アイデンティティは、コロンビアのユニフォーム。これだけで特定可能な個性
帰国して、3週間ほどが経つ。
あっという間だった。
そんななかで変わらないモノ、それは服装。
ファッションと言ってもいい。
ぷー太郎のぼくは、仕事もなく、自分の身の回りの整理に精を出しているので、格好は自己満足である。
そのため、コロンビア産のモノしか身に着けていないときが多い。
靴、靴下、パンツ、ズボン、シャツ、カバン
上から下まで、下から上まで。
右から左まで、左から右までコロンビアに支配されていること、多い。
ぼくは群馬に滞在しているので、スポーツウェアで車で外出することに抵抗がない。
最近は暑いし、気軽にジョギングに出かけるので、ランニングパンツとスポーツウェアで1日を過ごす。
だから、コロンビアのユニフォームで過ごしている。
暑いことで、洗濯物のサイクルが短くなっていい。
コロンビアのユニフォームを着ていれば、スポーツウェアで外出することも正当化されるような気がしている。
無敵モードである。
僕自身、派遣前と比べて明らかに周りの目を気にしなくなった。
これはこの2年間の大きな内的な変化のひとつである。
そのため、東京を普通にコロンビアのユニフォームで歩き回っている。
周りがお仕事白シャツビジネスモードのなか、ひとり無職の若者がサッカーのユニフォームを着て堂々と歩いている。
異質性がある。
慣れない満員に近い電車に乗っているときに、ふと思った。
「いま、日本でコロンビアのユニフォームを着て、出歩いている若い男性ってどのくらいいるのだろう??」
下手すると、特定可能だろう。
『東京で、コロンビアのユニフォームを着ている、30歳以下の、若い男性』は目撃情報から割り出すことが可能な気がする。
これほど特徴的な情報はない。
少なくとも、片手で数えることができる程度には絞り込むことができる。
そう考えると、日本でコロンビアのユニフォームを着て出かけることはかなり強いアイデンティティである。
火曜サスペンス劇場的に考えれば、それだけで、その人物の後を追うことができる。
アイデンティティ。
コロンビアのユニフォームは、まるでぼくの身分証明になっている。
だから、もう悪いことをするのはもうやめよう。。。。。
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