「勉学の1時間」と「趣味の1時間」、どう両立させていこうか
書きたいときに、書きたいことをこのブログで書く。
そういう風にこのブログを位置づけているので、たくさん記事を重ねることもあれば、長いこと書かないこともある。
目標も特にはないし、設定する気もない。
趣味でやっていることに対して目標をつくって、自分の気持ちを縛られるのが面倒だからである。
さて、最近読みたい本、学びたい分野が増えてきた。
正直言って、学びたい分野が1つあるだけでも、時間が足りなくなると思う。
それなのにも関わらず、いくつも学びたい分野がある。
今は、商業的な花木栽培、偽りではない有機農業、統計学、土壌にまつわるエトセトラ、堆肥づくり。
これらの分野は、「いつか勉強すればいい」というわけではなく、どれも実際に必要な能力として求められている部分があるので、しっかり学べばそれが実際にすぐに活きる。
だから、悩ましい
一般的に、勉学は贅沢な趣味だから
勉学というのは、趣味だ。
贅沢で恵まれたひとしか、その恩恵を受けることができない。
だから、勉強ができるというのは、幸せなことである。
コロンビアの山奥で、朝6時30分から始まる授業のために、4時に起きて、2時間近く山道を登っている子どもたちと一緒に同じ道を歩くと、「勉強できることは贅沢なこと」と思わざるを得なかった。
勉強できれば選択肢が増えるのだから、勉強できなければ選択肢は限られてしまうのだ。
彼らは、朝4時に起きて2時間歩いても、1時限目の開始時間に学校に着くことはできない。
それでも、学校が終わる時間はお昼頃と決まっている。
そして、再び2時間の道のりを歩いて帰るのだ。
勉強の楽しさは、その勉強で学んだことをどう応用することができるか、想像を膨らますことができる点だと思っている。
だから、僕にとって、勉強というのは苦になるものではない。
学んだことは、いろいろな場面で役に立つし、役に立つようなことを学ぶからだ。
だからこそ、悩む部分がある。
他の趣味との競合だ!
1時間ブログを書くこと vs 1時間読書すること
趣味の世界は、他人にとやかく言われる世界ではないので、自分の中で最近迷いがある。
読書をして勉強をしたいと思うのだが、ひらがなけやきの動画を見てしまったり、筋トレをしたり、お風呂で映画を見たり、部屋の掃除をしたり、料理をしたり、ブログを書いたりするのだ。
自分の時間なので、特に問題はないのだが、
僕が最近ハマりだした「ひらがなけやき」の動画を見ると、30分、1時間は平気で時間が過ぎる。
金村さんや松田さんのことをかわいいなぁ、と思ったところで、長い目で考えて、何も生み出していない。
時間の浪費かなぁと思う自分もいる。
でも、好きだから結局見るわけだ。
さて、最近はそういう時間をブログに当てようとしている。
内容に大きく依存するが、基本的に1時間はかからないようにしているので、生産率は高まるかなと思う。
それでも面白いことに、そもそも根本的に1時間「ひらがなけやき」を観ていたり、ブログを書いているよりも、読書をしたいのではないかなと、自分の心を探っている。
自分のなかで、「趣味はどれも大切」と思う一方で、「読書こそが今は最も大切なこと」という想いがひょっこりはん。
だから、自己研鑽のための1時間と自己満足のための1時間で心は揺れ動いている。
ひそかに
結局は、やりたいときにやりたいことをするのだけど
ここまで書いてきたことは、自分の時間内での話だから、自分がしたいようにすればいい。
それで一人でに悩んでいる。
最近気付いた面白いことは、
3年前は毎日論文を読んで、論文を読んで学べることが楽しかったのに、どうやら最近の自分はそうではないようだ。
どうしても、コロンビアの2年間前後で、考え方や着眼点、自分の納得点が変わったようで、以前入っていたスイッチが今はだいぶ鈍っているみたい。
9月の頃のように、パン屋さんで夕飯食べて、そこで読書する時間を確保しようかな〜〜
自分が納得して、時間を楽しめるようにしたいですね!!
ブログに関しては、朝の時間に時間を確保したいと思い始めました。
また後で、自分のルーティンを考えてみたいと思います。
福島、
当たり前のように雪が降っていて、「雪が積もっている」ことを前提に行動するようになった自分に気づき、福島県民の一員になれてきた気がします
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