夢追う人を応援したい気持ちを大切にしたい

自分がやりたいことが”今”できるとは限らない。
すぐに取り組むことができるものもあれば、そうでないものもある。
でも、誰かが夢を追って走ろうとしているのであれば、それを応援したい気持ちは常々持っている。
夢を持っているひとを応援したいという気持ちはこれからも持ち続けたい。
時々突拍子もないことを言い出す人がいる
最近自分が落ち着いていた環境にいるからだろうか、
突拍子もないことを言う人が周りにいない。
無謀とも言えるような突拍子もないことを言う人は、歳をとるごとに減る。
けれど、ネット上で「旅をしながらお金を稼げます」という謳い文句のサイトがあると、パソコンがウイルス感染していないか心配になる。
突拍子もないことは、時に信じられないことがある。
昔は、ガイアの夜明けに出たいとか、ドキュメンタリーに出たいと言う人が周りにいた。
今は、「ドキュメンタリーに出ると、忙しくなるから何度も断った」と言う人が周りにいる。
今ぼくがいる環境は、突拍子もない環境なのかもしれない。
夢を追う人を応援していれば、自分が応援してもらえるかもしれない
人が目標や夢を追っているとき、凄まじいパワーを感じる。
ぼくの語彙では、そのパワーを「推進力」と呼ぶ。
推進力があるときは、周りをも持ち上げてくれる。
そういう人に少し触れるだけで、エネルギーがもらえる気がする。
なぜか、そういうときは自分の精神状態が切り替わる。
自分の身の回りで起きる小さな幸せを拾うスキルが向上する。
自分自身が常に推進力を持っていればいいのだが、そうもいかない。
だからこそ、誰かが夢を追っていれば、それを応援する。
それは単純に、微笑ましいからでもある。
自分が持っていないものを他の人が持っていると、素直に素敵だなと思う。
そして、ぼくが夢を持ったときに応援してほしいように、誰かが夢を持っていれば応援したいと思う。
競争よりも、協力を
切磋琢磨をするのは好きだ。
工程や作業を効率化して、無駄を減らして、可能な限り早くに終わるように工夫するのも好きだ。
もろ理系なのだが、数字がそれほど好きではないぼくは最近人を個性で見るようになった。
人格や個性がパッと頭に浮かぶようになった。
これを表現するのはとても難しいのだが、簡単な言葉にすれば「あの人もいろいろ貴重な経験をして生きてきたのだから、すごいんだ!」という感じ
年齢や仕事ではなくて、それまで経験してきたことを第一に眺めるようになった。
(ときどきオーラが半端ではない人がいて、威圧感を感じてしまうこともある 笑)
そうに見ることができるようになってから、何となく人好き合いが楽になった。
一年前にコロンビアから帰国したときは「日本語で意思疎通できるなんて、楽だなー」と感じていたのだけど、今はそこから進歩した。
素敵な部分を持っていることを大前提として人に接触できるようになった気がする。
だから、協力を仰ぐようになった。
わからないことはわからないのだから仕方ないので、「バカだと思われるかな」とも思わずに、「わからない」と言えるようになった。
他人がどう考えているかはわからない。
もしかしたら、ぼくに競争を挑んできているのかもしれない。
けれどぼくは変わらず、協力をする精神でいたい。
人が夢を追っていれば、それがたとえ奇妙だったとしても、馬鹿にしているわけではなければ応援したい。
最近は自分のやることで頭も時間も精神もいっぱいになってしまって、周りの人に協力したい気持ちの割合が天引きされてしまっていた。
自分が推進力を持ち始めたからこそ、今度は恩を返していきたい。
そういう気持ちは忘れたくないですね。
それでは聴いていただきましょう。
「夢をかなえてドラえもん」
昔聴いた純粋な歌が心に響くときってあります。
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