないからなのだろう……

ひとりの男性が盗難を犯して、大木に吊り下げられていた


途上国では警察が管轄を網羅しきれず、自警団のような地元の組織であったり、自己防衛的な制裁を加えたりする例が見受けられる。

たとえば、別の村からひとりの男が盗難を働いたとする。そのとき、その男を現行犯で捕まえた。警察に引き渡せばいいものの、そこには自警団のようにその村の者による自己防衛組織があって、その人たちが犯罪者を受け取る。
そのような犯罪被害を浴びないようにするためには、その犯罪者を見せしめにすればいい。

ロードオブザリングで、オークの首をはねて、オークの首を棒に刺して立てて置いておくようなものだ。それだけで、相手の戦意を削ぐ。

その東京の集まりでは、そういう犯罪者が両手両足にヒモをくくられ、アマゾンの映画で棒に吊るされた豚を運ぶようなイメージだ。大木の周囲を腕を広げて抱きついて測るような体勢で、ヒモでくくりつけられる。
そういうイメージで、体を大木に吊り下げられると、時間とともに重力に耐えきれず、筋肉が分断され、激痛となる。当然、排泄物は垂れ流しだ。

そういう写真が一枚、フルスクリーンに投影された。発表者が説明を加えて、少し冗談を言ったところ、大衆の間で笑いが起こった。
『その写真を前にして』である。

とても気持ち悪かった。

それも、悲しいことに、その組織は【平和のために何ができるか】というような組織だった。

負の連鎖


写真の説明を続けよう。

そのように、犯罪を犯して捕まると、見せしめ的に苦しめられながら制裁を受けることになる。
そうするとどうなるかというと、ものを盗む際に、捕まらないように、出会った人を殺すようになる。なぜなら、顔を見られてしまったら、あとで捕まえに来るかもしれない。それなら、自分が捕まらないように、盗みとともに殺人も犯すのだ。
そうすれば、捕まるリスクが減る。

ほかにも、そういう風に犯罪者を見せしめにされて、犯罪者の仲間やその村の者は黙っているだろうか?盗難は悪いことではあるが、「悪いことはやらない」という言葉で説得できるレベルの道徳観を持っているのなら、ハナから盗難はしない。
制裁を受けた犯罪者の仲間が、その見せしめを行なっているコミュニティの者を捕まえて同じ目に合わせようとする。
やられたら、やり返すのだ。野球の大リーグの故意四球を見ていたら、意味がわかるだろう。味方がデッドボールをぶつけられたら、次の回に自チームのピッチャーは相手のバッターに報復のデッドボールをぶつける ようだ。だから、だいたい険悪な雰囲気になる。

理不尽な暴力にどう対応するべきなのか?

あなたは意味もなく突然知らない人から背中を叩かれたらどうしますか?それに対抗しますか?それとも、論理責めしますか?警察を呼びますか?

まず、いきなり叩いてくるような人に、論理は通じないですよね。次に、警察がすぐ来てくれるのならいいですけど、警察が来るまでの間、その意味不明な人をその場に留めておくことはむずかしいでしょうね。

自分の身は自分で守るしかないのです。その相手を事前に制するわけではなく、自分が被害を浴びないように気を配るのです。

無残な写真を笑える平和さ


家族の誰かが制裁を受けている写真がフルスクリーンに投影されて、笑えますか?友人の誰かが制裁を受けていたら、笑えますか?家族の友人ならどうですか?同じ町に住む人ならどうですか?同じ町出身の人ならどうですか?同じ県なら?同じ地方なら?日本の人なら?同じ言語を話せる人なら?

きっと、自分と縁とゆかりがあるひとであれば、心が痛むだろう。たとえば、ある楽しそうな家族動画を見ていて、その直後にその家族が紛争の被害にあうシーンが流れたとする。そうすると、その家族のことを知っているから、より同情するはずだ。
少なくとも、紛争被害のシーンを見て笑える人はいないだろう。

ぼくはアフリカには行ったことがない。でも、その木に吊るされて制裁されているアフリカ男性にひどく同情した。盗難をして罰せられている彼に対して、どうすることもできないし、何が答えなのかさえわからないが、コロンビアで一度似たような出来事に出会っていたからか、周りの人たちのように笑えない自分がいた。

平和ぼけだろうと、平和ぼけでなかろうと、そういう言葉遊びはどうでもいいのだが、
その会の雰囲気は「狂気の沙汰」に感じて仕方なかった。


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Chaito

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