若い人が「空回り」できるのは、高いポテンシャルとエネルギーを持ち合わせているから【若者よ、がんばっていこう!】
学生のうちや幼いころは他愛のない言葉に傷つきやすく、そして、傷つけてしまいやすい。
ぼくら大人は不思議と耐性がついて、傷つきにくくなる。
それは、社会やコミュニティで鍛錬されているからだろう。
(さらに、20代より40代のほうが耐性がつくはずである)
しかし、気をつけなくてはいけないことは、大人が若い人にかける言葉。
大人にとっては何でもない言葉が、若い人を傷つけてしまうことは往々にしてよくある。
「空回りできる」というのは、
歯車がかみ合っていないだけで、それだけ勢いと馬力があるということだと思うのだ。
頑張っている姿は応援したい
ひとに迷惑をかけるわけでもなく、自分のなかの自分像を追い求め、必死に研鑽している若い人はいる。
理想とする自分がいて、それに近づくにはどのようなきっかけがあってもかまわない。
「なにがきっかけになるかわからない」ということだ。
言い換えるならば、
「きっかけをつかめるように、変革を求め続ける」ということにもなる。
空回り=余力エネルギー+ポテンシャルの高さ
https://tabi-labo.com/208450/idle-ppl-characteristic
「やる気がありすぎる」
「頑張りすぎる傾向にある」
空回りをしている若い人がいる。
そういう若者を空転させないように、大人が助言するべきだと思う。
もしくは、「空転している」という経験を暖かく見守るべきだろう。
「こうにしたほうが効率がよくなるよ」
「気張りすぎることは悪くないことだから、その気張り具合をほかの点に向けて、分散させよう」
ぼくら大人はよっぽどのことでない限りは、空回りすることがなくなってしまった。
むしろ、空回りできなくなってしまった と言った方が適切だろう。
空回りするにはエネルギーがいる。
大人からしたら「余分」とも言える、その空回りエネルギーがあるということは素晴らしいことだと思うのだ。
そして、若い人が「空回りしているね」と言われるということは、そのひとのポテンシャルが大きいことを意味している。
発揮できる余力エネルギーを空転させているという事実は、
そのひとがそのエネルギーをきちんと動力に伝える術を覚えれば、馬力が高まることを意味しているわけだ。
そのような術は、経験をつめば誰だって覚えることができる。
そんなただ年を取りさえすれば、当たり前に手に入れることのできる能力を誇り気に話したってしかたない。
なかには、「余力」を無駄なエネルギーだと思って、消費せずに過ごすひともいる。
一方で、「余力」を自身の歯車(能力)を拡充するための動力源にするひともいる。
この2者の間に、優劣があるわけではない。
自分が近づきたい自分像は、ひとによって違うから。
ただ、若い故に経験がない若者を傷つけてはいけない。
他者を無意味に傷つけるのは、そのひとが弱いからだ。
芸能人は人間味を売りにしているから、普通空回りするもん
日向坂46の動画をよく見る。
そのなかでも、松田このかと金村みくが好き。
ライブに行ったり、写真集を買ったり、ファンクラブに入ったりはしていないので、ぼくは自分のことを「ファンである」とは思っていない。
ただ、日向坂46は好きだ。
毎週、中高生が月曜日にジャンプを観るが如く、日向坂46の動画を見るのだが、
アイドルというのは人間味があってよい。
テレビ番組に慣れることによる成長もそうだが、人間的な変化が垣間見えるときがある。
単純に、「かわいい」とか「いやされる~」とかいう話ではない。
さて、つい先日、日向坂の子(金村さん)がファンに「空回りしているね」と言われ、悔し涙を流していた。
ぼくも最近、悔しい思いをすることがあった。
僕の場合はただの知識不足だったので、後日すぐさまその知識を得て、悔しさを糧に一歩前進できた。
しかし、金村さんのようなアイドルや芸能人の場合、そうはいかない。
彼女たちや彼らは、人間性を売りにしているからだ。
もちろん、演技力や歌唱力などといった能力で勝負している面もあるだろう。
しかし、能力だけでは成功しない。
そこには、性格を含めた人間味が魅力のひとつになる。
そうしたなかで、私たちが仕事の能力や効率を高めるだけで一定の評価をもらえるのとは、条件が異なる。
私たちは比較的身近に相手がいるが、芸能人はテレビを観ているひとや雑誌を手に取るひとを相手にしなくてはいけない。
不特定の目に見えない相手から評価されるのだ。
YouTubeのようにイイネがもらえるわけでもなく、
昔のようにCDの売り上げ枚数が人気を正確に反映してくれているわけでもない。
だから、難しい職業だなぁと日々思っている。
知識や技術などの能力を高めることは、鍛錬を行えば比較的簡単である。
しかし、人間味を増す、人間性の魅力を高めることは、非常に難しい。
ぼくなんか、大学4年生のころの6年前のぼくと、中身が変わっていない気さえする。
知識や技術、経験という能力が培われてきたから、「自分は成長してるなぁ」と実感できるが、その部分を取り除いて、冷静に自分の人間性だけを鑑みると、大きくは変わっていない。
そうに考えると、おすし(金村さん)が成長したいのに成長できない悔しさに涙を流す心境を理解できるような気がする。
前に進もうとするひとの推進力には、恐れ入る。
これを読んでくださっているみなさんに、この曲を捧げます。
頑張るのは自分だ。でも、頑張っているひとはたくさんいる。そんなみんなの1人で居続けたい。
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