問題:お客様は神様。では、店員さんはどの身分でしょうか?
お店でモノを買おうと、レジに並ぶ。
「次の方、どうぞ~」
丁寧に呼んでもらえるので、そのレジに行く。
「いらっしゃいませ~」
『こんにちは!お願いします。』
「……………………」
目次 Índice
レジでは「挨拶」はしないもの??
【レジのひとに感情がない】
これは帰国した隊員がよく言う。
事務的に対応することで、レジの処理能力を高めている。
ただしく言えば、レジの処理能力を高めようと考えて工夫し、行き着いた策が日本の場合”事務的に対応すること”だったわけだ。
これは好みの問題なので、マニュアル的に事務的に対応してくれることが好きな人もいるだろうし、目を見て挨拶をしたりできるようなゆとりを持って対応してくれることを望む人もいるだろう。
ただ、今の日本社会は何事も、事務的に解決したがるし、マニュアルに沿った対応、さらにマニュアルに書いてあるフレーズで対応することが求められているようだ。
ぼくは働いたことがないので、企業の内情は想像の域を出ない。
ぼくは24年間日本で生活してきた。
その年数のなかで、レジのひとと会話したことは一度もない。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」は会話ではないからね。
コロンビアでは、何事も「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」から始まる。
スーパーマーケットのレジもそうだ。
それが彼らにとっての当たり前である。
これは、「いらっしゃいませ」とは別の場面で使われる。
個人的に「いらっしゃいませ」よりも、「こんにちは」のほうが心的な距離感が近いような気がする。
特に、日本のお店の場合、レジの店員さんに「いらっしゃいませ」と言われて、返す言葉が見当たらない。
「いらっしゃいませー」
これに対して、どう返しますか?
「いらっしゃいませ」に適した返答フレーズは容易には見当たらないと思う。
最近では、「いらっしゃいませ、こんにちはー」と入店時に言ってくるコンビニも多い。
ぼくの「こんにちはー」はどこに返せばいいのだろうか?
「いらっしゃいませ」は、お店に入ってきた際に用いるべきフレーズなのだろう。
だから、お店を散策した後の会計時にレジで「いらっしゃいませ」と言われると、女の子のおままごとごっこに付き合っているような感覚になる。
用事がないのに店内で時間を潰すひとが多いので、入店だけではお客ではないことも最近少なくない。
ただ、人と待ち合わせをしているだけとかね。
そういうとき、買い物をする意思を持った人に対して、レジで「いらっしゃいませ」と言う。
これはどうやら正しいことのような気がする。
買う意志を持った人だけがお店を利用しているわけではないから。
昔は、今のようにサービスレベルが究極的に高くなかったから、おじいちゃんおばあちゃんがお店の奥で別の仕事をしていたときに、「ごめんくださーーい!!!」⇒「いらっしゃい!!」のやりとりがあったのだろう。
そういう経緯を考えると、すき家などの牛丼屋さんはお客側が「すみませーん!」と呼びかけ、それに応対するように「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりになりましたら~~~~」と続く。
これが本来のやりとりの流れなのだろう。日本語的には。
最近はどうやらマニュアルに沿って、店員さんは訓練を受けているのだろう。
彼らの「いらっしゃいませ」のあとに、ぼくが『こんにちは』と言っても、だいたいの場合何もリアクションがない。
黙々と僕がレジに持ってきた商品のバーコードを探している。
不思議だ。
いっそのこと、レジの「いらっしゃいませ」も削減してしまってみてはどうだろうか?
「レジ袋ご利用になりますか??」から入ってみてはどうだろうか?
そっちのほうが速いだろう。
「マニュアル化」が悪いわけではない と個人的に思う。
それはマニュアルが全くないコロンビアで生活していてとても強く感じたことだ。
マニュアルがあれば、ある程度のことはきちんとみんなと共有することができるし、仕事の内容や質を共通認識できる。マニュアルがあることでほかの人がどういう仕事をしているかわかる。
マニュアル化の課題は、マニュアルのなかに「臨機応変な対応」と「個人判断可能な作業」をどのくらい盛り込むことができるかだろう。
「こんにちは」のほうが好き
何の感情もこもっていない「いらっしゃいませ」よりかは、相手の目を見て「こんにちは」のほうが雰囲気が和やかになると思う。
「いらっしゃいませ」に対する返答は難しいが、「こんにちは」には「こんにちは!」と容易に返答できる。
挨拶さえもいらないというひともいるかもしれない。
そういう人は今までどおり無視すればいい。
でも、いまのマニュアル的な働き方に疑問を持っている人にとって、その現状を変えるための第一歩は挨拶だと思う。
だから、「こんにちは」と一拍置いて挨拶してみてはどうだろうか。
挨拶でさえも疎ましいのであれば、まずは挨拶をすることの心地よさから学んだほうがいい。
みんなお店では語彙量に制限がかかるのだろうか?
「ビニール袋不要の際はこのカードをカゴに入れてください」というカードがレジの横に掛かってるのだが、口で言えば済むのではないだろうか??????
『袋、いりません』
これでいいと思うんだけど。
この前、そのカードがぶら下がっているレジで、言葉で伝えた場合店員さんはどういう対応を取るのか知りたかったので、「袋、要りません」と口頭で伝えると、普通に「レジ袋なし」で対応してくれた。
あのカードは、どういう層の人が使うのだろうか?
そのカードを使ったほうが店員さんに対して親切なのだろうか?
みんなレジ袋使わなくて、毎回バーコードリーダーを読むのが面倒なのであれば、店員さんにそのバーコード付きのリストバンドでも付けてもらって、ピッとしてもらってもいいかもしれない。
それこそ、ボタン一つでどうとでもなると思うけどね
客は神様ではない
「客は神様」という昭和の発想。
サービス業界ではまだ流行っているのだろうか。
客が神様なのなら、神様の対応をする店員は何なのだろう??
もしかしたらお客さんのなかに本物の神様がいるかもしれないので、間違いではないかもしれない。
お盆にはご先祖様が帰ってくるわけだしね。
しかし、ネットのニュースなどを見ていると、横柄な態度を取る神様が多いようである。
レストランで「水!!」と聞くと、
『水がどうしたんだろう?』と振り向きたくなる。
若いカップルの場合、彼氏がレストランの店員さんに対してタメグチを使うとどうやら女性は幻滅するようだ。
若い人は注意したほうがいい。
しかしながら、ひととの接し方は誰かの前だからといって突然良くする(良くなる)ものではなくて、日ごろの積み重ねだと思う。だから、毎日言葉遣いには気を払いながら、口に覚えさせることも大切だ。
だから、横柄な態度を取る人は日ごろから横柄な態度を取っているというイメージを与えることになる。
【思考→言葉→行動→習慣→性格→運命】と影響を与えていくという格言を見たことがある。
思考に気を付けなさい。それはいつか言葉になるから。
といった具合でずっと数珠つなぎ的につながっていく。
思考パターンを変えるのは無理だと思っているひとがいるかもしれないが、思考パターンは習慣によって変えることができる。
無礼な神様には、お金をたくさん落としてもらいましょう!
記事
「コーヒー」7ユーロ、「コーヒーください」4.25ユーロ。言葉遣いの丁寧さで値段が変わるフランスのコーヒー屋さん
去年、一昨年あたりに、フランスのとあるカフェが話題になった。
注文の際の言葉遣いによって、コーヒーの料金が変わる というものだ。
- 「コーヒー」 5ユーロ(600円)
- 「こんにちは(おはようございます)」コーヒー 2.5ユーロ(300円)
- 「こんにちは(おはようございます)」コーヒーください 1.4ユーロ(168円)
丁寧に接すれば、1.4ユーロ。
不愛想に注文すれば、同じコーヒーでも料金が高くなる。
上品に皮肉ったフランスらしい店側の主張だと思う。
フランスにも店員に不愛想に対応するひとがいるんだ と思うと、どこでもみんな同じなんだなと実感できる。
居酒屋の「生~~~」に近いモノを感じる。
「すみませ~ん、生ひとつください」と言うひとと、「生4つ」と注文するタイプに大きく分類されるだろう。
でも、日本の居酒屋でこのような取り組みを行っても通じないと思う。反感を買うだけだ。
アルコールを飲みに行って、酔いがそのひとの本性を引き出すとなれば、多くの人が言葉遣いをきちんと制御できなくなって横柄な態度を取るようになるだろう。
これもひとによるが、酔って気が強くなるひとは一定数いる。
酒は本性を暴くというが、まさにそうだろう。
だから、酒に飲まれてしまうひとは、高い料金で同じビールを頼まなくてはいけない。
「生1つ~~」で、言葉遣いがなってないから、生ビールひとつ1000円。
酔っぱらいにそんなことを伝えて、ひと悶着するくらいなら、普通料金のままにしておいた方が店員さんにとってマシだろう。
社会人になれば、働くことになる。
働くということは、自分が消費者や販売相手に対応することになるので、販売者・購入者の両側面を知ることができる。
だから、店員側の気持ちもわかるようになるはずなのである。
でも、いまだに「お客は神様」という思想を抱いているひと、多い気がする。
もし神様なんだとしたら、ニコニコ微笑ましい小太りの幸せオーラ全開の神様であってほしいものだ!!!
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