第13弾:訓練所で「公人」は耳タコ。公人になりたくないなら、青年海外協力隊員になるべきではない
青年海外協力隊員は、公人である。
公人は公人らしい節度ある言動を!
あなたは「公人」に耐えられますか?
訓練所にいくと、公人という聞きなれない単語をよく聞く。
聞きなれない単語だからこそ、よく耳にも残る。
公人とはなんだろうか。
それは訓練所で学ぶことである。
そして、任地に行ったら公人であるということを意識して過ごさなくてはならない。
では、この公人というのは、足かせになりうるのだろうか?
ぼくにはならなかった。
ぼくには、公人という称号は、自分に箔をつける肩書でしかなかった。
もし、「公人」というのが嫌いなら、協力隊にはならないほうがいい。
むしろ、「公人」が嫌いなら、協力隊にはなれないから安心してください。
訓練期間中にJICAやJOCAのスタッフさんに「辞退します」と言えば、協力隊の候補生から辞退出来ます。
2年間任地に派遣されるまえに、向いていないことが分かってよかったですね!!
また、「公人」という肩書は荷が重いのであれば、協力隊になるべきではないでしょう。
国の税金で実施されている国際協力事業です、青年海外協力隊事業は。
協力隊=公人になることは、応募時からわかっていることです。
いろいろな制約がある青年海外協力隊です。
ですが、この事業に参加することは強制ではありません。
国際協力を志すために必ず経験しなくてはいけない わけでもありません。
協力隊のルールに沿えないのであれば、応募しない。辞退する。
これは賢明な判断ですね!!
協力隊のルールを守れば、立派な「公人」
「公人」という単語に押しつぶされそうになるひとは考えすぎです。
普通に生活しているうえで、公人か一般人かが問われることはありませんよね。
それは協力隊員もおなじですし、候補生もおなじです。
・パスポートが公用旅券であること。
・青年海外協力隊事業の一員として、協力隊事業のルールを守ること。
これだけです。
座学や訓練所生活で、「公人」という言葉をたくさん聞くでしょう。
でも、その言葉を意識しすぎる必要はありません。
というのも、公人であることが重要なわけではないからです。
協力隊という身分は、必然的に公人にならざるをえないわけです。
協力隊のルールを守ってさえいれば、それすなわち、公人らしい言動になるわけです。
ですから、「公人」という単語に過度に押しつぶされる必要はありません。
勝手に、空想の世界で「公人」を大きな存在にしてしまうのも問題です。
一度そういうことが気になってしまうと、意地になって「公人ってなんだよ」「私は公人の枠には収まらない人間だ」とか考えてしまうかもしれません。
でも、協力隊員が公人という身分であることは事実です。
きちんと公人であることを意識した言動を取りつつ、等身大の「公人」を理解しましょう。
あなたが経験してみたかった青年海外協力隊。
そのルールを守れば、それで十分公人なのです。
協力隊事業は5万人ほど、公人を送り出してきました。
特別だけど、特別ではないのです。
公人であるということは、正式な身分であるということ
ぼくは公人という肩書が好きでした。
なぜなら、それだけしっかりとした身分だから。
2年間途上国で暮らすことはあっても、
2年間途上国の日本企業で働くことはあっても、
2年間国に認められた公人として、正式に国際協力を行うことができることは特別です。
この肩書はあくまでも肩書で、中身は隊員自身が創り出すものですが、この正式な身分というのは隊員の背中を押してくれます。
きちんと、「日本」という国を背負って、活動に励む。
それがひいては、国際協力につながるわけです。
ぼくはそういう身分に惹かれました。
国際協力に興味があったぼくは、外務省のJICAの青年海外協力隊に参加することで、正式な経歴が欲しかったのです。わかりやすいですしね!!
それに、協力隊OBOGは、JICAサポートによって国連へのボランティアにも行きやすい。
国際機関で働くための条件「現地での活動経験2年間」をそのまんま満たす、協力隊のオフィシャルな2年間の派遣期間。
これだけで魅力的です。
ぼくにとって「公人」は、プラスに働くことはあれど、マイナスに働くことはありませんでした。
おわりに
公人であることは、特別な人間になるわけではありません。
それに協力隊員は2年限定です。
青年海外協力隊の隊員になるということは、公人になることも含んでいることを理解すると、また違った協力隊のイメージができてくるかもしれませんね。
何事も「等身大」を理解することは大切なことです
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