コロンビアで日本人はモテるか?コロンビアで2年間過ごした私が答えましょう

コロンビアで日本人はモテるか?コロンビアで2年間過ごした私が答えましょう

コロンビアについて扱ってきたこのブログだが、最近人気なのが
この記事→【なぜ】コロンビアに美人が多いのは、世界中のすべてのタイプがいて、血の繋がりがあるから
コロンビアは確かに美人が多いのだが、それを考察した記事だ。

では、日本人がコロンビアでモテるかどうかについて答えてみましょう。

ぼくは男なので、自身の経験を通して、日本人女性のモテ具合を知る術はありません。
でも、男女ともに傾向は似ていると思いますので、参考にしてください。

記事自体は長めなので、
忙しい人は「日本人がモテるための6箇条」を読んでください。
目次から飛んでいけます。

男女関係なく、道ばたで注目はされます

コロンビアでは、ひとまず「アジア人」というだけで道ばたで注目されます。
それでも、「ヘイ、お姉ちゃん」とか、「ヘイ、お兄ちゃん」という感じで話しかけられることはないです。

「イタリア人男性が、女性には声をかけないと失礼」みたいな都市伝説が、まことしやかに”ラテン系のひと”代表のようなイメージとなってきていますが、コロンビアではそんなことはありません。
もろ、ラテンアメリカだけど。

そのあたりの道ばたでナンパされることはおろか、いきなり話しかけられることも多くないです。

目で追われるか、アジア人を楽しむ感じでからかってくるぐらいです。
「チーノ」とか「チーナ」とか、「akfiau naihduaih aefjbqoiu」と宇宙語(本人たちは中国語を話しているつもり)を話し始めるだけ。

「悪気がないなら仕方ない」ですべてが済むわけではありませんが、相手をしていても仕方ありません。
このストレスは文字で見たり、日本で想像しているときはたいしたことありませんが、実際にそういう世界に降りたって、毎日のように好奇の目に晒されると、想像以上にストレスになるものです。

記事→現地の鬱陶しい視線を気にしなくなったら、馴染んだ証拠

道ばたで、街中のお店の場所を訊かれたり、腕時計をしていると時間を訊かれたりしますが、それはコロンビアではあるあるです。
見た目で「アジア人」とばれるので、「チーノ」とからかわれたりもしますが、それと同時にコロンビア人は(深い意味での)人種差別をすることはなく、分け隔てなく平等に扱う優しい人たちです。
そういうこともあってか、「The 外国人」の僕に対して路上ですれ違いざまに、「お兄ちゃん、○○○というお店ってどこにある??」と平気で訊いてきます。

いやいや、もっと地元民みたいなひとに訊きなよ

と、心底思うわけです。
そういう質問が多かったので、必然的にお店の名前と良く覚えたりもしました。
スペインの植民地のおかげで、京都の街並みのように碁盤の目上になっているので、覚えるのは楽ちんです。

「モテる」とは、どこまでのことを指すか

モテたいモテたい という言葉は日本でもよく聞く。

何に、どうモテたいのだろうと思うときもある。
では考えてみよう。

コロンビア女性に、日本人男性がモテるか?

どうモテる?

道ばたでちやほやされたいってこと?
遊べる恋人をつくりたいってこと?
「日本人?好き好き♡」って言ってほしいってこと?
人生のパートナーとしての親愛なる恋人がほしいってこと?
コロンビア人と結婚をしたいってこと?

前提によって、大きく違うものです。

日本人が名指しでモテることはないけど、アジア人が好きな人は必ずいる

親日国と知られている国に行っても、すべてのひとが日本人をちやほやしてくるわけではないでしょう。

それと同じ。

特に、コロンビアのように、様々な人種が混ざり合った国では「日本人」だからといって、特別扱いされることはありません。
というか、「日本」ということだけで特別扱いしてほしいと思っているひとは、悔い改めたほうがいい。

それでも、アニメだったり、南米に上陸した韓国の文化(K-pop)に興味があるひとがいるので、アジアに惹かれているひとはいます。

そういうひとたち、特にコロンビアの女性は、かなり積極的に話しかけてくることがあります。
道ばたで、バタバタっとやってきて、「ここで、何回か見かけたから」となることもある。(多分、首都ボゴタではそういうことはない)

コロンビア女性の方が、アジア文化や生身のアジア人に興味がある気がする。
一方、コロンビア男性は、ドラゴンボールやナルトなどアニメが大好きなわりに、アジア人の女性には強い興味を示さない。ような気がする。

というのも、彼女がいる男性は女性の前で「あのひと、かわいいね」とは言えないものの、女性は彼氏の前でも「あのひと、かっこいいね」と平気で口に出すからだ。

恋人と一緒にいるときに、コロンビア男性が「2人で写真を撮ろうよ」と言い出すことはない。
一方、コロンビア女性は、平気で写真を撮る。

こっちが無駄にはらはらする。

恋人がいることを前提とした世界では、恋の空席を見つけることが難しい??

コロンビアだけでなく、ラテンアメリカ全体の文化的な前提と思うが、恋人同伴で行動するのが普通。

恋人がいれば、ご飯に行くときも、夜ディスコに出かけるときも、誰かの誕生日会に行くときも、相手が実家に帰るときもついて行くし、連れていく。

だから、恋人(や2人で出かけることができる仲のよい異性)がいないと、ラテンアメリカの文化を満喫することは難しい。
それこそ、めちゃくちゃ社交的な日本人は違うかもしれないが、知らない異性といきなり抱き合うようにダンスをするのには普通抵抗があるし、相手が腰に手を回してきたり、自分が相手の腰に手を回さなくてはいけない状況に対して心の壁をつくってしまうのは仕方のないことでもある。

記事→コロンビア大好きな僕が唯一受け入れられない、”不快な”文化の違い。ダンスをしないと、雰囲気が乱れる?

それに、知らないひとしかいない場所に、我々日本人がいくと、立ち振る舞い方がわからないので、かなり居心地が悪く感じるだろう。

そういうとき、自分が心の壁をつくらない異性がいると、楽しめる。

好きな人だったり、片思いしている相手、仲のよい友だちなどなど
そういう相手は、コロンビアでは大切な存在だ。

恋人を連れているひとに手を出すと、最悪殺されかねない。
愛の世界に生きている彼らは、元恋人に対して暗殺者を送ったりすることもある。
色恋沙汰で毎年結構死ぬひとがいる。
だから、誰かの恋人に手を出すのは、いかなる理由でもやめるべきだ。日本でも

コロンビア人は恋人に対して最初から最大限の信頼を寄せるするから、「あれ、あんなにラブラブだったのに、別れたんかい!!」はよくある

路上や店内、人目の着く場所で、ハグをしたり、キスをするのは普通だ。
だから、ラブラブなカップルだなーと思うのだが、長いカップルだか、昨日付き合い始めたカップルなのかはわからない。

恋人を友人や家族に紹介することは一般的だし、自分の世界に連れていくことも普通。
「恋人になる」ということは、そういうように相手と自分のすべてをさらけ出して付き合うことを意味する。
だから、恋人になった時点で、相手を疑うことはあまりない。

徐々に心を開くということもなく、最初から全開でオープン。

それでも、コロンビア人のすごいところは、その「好き」という感情が持続することだ。

僕の感覚からすると、最初から100%の好意を寄せられると、「徐々に冷めていくのね」と先入観から思ってしまうのだが、彼らはそういうことはなく、ずっと好きでいる。
それが、『愛に生きる』ということなのか、と実感できる。

でも、別れる人たちもいるから、全員が全員最後まで ということはないのだろう

ほとんどがキリスト教徒なので、妊娠したら、子どもを産む

愛の形というのは、結婚という契りだけではありません。

日本では、「子どもを授かるのは、結婚をしてから」という考えがあります。
子どもを授かったから結婚をして責任をとる ということもあるかもしれません。

それが、我々日本人が考える、子どもに対する責任の取り方なのかもしれません。
覚悟を決めるという意味でもね。

でも、コロンビアでは、子どもがいても、子どもができても結婚という契りを交わさないひとが多いです。

日本に比べれば、性に対してオープンなラテン文化。
我々日本人の思考に沿って言えば、「かなり気軽に子どもを産みます」。

子どもを1人育てるのに、いくらかかるとか。
子どもを授かったら、自分のライフプランがどう変わり、どう変えていかなくてはいけないかとか。
先のことをあまり見通しません。

国民のほとんどがキリスト教徒であるため、子を授かって、中絶することは認められていません。
ということは、命を授かった時点で、生みます。
『愛に生きる』と言いましたが、家族愛も深いので、数世帯が一緒に住んでいるのが普通ですし、おじいちゃんおばあちゃんが孫の面倒をよく見るのも当たり前です。
両親と毎日電話で話すことも普通です。
昔の日本の田舎社会のようかもしれませんね。
その家族間のつながりも、心地よいモノです。

子を授かった時点で「産む」という選択肢しかないわけですし、子を授かるということは本来望むべきことなのですから、日本のように咎めらるような雰囲気はありません。
ネガティブな雰囲気が一切ないということです。

妊婦のひとたちにタクシーのあんちゃんが優しかったり、子どもに優しいのも、よい雰囲気だと思います。

さて、では、子を授からないために何かしているかというと、避妊具をきちんとつかうわけでもありません。

16~18歳くらいの子が、子どもを育てていることもよく見かけます。
それが悪いわけではありませんが、結婚という契りを結ばないということもあり、シングルマザーの数はとても多いです。
だから、子どもたちとスペイン語で会話をしていると、「お父さんだけど、そのお父さんではないの」みたいなナゾナゾがたくさんでてきます。

家族関係が複雑なんですね。

僕の身近なところにも、1例が。
女の子の両親が別れて、その子はお父さんについて行きました。
そのお父さんは、南米の他の国の女性と再婚して、そっちの国で生活することになりました。
女の子は、お父さんにはついて行かず、本来のお母さんのところで生活を始めることになりました。

この女の子とよく話すことがあったのですが、かなり気を遣う子になってましたね。
お父さんのことが好きだけど、なかなかお父さんの恋愛の邪魔はしちゃいけない。
でも、うまく立ち振る舞わなくてはいけないわけです。

こういう複雑なパターン、コロンビアに多いですね。
子どもがいても、子どもの人生は子どものもの、私の人生は私のものという考え方があるからでしょうか。
個人の幸せを優先することが一般的です。
日本でときどき仮面夫婦というか、子どもが成人するまでは離婚しないというような夫婦がいますが、そういう考えが彼らに深く理解されることはないでしょうね。
これらに良い悪いはありませんが

コロンビアで遊びたいと考えているひとは、必ず避妊具を利用した方が良いです。
デリケートな話題ですが、これだけは声を大にして警告しておきます。
もちろん、理由はほかにもありますが、性病なんかは自己責任なのでね。

日本人がモテるための6箇条

さてさて、日本人が日本人だからといってモテるわけではないので、
どういう日本人がモテるのかという点を整理します。

1)言語的にきちんとコミュニケーションがとれる。
2)雰囲気が暗すぎない。負のオーラをまといすぎない。
3)身体が鉛筆のようなひょろひょろは受けが悪い。
4)お金はなくても問題ない。
5)コロンビアに住む気がある。
6)心に壁をつくりすぎない。

1)言語的にきちんとコミュニケーションがとれる。

コロンビア、英語通じません。

もちろん、英語話せる人はいます。

日本でもそうですよね。英語話せる人はいますし、高校生や大学生でも、英語は話せます。
でも、そのレベルでとても仲良くなれるかと言われると、語学的な障壁ができてしまうのは想像に難くないでしょう。

日本語を話すことができる外国の人には、われわれもとてもスムーズにコミュニケーションがとれますよね。

こちらがスペイン語を話せないと、コロンビアでモテるのは難しいかもしれませんね。
日本語を話せる人も時々いますが、まぁ「モテたい」と思うなら、スペイン語はマストでしょう。

2)雰囲気が暗すぎない。負のオーラをまといすぎない。

コロンビアでは突然話しかけることも、突然話しかけられることも普通です。
バスで隣に座った人に、「どこまで行くの?」と日本のおばちゃんのような感じではなしかけても問題ありません。

ぼくも、飛行機の中で隣のひとが話しかけてきたとき、ずっと1時間以上会話してたりしました。

コロンビアではパーソナルスペースが狭いこともあり、相手に対して拒絶的な反応をされることはありません。
一方で日本ではパーソナルスペースが広いので、街中ですれ違うひとの雰囲気もかなり暗く感じるモノです。

もしコロンビアでモテたいのであれば、雰囲気を明るくして過ごすことを心がけた方が良いですね。
といっても、ただ単純に
人に話しかけられても対応するだけの心の余裕というか、
排他的に他人を排除するオーラを出さない。

福島のひとは結構良いオーラを出してますね。

人なつっこい雰囲気というのは、コロンビア人と仲良くなる上で大切なオーラです。

3)身体が鉛筆のようなひょろひょろは受けが悪い。

身体がひょろひょろのひとは、基本的にコロンビア人受けのど真ん中にはいません。

コロンビアの社会では、
男性は筋肉質でがっちり目のひと。
女性は女性らしい丸みを帯びた身体のひと。

細いひとが褒められることはありませんね。

表現は難しいですけど、細いからといってモテないわけではありません。
同じひとでも、細いか、中肉中背なら、中肉中背。
中肉中背か、がっちり身体を運動で引き締めているひとなら、間違いなく身体を鍛えてるひと。

それは日本では同じようだと思いますが、
日本の、たとえば嵐のような感じは、まだまだ細いです。
TOKIOのガテン系の感じというか、松岡とか長瀬の少し筋肉を感じさせる体型からようやく「コロンビアでモテる体型」カテゴリーにランクインです。

いまの日本でいうところの細マッチョというのは、コロンビアではただ細いだけ という扱いですね。
だから、コロンビアでモテたいなら、ご飯をしっかり食べて、身体をしっかりと鍛えた方が良いです。

ちなみに帰国直前のぼくは、
身長177cm
体重 75kg でした。
その体型でようやく「良い体になってきたね!」と褒められるようになりました。
simpatico 感じの良い というワードを初めて聞いたのもこのときでした。

コロンビアに降り立った当時は、
体重 67kg くらいでした。

日本にいた頃は、67kgでも太っているような感覚で、自分のベスト体重63kgくらいだと思っていました。
いまは、80kgくらいありますが、ベスト体重は77kgくらい。
身長ー100kgくらいが、男性がコロンビアでモテるための簡単な目安といった感じです。

gordo 太っている という意味の形容詞ですが、これはコロンビアでは褒め言葉で使われます。
細い人よりも、ふくよかな方がモテるのは事実でしょう。

ぼくは、このgordoをやはり日本人的に受け取ってしまっていたので、自分の意志で身体を大きくしていたのにもかかわらず、「太ってきてるね!(gordoになってきたね)」と言われると、ちょっと嫌な感じがしました。
彼女たちは褒めてくれていたんですけどね。笑

女性も、みなさん身体のラインを出すために、運動をしていますね。
男女問わず、食事制限をすることはありませんので、身体を鍛えているひとは良い体で、運動をしない人はぶくぶく大きくなっていきます。
それでも、自分の幸福感を優先するので、ダイエットに励む雰囲気が全くないのも、端から見ていると面白いモノです。笑

日本人女性で、お尻が大きいとファッションの幅が狭くなるせいか、小さいお尻であることを望んでいる女性がいますが、コロンビアでは身体こそが最強のファッションです。
だから、コロンビア男性は、女性のお尻が大きいことを褒め言葉として指摘します。

悪気はないので、大目に見てやってください。
そういう意味では、日本社会のセクハラレベルは、コロンビアでは容易に超えてくるので自分の尺度には余裕を持っておいた方が良いです。

ダンスの時に、腰に手を当てられることが嫌な日本人女性は多いと思いますので、そういうときはきちんと指摘した方が良いです。
場面によっては、(日本人的には)完全なセクハラになることを平気でやり始めたりもします。
異文化を楽しむことも大切ですが、どの部分の異文化を受け入れることができないのかを理解し、主張することも長い間生きていくためには大切なことです。

4)お金はなくても問題ない。

海外で日本人がモテるという話を聞くと、「どうせお金目当てでしょ?」と思うかもしれません。
でも、日本国内でも、結婚する際に相手の年収を気にするひと、増えてますよね。
年収が何百万円以上が良い とか、何千万じゃないとダメだ とか。

正直言って、コロンビアの社会のほうが、日本国内よりも、お金のことを気にしません。

愛に生きてますからね。

お金は生きていくために必要なのであって、お金のために生きているわけではないわけです。
だから、お金をせびられることもありませんでした。

日本人的にデートをしようとするとイタリアンとか行く感じになりますが、そこでビールとか飲んでだべってれば、たくさんのことを知ることができます。
相手があまりお金を持っていない場合、すべてを肩代わりする形になります。
まぁ、そういうところは日本でも同じですよね。

また、コロンビアでは誘った人がお金を出す ような雰囲気があります。
相手が誘ってきたら、ある程度は相手が出してくれるでしょうが、こちらが誘った場合、すべてを支払うくらいの気持ちで出かけていった方が良いです。

コロンビアでは、きっちり割り勘の概念はないです。
今回多く出してもらったら、次多く出せばいい。それだけです。

それに、レストランとかならまだしも、2,3本のビールとか、コーヒー程度なら、友だち同士でもおごりおごられの関係が普通です。
「別々のお会計で」とかはなし。

次おごられる機会があるかどうかはわからなくても、自分が他の人におごってもらうこともあるのですから、恩はまわしていきましょう。

ちなみに、コロンビアでは月給10万円稼いでいれば、そこら辺を歩いているひとの2倍はもらってます。
*ボゴタは給料も良いと思います。

子どもを養育するためには、月給15万円あれば余裕だそうです。
ちなみに、ぼくの親友は彼女と二人暮らしで、彼女が学生だったときに、食費も家賃も彼だけの給料でやりくりしていましたが、そのときの彼の月給は3万円以下でした(2万7000円くらいかな)。

とくに学歴が専門性を担保しているので、専門大学校卒で2万7000円で、大学卒(普通5年制)を5万円くらいになります。
ぼくの職場だとね。
NGOだったので、一番もらってるひとでも月給6万円くらいでしたね。

月10万円というのは、コロンビアの地方都市で暮らす上でかなり良い生活ができる額ですよ。

コロンビア人はお金のことをあまり気にしないので、逆に言えば、お金でコロンビア人を釣ることはできないでしょうね。
お金になびかないわけではないと思いますけど、愛に生きるってそういうことではないわけです。

シングルマザーのともだちがいますけど、月々の養育費3000円しか仕送られないらしいですよ。
あとは、全く払わないとかね。

だから、月々1万円送ってくれれば、子ども育てるよ みたい聞き慣れないワードがありました。

5)コロンビアに住む気がある。

ほとんどのコロンビア人は、日本に連れてきたり、日本の社会で働くのは難しいです。
家族とのつながりが強い分、家族と離れて暮らすことに耐えられません。

というか、家族と離れて過ごすということを想像したことがないでしょうから、なかなか難しいでしょう。
日本では1人暮らしをしないと、「独り立ちできていないひと」というレッテルを貼られがちですが、コロンビア人は基本的に家族と離れて過ごさなくてはいけない場面でも、親族の家に居候したり、兄弟がいるところにお邪魔したりします。

だからこそ、日本に連れてくるのは、結構むずかしいでしょうね。

日本に連れてくるには、英語が堪能なだけではやはり難しいですし、日本語を覚えなくてはいけないですかね。
そこまでの何重もの障壁を乗り越えられる実力と、乗り越えるための努力をするに値する想いがないと不可能でしょう。

だから、コロンビアに住む感じが大切ですね。

もしかしたら、日本にいるコロンビア人のひとが気になるひともいるかもしれませんが、そういうひとはそのひとの努力を認めてあげることが大切です。

6)心に壁をつくりすぎない。

コロンビア人と過ごしてみると、自分自身がどれだけ心に壁をつくっているのかが、鏡のようにわかる。

「相手は壁をつくっていない」ことがわかるのに、自分と相手との間に壁がある。

それはもう、自分自身で作り上げている壁です。

日本では図々しい行動くらいが、コロンビア人にとってはちょうど良いです。
そのくらいでようやく相手を頼る、相手を信頼するという間柄になります。

たとえば、家にお邪魔して「リラックスして良いよ」と言われたら、ソファできちんとくつろぐ。
コロンビア人が大切にすることは、もてなしている相手が心から幸せを感じてくれているかどうか。

これは、建前ではない。

だから、「リラックスして」と言われたのに、椅子の上でかしこまったまま座っているとリラックスしていないように見受けられてしまい、「居心地が悪かったのかな」と思われてしまう。

ときどき、友人が自分のフライドポテトを奪ってきたりするが、それはそういう距離感で接したい現れでもある。

知らないうちに自分がつくっている心の壁を意識してみるようにすると、相手が自分に対してどのくらい壁をつくりたがっているのかがなんとなくわかってくる。
それは、心に壁をつくらないコロンビア人と過ごしてみるとすごくよくわかる。

相手の好意に甘えることは悪いことではない。
だから、その好意を受け止めて、その好意があまりにも大きすぎるなら断れば良い。
その好意は他の人にまわしていきましょう。

おまけ:ダンスができなくても大丈夫だけど、できるならできるに越したことはない

中南米と聞くと、カーニバルのイメージが強く、女性は肌の露出が(日本人と比べると)多めで、男性はビンビールを呑んでいるイメージになる。

それと、ダンスという文化はコロンビアで生活する上で避けては通れない。
これは、モテるモテないにかかわらず、文化として避けることができないという意味だ。

もし貴方が女性なら、コロンビア男性からたくさんダンスに誘われるだろう。
日本でいうところの、新年会や忘年会、社員の昇給、誕生日会などのときは踊る。
それはそれはよく踊る。

文化的に踊るのだ。
だから、自分が望まずとも、意外なほど「踊る機会」が文化的にやってくる。

ぼくは最後までダンスが好きではなかったけど、下手なコロンビア人と同じくらいは踊れた。

コロンビア大好きな僕が唯一受け入れられない、”不快な”文化の違い。ダンスをしないと、雰囲気が乱れる?

南米におけるダンスというのは、誰かに見せる物ではなく、踊っている2人が楽しければそれでいいので、うまく踊る必要はない。
外国人がいたら、ダンスに誘ってくるのは、彼らの社交性からしたら当然の成り行きだ。

でも、僕の同僚のドイツ人は、ダンスが嫌いだったから、断固として踊らなかったし、誕生日会でもダンスが始まるとそそくさと帰っていた。

コロンビア人的に言えば、「踊りたければ踊ればいいし、踊りたくないなら踊る必要はない」。
でも、文化的に最低限踊ることは必須なので、ダンスになれる必要はあるだろう。

ダンスができないからモテない ことはあっても、
ダンスができるのにモテない ということはなさそうな気がする。

ときどき日本人が踊っていると、ほかの知らない人にまわされることがある。
僕がひとりの友人と踊っていると、「アジア人の彼と踊りたいわ!」みたいなひとがいて、僕の了承を得ずに、ぼくのパートナーと話をつけて、くるくる回っているときに、急にパートナーを変えられることがある。

そういう文化を(ある程度までは)寛容に受け入れるのは大切だが、体が密着するので、スリなどには十分気をつけて楽しめば良いだろう

簡単に言えば、
スペイン語・身体を鍛える・心の壁をつくらないの3つだけ

コロンビアのひとはとても優しい。
嘘までとは言えない小さなことで言い訳することはある。

それは自分を大切にしていることでもある。
自分の幸せや幸福感というのをとても優先する。
だから、相手の気持ちをくみ取ろうくみ取ろうする我々とは、感覚的に違う部分がある。

それでも、明るく過ごし、将来に不安を感じず、今を幸せにすごそうとする姿勢は一緒にいて非常に心地よい。

だから、コロンビアの女性が美人か美人でないかは、コロンビア女性を好きになる口実に過ぎないことをとてもよく理解できる。
なぜなら、写真から伝わってくる情報は、表面的な部分だけだからだ。

コロンビアの女性はとても優しく、女性らしさを大切にする。
お姫様として扱われたいひとよりも、女性として男性をしっかりと喜ばせたいひとが多い。

男性はもちろん女性をしっかりと女性として扱う。
だから、男女の関係は非常にバランスがよく、どちらかに寄りかかったり、どちらかが一方を評価するような関係ではない。
男性が女性のことを悪く言うことはないし、女性が男性を悪く言うこともない。

そういう意味では、恋愛において男女のパワーバランスの乱れはなく、お互いをきちんとリスペクトする。
恋愛に対するその平等感は、日本では感じたことがないものだ。

『愛に生きる』という意味では、彼らの方が一歩も二歩も前を歩んでいる気がする。

コロンビア人にモテたいのであれば、
彼らとコミュニケーションがとれる言語をきちんとマスターする。
まぁ、言葉でよくコミュニケーションとれなければ、仲を深めることが難しいですからね。

彼らと話していると、「地球の裏側」ほどの違いをよく理解できます。
だから、訊いているばかりでなくて、こちらも情報を出していかないと、相手は100%勘違いしていきます。
コーヒーやビールを飲んで、談笑することは彼らの基本です。

コロンビアでは、「コーヒー飲みに行きましょう」がデートの誘い文句のようです。
その誘うこと、誘われることは悪いことではありません。

日本のように不審者扱いされることもありません。

気になるコロンビア人の方がいるなら、結構ガツガツ誘って問題ありません。
相手が嫌ならきちんと嫌な雰囲気を醸し出してきますから、それを察しましょう。
でも、それで対応を変えるのは、ちょっと違います。

恋人になることが目的ではなく、素敵なひとだから恋人になりたいと思ったわけですから、その人との人間関係を0にするのは違うと思います。私情です。笑

スペイン語と身体だけは自分で鍛えることができますね!
特に、身体に関しては、日々の運動や筋トレで結果が出ますから、弱音を吐かないようにしましょう。
かといって、頑張りすぎる必要もありませんが。

日本人が男女に関わらず、コロンビアでモテるには、心の壁を自由自在に扱えるようにした方が良いです。
誰彼かまわず壁をなくす必要はありませんが、壁をつくりたくない人の懐にきちんと入り込むように心がけると良いかもしれませんね。


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Chaito

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. By 日本のラテン系

    懐かしくなりました。そして何気に冷静に葛藤して、冷静にアクションし、日本人としての壁の取払い方をここまで赤裸々に書いたネトキジは見たことがない。それくらい忠実だし、ラテンの世界に住む人への教科書。ぜひ出版してほしい。
    お金をせびられなかったということは周りの人たちはいい人たちに恵まれてる!

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