「お月様を見上げてみる」:コロンビアが満月なら、日本も満月
昨晩コロンビアでは満月だったのだろう。
とてもまんまるな月がカーテンを開けると、朝日に照らされていた。
数年前、アメリカにいる友だちに訊いたことがあった。
「日本は満月だけど、ニューヨークも満月なの??」
単純に興味があったのだ。
雲の動きや空の雰囲気が好きなぼくは、月が目に入るような位置にあるときには必ずこの質問を思い出す。
とても素朴だけど、世界が広がった現代だから感じる疑問だろう。
パソコンから見ている方は、このコロンビアの歌姫シャキーラの爽やかな曲と共に読むと良い感じ
*これからは、記事に合った1曲を毎回入れていきます。
スペイン語の曲は、ここでまとめてドバっと紹介してます。⇒⇒ カテゴリー「ラテン音楽」
満月のは、もちろん「同じ日」だ
答えは簡単だ。
われわれはどこにいても、地球に生きている。
だから、地球の表面で生きているうちは、「同じ日」に満月は現れる。
月の見え方は、地球ー月の距離によって決まるからだ。
だから、世界のどこでも、自転公転の関係によって違うことはない。
でも、時差がある。
だから、「同じ日」と言っても、全く同一の日ではない。
いま、コロンビアの19時で満月でも、その時間日本は次の日の午前9時だから、同じタイミング、同じ日には月を見ることができないのだ。
そのため、正しく言えば、コロンビアで満月であっても、日本では前日の夜満月だったりするわけだ。
自然科学は世界中のどこでも応用できる学問なので、好きだ。
国という区分は人間が勝手に分けた区分であって、自然は繋がっているし、地球はひとつなのだ。
おまけ
カレンダーがこの世に生まれるまで、人類は太陽暦や月歴で月日を数えていた。
その当時は、今のような”グローバル社会”ではもちろんなく、部族単位や小さいコミュニティで暮らしていた。
だから、その月暦が機能していた。
なぜなら、ごくごく小さい地域から見える月は、必ず同じだからだ。
人間の移動など、地球ー月の関係からしたら、存在しないようなものだ。
でも、もしその時代にほかの国のひとやほかの大陸のひとと、コミュニケーションが取れる手段があったとしたら、『約束の日』は1日前後にずれてしまう。
なぜなら、「日本の満月の日」と「コロンビアの満月の日」は、厳密には1日のタイムラグがあるからだ。
日本人は時間にきっちりしているから、その『約束の満月の日』に連絡をとろうとしても、その日はコロンビアの月歴では『約束の満月の日』の一日前なのだ。時差ももちろんあるけどね。
われわれが眺めている月を、江戸時代のひとたちも、縄文時代のひとたちも、ホモサピエンスも眺めて思いにふけっていたと考えると、とても不思議な気持ちになる。
朝起きたら、部屋から綺麗な満月が一日を迎えてくれた。
些細なことだけれど嬉しかったので、ほかに書き溜めた記事を飛ばして、今日はこの記事にしました!!
日本でも夜は、満月のような月が見えると思うので、眺めてみてくださいな
今週と来週は、活動の追い込みもあって、書き溜めながら簡単に紹介していきますね
Chao
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