協力隊員の現地における視点の変遷:山あり谷あり 【2年間のカレンダー】 【期間特集第2弾】
青年海外協力隊の活動期間について紹介しました。前回の記事
それでは、実際にどのように2年間というときが流れるのでしょうか。
今回は、2年間という期間での僕の心境の変化を紹介します。
*書いている現在は、1年と10か月目です。もうそろそろ、帰らなくてはいけません。。
コロンビア隊員の場合、最初の1か月間は首都ボゴタで語学訓練の期間になるので、簡単に。。
ボゴタは尋常じゃないくらい栄えてます!!
何の前情報もなしにコロンビアに来れば、「これ、青年海外協力隊派遣する必要ある??」って感じると思います。
感覚としては、東京と同じレベル。物資もインフラも
貧困格差が大きいので、危なそうなひとは多いですが、とても整理されています。
標高が高く涼しいので、みんな上着を着ています。そのため、よりエレガントに見えます。
ほしいモノ、なんでも手に入ります。日本のカメラ、電気機器関係は問題なく手に入りますし、その辺のスーパーに売ってます。
任地に着いて、同僚と顔を合わせて、職場や自分が働くことになる農村を知るところからまず始まる。
全く知らない世界を知ることになるので、自分が動くだけで発見があり、時がたつだけでその変化が楽しく、何をするにしても毎日が明るく見える。
ぼくはコロンビアに来て、同僚たちの働きぶりを見て、「想像していたよりもとてもしっかり働いているな」と感じた。
時間にルーズといっても、30分~1時間程度。
スペイン語で話しながら仕事しているけれど、基本的にきちんと自分の定位置でパソコンで仕事している。
この時期は、本当に慣れるだけの期間。語学的にも
どれほど目を凝らして観察しても、表面しか見ることができず、その根底にある理由や考えなどは全く理解できない。理解しようと頑張っても、表面の部分の違いが大きすぎて、中まで覗くことができない。
だから、目に見える違いを中心に、理解を深めていく。目に見える違いから、文化の違いや考え方の違いを推測していく。
スペイン語も集中しないと内容を正しく理解できないし、新しく出会う単語ばかりで頭をフル回転させないといけない。
そのため、語学と発見・考察ですごくよく頭をよく使った記憶がある。あと、すべてが新しすぎて、居心地の悪さを感じ、いろいろな場所に積極的にいくのがおっくうになった時期もあった。
ちなみに、ぼくはこのころは、同僚に付いていって各農村に訪問していたので、毎回その気づいたことや農村ごとの農業技術の特徴・レベルなどをまとめた分析レポートをスペイン語の勉強を兼ねてシェアしていました。
量もA48枚程度だったから、本当に少しだけだけど、それをしたことで同僚は今でもぼくのことを「良い分析者」と呼んでほめてくれる。個人的には、「良い農業技師」と呼ばれたかったんだけど、まぁそのよそ者の冷静な視点が役に立っているようなので、呼び名はあまり気にしていない。
最初はA48枚書くのに半日かかったのが、徐々に2,3時間でおわるようになり、スペイン語の伸びを面白いくらい感じた時期でもあった。
僕の場合、自信を持って人前で話せるようなレベルのスペイン語になるまで、9カ月間くらいかかった。
この最初の半年間は本当に、「知る期間」「観察期間」「スペイン語習得期間」「自分の貢献可能分野を周知する期間」だった。
これは、職種の性でもあると思う。
野菜栽培隊員として派遣されているぼくは、「自分が協力できる点」をみつけるために観察に時間を費やすしかなかった。
まずは、相手のレベルを知らなくてはいけないし、考え方を知らなくてはいけない。
農業技師が2人働いていて、その2人のレベルがとても高かった。だから、彼らが農家さんに指導している内容を知る必要があったし、その説明のレベル(説明の仕方)から農家さんのレベルを学ぶ必要があった。
農家といっても、コロンビアの農家さんがどのくらい仕事に打ち込みたいのか、どういうものを目指しているのかそのビジョンを理解しなくてはならない。
気候や土壌はどうか。
どういった管理を意識して行っていて、どういった管理を無意識に習慣的に行っているのか。
何を考えていて、何を考えていないのか。
農家さんはどういったことを具体的に求めていて、その背景にはどういう理由や原因があるのか。
日本のやり方とコロンビアのやり方にどういう違いがあって、どちらのどういう部分をより活かすべきなのか。
彼らが実践していることで優れている点はどこで、どういう点なら障壁少なくすぐに改善できる可能性があるのか。
などなど
相手の現状を知らなくては何もできないので、観察者や分析者にならざるを得なかったのだ。
だからこそ、その「ぼくフィルターを通した農業技術視点」をシェアする必要があった。
こんな感じで、最初は「知る・理解する・違いを発見して、その理由を現地の感覚にすり合わせる」期間だった。
周りの対応もウェルカム状態で、活動は新たな発見ばかり、スペイン語でずっと会話するのにつかれた時期でした。
年末年始の12月1月は、予算の関係でぼくの配属先はあまり大きな動きがとれないので、必然的に活動は落とし気味になりました。
このころになると、配属先で働くことにも慣れ、同僚一人一人がどういう行動を取っているのか、またどういう意見を持っていて、誰と仲が良いのかが見えてくる。
少しずつ、目に見えない部分も理解できるようになり、かえって目に見えるモノには飽きてくる時期。
「同僚がとてもよく働いている」と思っていたのが、「働いているように見えていただけ」であることに気づき、徐々にシンデレラタイムが終わりを迎える。
最初のころに、パッと見た感じでポジティブに捉えてきたものが急に張りぼてに見えるようになる。
一目惚れから目が覚めたような感じだ。
見えていなかったところまで見えるようになったので、お花畑からコンクリートの世界に帰って来たような感覚になったが、コンクリートの世界こそが現実の世界なので、それを冷静に分析して、そのギャップを「伸びしろ」「ポテンシャル」としてとらえるようになった。
活動では、徐々に自分が協力できる分野を見つけて、自分の意志で積極的に動き始めた。
最初に農家さんたちに、タネを蒔いたのもこの時期だ。ワークショップの前段階の「協力できることの紹介」をして、モデル菜園づくりを始めた。
配属先よりも、農村に足を運んで特定の農家さんたちと長い時間を共有した。
配属先や所属プロジェクトでの同僚の働き方は理解できていたし、配属先でパソコンとにらめっこしていても新たな発見が少ない時期に差し掛かっていたので、頻繁に農家さんと働いていた。
配属先内での気づきから、農家さんたちの考え方・働き方分析に移った時期でもあった。
その点、配属先と農村という2つのフィールドを持っているぼくは、気持ちの引継ぎがしやすかったかもしれない。
案単に言えば、「活動が停滞したら、別のフィールドで新たな気づきを得て、ソレを基にフィードバックする」。
この繰り返しだった。
このころになると、どのような点なら自分が貢献できるかを考え始める。
自己満足ではなく、対象農家さんが自分たちでやってくれるように願いながら、活動をする。言うならば、対外的な成果をあげたいとすこし焦り始める時期でもある。
この段階(活動期間の4分の3が経過するころ)に、何かしらの活動の成果らしいものが目に見えてくると気持ちがとても楽になる。
また、1年以上経って、活動期間がカウントダウンに入るので、すこしずつ気持ちが「終わり」に向かい始める。
逆算でどういう活動をしていくかを描くが、なかなか思い通りにいかない。でも、残り半年近くあるので焦りもしない。
ボランティア個人個人のやる気によって、活動成果の開きがでてくる時期でもある。
この期間までにある程度納得のいく成果を挙げることができていると、すこしペースダウン気味になるようである。だから、だれずに、何かしらの活動を続けていくことが大切だ。
1年目の時期の「嫌な部分に気付いてしまうアンテナ」はそのまま兼ね備えているけれど、「コロンビア人」と人くくりにできないことに気づき、その個人の違いが面白く感じる。だから、自分に合うひと、合わないひとが理解でき、私生活が充実してくる。
仕事詰めの毎日から私生活へ割く時間を求めるようになり、活動(仕事)で気張ることがなくなり、余裕が出てくる。
この時期が最も、現実を理解したうえで残りの活動期間に焦りを感じずに、いろいろできる充実した期間。
任地のひとをよく理解し、良いところ苦手なところを把握したうえで、それでも活動したいと思うことができれば最高だろう。
基本的に活動は、2年間の活動対象者とは限らずとも、その任地や現地のひとを好きにならないと身が入らないと思う。任地の街に閉じこもるのではなく、その国のいろいろな場所を旅行することで、任国全体の雰囲気を知ることができる。
周りから見たら「遊んでいる」ように映るかもしれないが。協力隊員にとって旅行は必要不可欠な時間だ。
ひとつの街に活動の都合上、隔離状態になっていたら、閉鎖感が出て、心も荒んでくる。そこは理解願いたい。
ぼくはこの時期にいます。
だいたいね~、きちんと計画を立てても、ソレ通りに進まない。
だから、本当は4月までに終わらせたかったものが5月まで延び、旅行もしたくて、私生活と活動のふたつが同時に忙しくなる。
この時期になると、「日本への帰国」が頭のなかに大きく存在し、無駄に日本食が恋しくなったりする。
その一方で、派遣国のなかで一番の古株隊次になるので、いろいろな場面で「ああ、もう帰るのか~」と感じる。
現職参加の人たちが1年9ヶ月目あたりで先に帰国したので、「そろそろ活動を閉めなくてはいけない」と思う。
でも、まだ意外と3か月くらい残っているので、あまり焦らない。焦るのは残り2か月間になって、カレンダーを2度めくるだけで帰国日が見えるようになってから。
僕はコロンビアが好きなので、友だちと遊ぼうとしたり、ご飯に行こうとすると、残りの週末の回数が2桁を切っていることに気づき、慌てて計画を詰め込む。
終わりに差し掛かって、「これだけはやっておかなくてはいけないな!!」ということが出てきて、優先順位の変動が発生する。
この時期になって初めて、毎日を120%フルで充実させようとしたくなる。終わりが見えてくるからね
それまでは、家で休んでいた休日も、友だちと外に外出したりするようになる。
一番楽しい時期だと思う。終わりを迎えるはかなさから、自分を駆り立てている感じ。
永久には続かない、協力隊の2年間を謳歌するための最後のもがき
国内旅行や任国外旅行に行くと、これまで任地の街しか見ることができなかった視点から解放されて、様々な視点が付加されるようになる。
もちろん、気分転換の意味も大きいが、国内の別の地域のひとや雰囲気を知ることも大切なことだろう。
ぼくが「コロンビア」と呼んで話していることが、ただの「コロンビアの1つの街」の話であったとしたら、これほど説得力に欠けることはない。
帰国後には必ず「コロンビアはどんな国なの?」と大枠をとらえる質問をされるだろう。
多くの人が、細かい個人個人の活動になど、興味がないのだ。
そういう活動の話を細かく広げられるのは、同じ青年海外協力隊経験者や国際協力に携わっている人ぐらいのモノだろう。なぜなら、どういう住居に住み、どういうひとと働いているのかなどを想像することが難しいからだ。
経験者であれば、自身の経験と比較して話を掘り進めることができる。活動の苦労話で盛り上がることも可能だろう。
でも、帰国後にされる質問の多くはそうではない。
もっと一般的で、もっと生活感の溢れるものだ。
だからこそ、日々の生活の部分により観察力を発揮する必要があるし、一般のコロンビア人と出かけたり、その人の家に遊びに行ってサンプル数を増やす必要があるのだ。
こういう理由で、ぼくは結構祝休日を利用して、コロンビアを知る旅行に出かけている。
残り2カ月なのに、まだ行きたい県(街)が2つあるので、ちょっと計画を立てるのが難しくなっている。笑
今となってアドバイスできるのは、毎月1回もしくは2カ月に1回程度の決まった頻度で、定期的に旅行に行くと良いということだ。
どれほど活動が順調に進んでいて、私生活の時間を削ってでも働きたいときでも、旅行に出かけるべきだ。
なぜなら、活動がうまくいっていない時期に旅行に行こうとすると、後ろめたさを感じてしまって、旅行で楽しむことに集中できなくなってしまうからだ。
だからこそ、『毎月1回旅行に行く!』と決める。
そうすることで、活動自体にもメリハリが出てくるし、「来週旅行なら、今週はもう少し頑張ろう」「1月後の旅行までには、この活動を終わらせよう」といった区切りになる。
旅行はおすすめだ。
ただ、あまりにも旅行に行っている写真をあげすぎると、同僚や活動対象者から「お金持ち認定」されてしまうので、その辺は注意が必要だ。
またなかには、配属先が厳しく、休暇を与えないパターンもあるようなので、そういう場合は工夫が必要だろう。
9ヶ月目あたりまでは、すべてが真新しく、表面的な部分しか見えてこないので、とても明るい日々を送ることができる。
1年目前後になってくると、気付かなかった部分にも気づくことができるようになり、現実世界のベールが取り除かれる。本当の活動は、この嫌なことに気づいた時期から始まる。
1年4か月目あたりになると、自分が行うべき活動がはっきりとするので、私生活に割く時間が増えてくる。活動・私生活ともに、うまくエネルギーの配分ができるようになってくる時期である。
1年8ヶ月目になると、「帰国」の2文字が常にちらつくようになり、活動を終わらせなくてはいけなくなる。残り期間のカウントダウンが始まるので、充実した毎日を送りたいと願い、フットワークが軽くなる。
最初の1年間は、活動期間の半分の期間なのに、慣れるだけで終わってしまった気がする。
最初の半年間で、同僚や対象者との関係が出来上がる。そのため、がんがん主張したいひとは、最初からきちんと主張していくと良いと思う。
活動も山あり谷あり。
日々の小さい波もあるけれど、協力隊の2年間という大きなカレンダーで振り返ってみると、僕の場合はこんな感じで、「山ー谷ー丘ー山」でした。
ぼくはもう活動も結構フェードアウト気味にしているので、このあとに谷が来ることはないかな~
あと、ちょっと2か月間。実質本腰を入れて活動できるのは1か月ちょっとくらいかな。
ひと踏ん張り頑張りましょう!!
Chao
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