あなたの全人生を捧げることで世界平和が達成されるなら、あなたは喜んで人生を捧げますか?

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愛って答えがないモノですから、いくらでも書くことができてしまいますね。

さて、

自己を犠牲にすることで、世界の発展に大きく貢献することができるとしたら、どうしますか??

 

何かをしようとすると、何かが犠牲になることがある

海外に行き、海外で暮らそうとすると、大切なモノを日本に置いてこなくてはいけないことがある。
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何かを選択すると、必然的に”選択しなかったもの”を手に入れることができなくなる。

そうに考えると、「何かをする」ということは、何かを得ることではなく、何かを失うということなのかもしれない。
なぜなら、選ぶことができるのは1つだが、選択肢は無数にあるからだ。

たとえば、青年海外協力隊を例にすれば、
無数にある進路の選択肢のなかから、青年海外協力隊というたったひとつの進路を選ぶことになるからだ。

 

毎回毎回、何かを選べば、何かを失うわけではないと思うが、「犠牲になるモノ」に焦点を当てると、選んだモノがより輝いて見える。

 

 

自分は農業という世界のなかで、どちらに進むか

研究の世界に身を置いているいま、ふと思うときがある。

それは、
自分の人生をこの研究にこのまま捧げ続けたら(40年)、日本の農業(特に栽培に関する常識)は大きく変わる力になることができるのだが、それを達成するためには、どのくらい自己を犠牲にする必要があるのだろうか?
ということだ。

 

いま関わっている研究というのは、そのくらいの価値があると個人的に強く思っている。
だから、働いている訳だけだ。
実際、日本の農業のスタイルが遅れているだけで、海外からはいくつもの論文が報告されている。

だから、研究の道に進まなくとも、ぼくが実践をする道もある。
以前は、ゆくゆく農家になるつもりで自分の人生を描いていたのだが、やはり研究の世界に居て、様々なおもしろいことを知るたびにわくわくするので、その面白さに引き寄せられる自分がいる。
もちろん悪いことではない。

 

コロンビアやインドネシアとのフェアトレードやパーマカルチャー的な暮らし。
自前の農産物を利用した直営のレストランやカフェ経営による地域への貢献。
ミミズコンポストによる地域資源の循環とミミズビジネス。など

自分のなかでは、きちんとステップを設けた楽しいビジョンを描いている。

でも、研究も好き。
正しく言えば、「研究の世界が楽しい」。
一応、研究者の仲間入りしているのだが、ドクターを持っていないし、海外ジャーナルに論文を投稿したことがないから、研究者とは言えない。
中途半端な自分に縮こまることがあるのは、事実だ。

 

 

進路に関する次の人生の選択を行わなくてはいけないのはまだ1年以上先のことなので、それまでに答えを出せばいいと思っている。

天秤にかけることがわくわくするときもあれば、ハラハラするときもあるものだ。

そしてときに、天秤にかけずとも、両方できたりするモノがあったりもするので、可能性は広く持つようにしている。

 

究極論:自己犠牲を払えば、世界が平和になるとしたらどうしますか??

 

もし、あなたがとある何かのことに全人生を捧げることで、全世界で飢餓や貧困、民族紛争がなくなるとしたら、あなたはあなたの全人生を世界平和のために捧げますか??

 

話がややこしくなると、理解することも、ぼくが書くことも難しくなるので、例を挙げました。

 

平日普通に働き、これまで休んでいた休日を返上して、そのまま働き続けるとする。
つまり、365日「世界平和」のために、あなたが時間を捧げる。
給料は、同世代の平均額とする。

家族との時間を持つことはできるが、勤務時間(ここでは朝8時から夜8時までとしよう)は「世界平和」のために従事しなくてはいけない。
休日はない。それに、常に「世界平和」について考えなくてはいけない。

この期間を、30歳~70歳までの40年間とする。

そのような働き方が幸せだと感じるひともいるかもしれない。
しかし、僕の想像では、多くの人は休日を必要とするし、気分転換の旅行にも行きたいものだ。
そして何より、このように働けば、自分が思い描いていたような別の夢を実現することは難しくなる。

 

しかしながら、あなたがこのように働いてくれれば、「世界平和」が達成される。
考え方によっては、あなた1人の人生を捧げることで、世界の多くの人の人生に幸せが訪れることになる。

 

 

 

誰にもこの選択を迫られないとしたら、
あなたはどちらを選択しますか?

 

 

 

こういうことを考えていると、マザーテレサとかすごいなぁと思う。
まぁ、思うと言っても、小学生が読むような伝記の情報しか知らないので、彼女が本当はどういう人生を歩んでいたのかは知らない。

 

 

それでも、
もしぼくがこういう立場に置かれたら、どうするだろうか?

答えはすぐには出ないが、
自分の想いや時間を捧げることで、ソレ(その対象)が大きく進歩するのであれば、それはこの上ない喜びになるのだろう。

結局、何かに貢献すること。
誰かが喜ぶこと。
そして、誰かに褒めてもらえることがうれしいのかもしれない。

 

 

あなたは、どういう人生を歩んでいきますか?

 

そして、
自分の人生とその価値 と 世界や未来への貢献

このふたつを天秤にかけると、意外と自分のなかで「自分の国際協力の在り方」をぼんやりと感じることができたりもする。
でも、理想はこの2つを天秤にかけずとも、両方を上手に結びつけて両方とも達成することだ。

だから、その手段と方法をこれからじっくり考えていこうと思う

 


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Chaito

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