コロンビア大好きな僕が唯一受け入れられない、”不快な”文化の違い。ダンスをしないと、雰囲気が乱れる?
ラテンに来た人がぶつかる壁、ダンス。
身体を密着させるとか、パーソナルスペースがどうとかそんなのは慣れればどうにかなる。
問題ではない。
心を開かないと「踊りたくない」ぼく
踊ることが当たり前の社会に放り込まれて、それでもぼくが踊りたくないとき、泣きたくなる。
目次 Índice
一番嫌なのは、「『踊らない』という選択肢がない」こと
身体を密着させるダンス。
最初は抵抗があっても、慣れと共に抵抗がなくなってくる。
だから、最初のうちは恥ずかしいと思うが、大きな問題はパーソナルスペースの違いではない。
ぼくがもう「これは嫌!!」って言いたいのは、踊らないという選択肢が与えられないこと。
ホームステイ先の誰かの誕生日会に参加したとき、たくさん人を招待するし、親族の多くが集まるので知らない人ばかりである。
基本的にコロンビア人は、踊ってお酒を飲むためにパーティーをするので、そのときも例に漏れず、ダンスが始まった。
ぼくは「ダンス」に興味はないので、基本的に音楽を聴きながらアルコールを飲んで、みんなが踊っているのを「変わった文化だな~」と思って横目で観察しているだけで満足だ。それだけでうれしい。
でも、毎回誰かに「あそこに座ってる子を誘って踊りなよ」とそそのかされる。
それは別にいいのだ。
踊りたいときに、踊りたいと思う人がいれば声をかけて踊ればいいだけだから。
でも、踊ることが当然であるこの世界では、「踊りたくない」という理由が理解されない。
だから、その辺に座ってみんなが踊っているのを横目に見ていると、「踊らないなら、ここに居る必要ないから」とわりと本気のトーンで言われる。
これは僕のスペイン語翻訳が悪い可能性もあるが、間違いなく高圧的な感じでこうに感じる。
ときどき陽気な人たちだけでホームパーティーをすると、
言い方がまずいかもしれないけど、疑似性行為みたいなダンスをし始めるときがある。
(**太ももと太ももがぶつかるくらいの密着感は「普通のダンス」。)
ビールのボトルを地面に踊って、女性がそれをまたがって踊る。
女性を地面に寝かせて、男性がその上を舐めるようにセクシーに踊る。
ペアを椅子に座らせて、ポールダンスみたいにもう一方が踊る。etc.
ぼくは「下品だな」と素直に思う。
というかそういうことを家族や親族間でできるのも、素直にすごいなと感心する。
そういうダンスが、円を作って、ペアで順番に回ってくるときがあるときは、最高に不快だ。
でも、それが一部の彼らにとっては、下品ですらないのだ。だから、難しい。
ちなみに、自分の子どもがその場に居ても、お構いなしである。
ぼくが30歳くらいの2児のママといたとき、その女性がぼくとダンスをしたがった。
そのときに、そういう流れになった。
子どもも面白がってそれを見ていた。
文化や価値観というのは、こういう風に育まれるんだなと素直に感じたときだった。
ぼくは「踊ること」に楽しさを全く感じない。
「コロンビアの女性と合法的に密着出来ていいね。」そういうイメージをダンスに対してもっている日本のひとがいるかもしれない。
まったく面白くもない。
というか、映画館並みの爆音とともに、うす暗いお店のホールみたい踊り場で、ハグをしながら踊ることの何が楽しいのかわからない。
友だちが連れてきた女友だちと踊っても、それほど嬉しさを感じない。
「文化を体感しよう」という感じで、なかば強引に行ってる感じだ。
(日本に来たから、お箸を使うのに挑戦しよう。みたいなものだ)
友だちも、「今日夕方○○に集合しよう」と言うだけで、お酒を飲むのか、ハンバーガーを食べに行くのか目的をぼかして誘ってくる。それが、僕と彼ふたりであることもあれば、彼の彼女がいたり、彼の友人6人くらいが一緒だったりする。
結構めんどくさい。
「べつに、ハンバーガー食べて帰るだけでいいんだけど。。。」と思うのだが、だいたいディスコテカに行く。
この流れが嫌いである。
これを何回伝えても理解されない。
『女の人と踊らなくて、これ以上何をしたいって言うんだい!!!!!!!!!』という世界だ。
正直コロンビア人がダンスしているときや、ダンスを誘ってもらうまで待っているときに何を考えているのかわからない。
まったく理解できない。
ぼくらはそういう文化を持っていないからだ。
なんのために踊るの?
なんのためにそんなくっつくの?
踊ることの何が楽しいの?
これはいまだにわからない。
彼らも僕ら日本人が踊らないことを理解できない。
「踊らないで何しているの?」と聞かれる。「ご飯食べながら、話すんだよ!!!!!!!!」って思う。
これだけの文化の基盤の違いがあるのだ。
踊るのが当たり前なのに踊らないやつがいたら、「アイツは何を考えているんだ。踊れよ」と思うのだ。
この文化的な”前提”がかなりきつい
きついと思えるようなことを経験できていると、ポジティブに捉えることももちろんできる。
でも、その場に居合わせたときの感情ったらない。
自分がその場の雰囲気を壊しているようで、泣きたくなる。
若い男は、必ず女性を誘わなくてはならない
そもそも、僕は心を開いた女性としか踊りたくない。
ぼくはパーソナルスペースが広い方なので、信頼を得ていないひとに体を触れられるのも好きではない。
日本では、「そんなこと当たり前だろ。なんだ、信頼を得ていない人に体を触られたくないって。触らせるなんてありえないだろ」というのが普通のリアクションだ。
でも、ダンスをするときは、初めてあった人とも密着する。ハグをしながら踊ると考えてもらって、問題ない。
自分が信頼を得ている女性とダンスをするならともかく、興味もないひととダンスをしてもおもしろくない。
言い換えれば、「踊りたいな」と思う人もいるし、思うときもある。
そういうときは、自分の気持ちに応えるべく、その女性を誘えばいい。
このダンス文化、男が女性を誘わなくてはいけない。
女性は踊りたくても、あまりそれを表さない。座って、誘われるのを待っているのだ。
だから、日本人女性はほぼ100%踊れる。踊りに誘われる。
なぜなら、コロンビアの男性が誘ってくれるからだ。特に、踊り慣れたおじさん。
「アジア人女性と踊れた」ということ、「アジア人女性をダンスで楽しませることができた」ということが彼らにとってはうれしいのだ。そういう文化圏だから
一方で、われわれは、「アジア人と踊りたいけど言い出せない女性を、こちらから誘ってあげなくてはいけない」。
しかも、ぼくは踊りたくないと思ってる。
だから、めんどくさいし、この文化だけは慣れない。
ダンスが好きではないコロンビア人もいる
ダンスを踊ることのハードルを、僕が勝手に高くしているのはわかっている。
頭のなかではわかっている。
それでも、そもそもダンスを楽しいとも思わないのだから、仕方ない。
もちろん、ダンスが嫌いなコロンビア人もいる。
ぼくはそういう人が好きだ。そういうひとたちは、とても落ち着いていて、会話中も相手の話に耳を傾ける思慮深い人が多い。
落ち着いた人たちで、アルコールを飲みながら話をする。
なかには、宗教的に、アルコールも飲まないし、ダンスもしないという人たちもいる。
「踊りたいなら、踊ればいいけど、踊りたくないなら、踊らなくていいんだよ!」という当然の言葉が心の奥に良く染みる。
当然のことなのだけど、
ぼくは『郷に入っては郷に従え』精神を強く持ってしまって、周りの目や雰囲気を悪くしたくないという気持ちが先行してしまう。そういうとき、周りの雰囲気に流され、自分の気持ちを犠牲にしてしまう。
良くないことだ。
コロンビアに慣れた!!と思った矢先、ふたたびダンスという文化の障壁にぶつかって、「俺、コロンビアの文化に馴染めないかも。。。。。」とダンス文化だけで、意気消沈した自分がいる。
そんなとき、タイミングよく、インドネシアの友だちから連絡が来る。
『俺は、コロンビア人よりも、インドネシア人とのほうがリラックスして過ごせるのかも。。。」とこの4年間を光速にフラッシュバックする。
無論、ぼくがパートナーを連れていれば、話は別だ。
好きな人と一緒にダンスができれば、それはそれはとても楽しい時間だろう。
これは、あとで記事にするので
⇒
ダンスという文化。これだけはぼくは今後一生慣れない気がする。
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