「私さえ幸せにできないあなたが、途上国の人を幸せにできるの?」というおもしろい皮肉

「私さえ幸せにできないあなたが、途上国の人を幸せにできるの?」というおもしろい皮肉
最近は、浮いたことばかり扱っていた。

 

話をガラッと変えるのはもったいない気がするので、少し国際協力の話に近づけてみよう。

 

国際協力を志すことは、別に特別なことではないことは以前記事にした。

 

 

でも、国際協力を志す人の周りはどうだろうか?
全く興味がないのが普通なのかもしれない。

 

自分が経済学に興味があるからといって、周りの人が全て経済学に関心があるわけではないし、経済学を専攻を反対するひとが身近にいるかもしれない。

 

そういう存在が大切であることは理解していても、自分の身近なひとが、いざ実際にそういう人生を歩み始めることに対しては抵抗があるのが普通だろう。

 

だから、国際協力を志す人は、周りを説得しなくてはいけなかったり、周りの理解なしでは、実際に“気持ちよく”国際協力を行うことはできない。
青年海外協力隊という2年間を途上国で生活するプログラムに応募・参加する人たちは少なからず、周りに理解してもらわなくてはならない。

 

1人の人間を幸せにできなければ、多くの人を幸せにすることはできないのだろうか?

 

協力隊の事前訓練で、訓練所で生活していたとき、ある講義でこういう笑い話があった。

 

「その当時付き合っていた彼女に、協力隊になりたいと伝えたら、『私一人を幸せにできないあなたが、途上国に行って何ができるの?』と言われた。」

 

この笑い話では、結末は紹介してくれなかったと思う。
そして、これから2年間日本を去る人たちしかいないその場では、それほど笑いも起きなかった気がする。
みんな、うっすらと感じていたのかもしれない。

 

青年海外協力隊に参加している人は様々だ。

 

既婚者もいれば、独り身の人もいる。
恋人がいるひともいれば、訓練期間中に恋人をつくるひともいる。
訓練に入る数週間前に籍を入れ、入所してくるひともちらほらといた。

 

パートナーを日本において、協力隊に参加するひとは、少なからず、たくさんの困難に出逢うだろう。

 

でも、その“超遠距離恋愛”とも呼べる恋愛を経験すれば、東京ー大阪や北海道ー沖縄程度の距離の恋愛など、ものともしないほどの強さを手に入れることができる。
そして、それと同時に、「好きな人と一緒に時間を過ごすことができる」というとても些細な当たり前のような時間さえも、感謝して過ごすことができるようになるだろう。

 

日本国内の遠距離など、飛行機に乗りさえすれば、必ず会える。
そこに制度上の縛りは存在しないのだから、月に2回くらいのデートくらいは余裕だろう。

 

日本人の幸せは、より高度でより複雑

 

われわれは、残念ながら、ちょっとやそっとのことでは幸せを感じたくない  らしい。
だから、不満を口にする。
謙遜とともに、自己否定をしやすい文化なのかもしれない。

 

自分の人生なのに、アンテナの大部分を周りの世界に向け発射しているので、自分自身の己のなかで幸せを見つけることを得意としていない。

  

われわれは「幸せではない」と言うわりに、自分がどういうときに幸せを感じるのかを明確に知らない。
だから、どういう行動をとれば自分がより幸せになるのかわからない。
であるがゆえに、自分自身で自分を幸せにすることから逃げ、誰かに自分を幸せにしてもらいたいと願う。
だから、「○○してくれなかったから嫌だ」「××しないなんて、ありえない」と自分が王様やお姫様になったかのように、他人を評価する側に回りたがる。

  

つまり、家族愛や友情、恋愛程度では飽き足らず、それらを求めた上で更に条件を上乗せしていく。
そしてときに、圧迫面接のように他者に当たる。

    

三大欲求
・食欲
・性欲
・睡眠欲
だけでは当然「幸せ」ではなく、さらに高度で“こじらせた”条件をつける。

    

でも、途上国のひともそうに”こじらせている”のだろうか?

 

あれも欲しい
これも欲しい
あれをしてくれないと嫌だ
あの人のああいうことはあり得ない
割り勘なんてありえない
料理ができないひとはダメだ
年収は○○万円以上
身長は何センチ以上
スタイルが良い人が良い

 

そういう感情を前面に押し出してくるのだろうか?
ぼくは、コロンビアで生活をしていて聞いたことはない。

  

外側に基準を設けることは決して悪いわけではない。
それは、70億人以上いて、異性が35億人以上いるのだから、年齢や収入などで篩にかけなくてはいけないのだろう。
普通のことだ。
言葉や文字にすると変に感じるだけで、我々は無意識のうちに無数の選択を繰り返しているのだから、自分の中で判断基準(篩)を持っている。

  

1人の日本人を幸せにすることと、途上国の人々を幸せにすることは根本的に違う

 

そもそも、ひとりの恋人を幸せにすることと、大勢のひとを友情を持って幸せにすることは違う。

恋人のひとりさえも幸せにすることができたことのない僕だが、友情によってつながった友だちはいる。
愛情と友情に優劣はないが、友情は愛情に比べれば、幾分難易度が低い。
そこまで深く、干渉することはないからだ。

 

だから、『私一人を幸せにできないあなたが、途上国に行って何ができるの?』というのは、冷静に考えると結構的外れなことを言っている。

でも、それっぽく聞こえる。
だから、実際にその言葉を投げかけられた側のひとは、心にずしっとくる。

 

女性の「私と仕事、どちらが大事なのよ!!」というドラマのフレーズ。
答えのない問いは、むずかしいものだ。

どちらも大切なのは間違いない。
男脳だと、これは2択、もしくは「両方」を含めた3択なのだが、どうやらリアリティを求める必要はないらしい。

一度「相手」を選んだ上で、会話をすることが1つの正解のようだ。

 

『私一人を幸せにできないあなたが、途上国に行って何ができるの?』と言うのは、「離れていかないで」ということ

 

ときどき、女心を理解しようと頑張って深読みすると、「それ深読みしすぎじゃない?」と裏の裏に戻されることがある。

基本的に、何考えているかわからない。

特に、男性が女性の考え方を理解することは不可能だと思う。
一方で、「男の考えは単純だ」と見なされているので、女性は男性の考えを理解しているつもりでいることがある。
でも、男もそこまで単純ではない。それだけは言っておきたい。

同じ人間なのだから、一方が単純で、一方が複雑ということはないだろう。
自分がすごくよく考えているのであれば、相手もそれと同じくらいいろいろなことを、たくさん考えているものだ。

 

と、まぁ人の旅路を心配してくれるほど、想ってくれているということはうれしいことだ。

基本的に、友だちレベルなら、「楽しんで行ってきてねー」くらいで終わるもの。
それが、「行っちゃうのか。さみしいな」と想ってくれるのだから、素晴らしいことだ。

 

 

協力隊の2年間というのは、意外と長いから、超遠距離恋愛をしようとしているひとは覚悟しておいた方が良いですよ!!


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Chaito

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