東日本大震災から8年:福島県民になったぼく

東日本大震災から8年:福島県民になったぼく

福島県民となったぼくは、この話題を避けて通るべきではないのかもしれない。

観光地に行くと「どちらから?」と訊かれることがある。ぼくは、半年ほど前から福島県民になった。だから、「福島です」と答える。

その度に自分が福島にいることを意識する。

東日本大震災から8年が経った。

ぼくが知っている福島は、震災後7年目から


福島県民であるが、ぼくは東日本大震災のいかなる被害も受けていない。
だから、福島の地元の人がどれほどの痛みを感じているのかわからない。

それは、訊くことができない。訊いたとして、相手が真面目に答えてくれたとして、それが100%の気持ちかどうかを判断することはできない。
福島のひとは強いので、「辛かった」と言っても、それはぼくが想像できふ「辛さ」や「くやしさ」ではないだろう。

だから、福島にいるぼくは彼らの強さに感服する。
彼らの前に歩もうとする強さは尊敬に値する。

ぼくは、当時大学生で福島に協力できたことはなかった。「協力できるようになるまで、待っててください」と誓い、自衛隊の人の活動や被災者の方の力強い言葉に涙した。

自分に甘いぼくは、自分を引き締めるためにときどきそういう動画を見る。その度に、自分の小ささを理解するのだが、それと同時に当時は力になることができなかったが、いまは福島に協力できる立場にいることを嬉しく思っている。

8年前のぼくのくやしさは、少しずつ形を変えて今もなお自分の中にいる。

今なお風評被害は存在する


安全 と 安心は異なる。
そのため、「福島のものは食べない」と言う人がいる。安全だが、その人は食べないという選択をしているわけだ。

しかし、どうやら未だに、安全性を疑うひとがとても多いことに驚く。

「福島産のものは食べないようにしてる」と、福島県民のぼくにわざわざ伝えてくれるひとがいる。食べるか食べないかどうかは、そのひとの“選択”なので構わないのだが、なぜだかそういう人に限って、「福島産の安全性」を口実にする。
それは安全性の問題ではなく、そのひとの安心感の問題だろう。

福島の白米は震災直後から放射能汚染されていなかった。それに加えて、全袋検査が行われてもいた。高い値を示したお米でも、基準値以下の放射能汚染しかなかった。
お米へはセシウムは移行しないのである。玄米でも問題ないのだが、白米にすればさらにセシウムは検出されない。

きっと毎年、「福島のお米はセシウムがある」のような発言を福島の農家さんらしいひとが、震災直後にした動画・写真が使われることだろう。

水田は、用水から水を入れるので、水田の入水地点近くはセシウムがあるが、これらはイネに移行しない。しかし、粘土質の水田土壌中に留まる(それでも、そこで働く農家にさえ影響がない量。なんなら、ぼくらはいつもそういう場所に座って、お昼ご飯を食べてる)。稲刈りの際や台風の後に穂が倒れて、泥が物理的に穂に付着すると、そこには高性能な分析装置で検出することが可能な量のセシウムが含まれていることがある。

とても綺麗に掃除をした(はずの)自分の家で、吸引力が強い掃除機を使えば、少なからずホコリがゴミカートリッジに入るだろう。それは、部屋が綺麗かどうかとは関係がないし、本当の意味で、掃除をした後にホコリ一粒まですべてを取り除くことは不可能だろう。

福島のひとは強いなと思う


ぼくはいま、福島のために働いている。しかし、それは当然、福島のみならず、全世界の農業の在り方の研究でもある。
震災から8年が経ち、自然と彼らが前向きになったのか、昔から実直で真面目な姿勢を持っているのかはわからないが、福島のひとは排他的でなく、協力的でズルをしない。サボりぐせがなく、抜け道や数段飛ばしの甘い話に寄り付くわけでもなく、一つ一つ現実的に歩む。
行動がゆっくりで、攻撃的な人たちではない。

それらは、“鍛えられた”からかもしれない。それでも、彼らが“今”素晴らしい県民性を持っている事実は揺るがない。

「福島」が時折押し付けになる


ぼくの考えだが、ぼくは何かにつけて「福島」というワードだけで、主張するのは好きではない。
例えば、われわれ福島県民は、多くの人に助けてもらった。それを『復興』という形に乗せて、強要的に押し売りするのは正しくないと感じる。

福島の野菜を、復興と題して、都市圏に出荷する。先に述べたように、一定数「自身が安心できないから、福島産のものは買わない」というひとはいる。そこに押し売りして、販売スペースを確保しても仕方ないと思うのだ。

これは、有機農業だって同じだ。全く興味もない人がわざわざ「有機農産物」を買う口実などありはしないのだ。

それに、福島産のものを積極的に他県に出荷すると、他県の同品は売れなくなるかもしれない。それは恩返しではない。

【良いものが福島県でできたから、他県で売る】べきであって、【福島で作ったから、買って】ではおかしい。

だから、ぼくは福島のなかで素晴らしいものを生み出す必要があると思うし、実際そういう仕掛けに取り組んでいて、今年は飛躍の年にしようとしている。

復興とは、元に戻すことではなく、前に歩むこと


復興という単語は、「以前の活気を取り戻す」ことというようなニュアンスを感じる人が多いようだが、
ぼくは「以前とは違う形だが、以前よりも良いものを創る」ことだと考えている。

わざわざアクシデント前の状態に戻す必要はなくて、直線的に『理想とされるモデル』や『日本の将来モデル』となるビジョンを目指すべきなのではないかと思う。

だから、ぼくらはそういう取り組みを進めている。

外部からしか見えない視点がある。それは協力隊のとき、学んだ。

おわりに:福島は東北だが、“東京”電力の第一原子力発電所事故

福島が安全かどうかということを懸念するひとは未だに多いのかもしれない。それでも、8年たったいまでも感情論に流された風評被害があるのが事実だ。

それは時に、無関心よりもひどい場合がある。

すべての人が福島に関心を持つことを期待することはできないが、少しでもこの記事を通して福島を身近に感じてもらえたらと思う。

福島は東北。南東北と呼ばれる。

福島県の浜通りにある『東京』電力の第一原子力発電所がメルトダウンし、事故が起きた。

福島に住んでいるぼくは東京電力ではなく、『東北』電力から電気を買っている。つまり、福島県民は、東京電力を使っていないということだ。

関東や東京に住むひとはこの事実をなかなか理解していないことがある。ぼくは理解していなかった。

東京電力から電気を購入しているひとたちは、福島とつながっていたのだ。そして、福島県民は全くその原発が発電していた電気を使っていなかったということだ。


ぼくは、福島にいる。

群馬のことも同じくらい、みんなに興味を持ってもらいたいけど、ぼくは福島にいるので福島にしておこう。

これから、8年後にはどのようになっているのだろうか


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Chaito

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