問題は、当事者側から提起されなければ、誰も知り得ない
ぼくは、トイレの便器に洗剤をシュッシュッして、家を出る。
これは誰も知らない。
何をしているか、何が問題なのかを知るためには情報を提示して、誰かからの反応を待たなくてはいけない。
目次 Índice
ぼくは1000円カット愛用者なのだが、もしかしたら社会に対して何か問題の片棒をかついでいるかもしれない
この間、1000円カットに行った。
ぼくは大学生以降、自分の髪を切ってもらうために1080円以上出したことはない。
コロンビアでも、日本円で400円くらいのところに行っていた。
友だちが美容師だったから通ったし、通ったからこそとても親しい仲になった。
ぼくは、髪型にそれほどこだわりを持っていない。
結局、かっこいい髪型にしても普通だし、ダサい髪型をしても普通。
だから、特に髪型にこだわりはない。
女性と会話をすると最低でも5000円はするようで、3000円でもとても高く感じる僕へのインパクトはすさまじい。
それに、7000円や10000円という額が普通に飛び出す。
ぼくは信じられない。
ぼくは2ヶ月に1度ほどの頻度で髪を切りに行くので、年間6000円程度の出費である。
女性が1回1万円の美容院に行く同じ金額で、ぼくは2年間くらい髪を切ることができる。
すごい違いだ。
ぼくは1000円カットしか使わない。
でも、もしかしたら美容院界隈で働いているひとにとって、「1000円カット」というのは何かしらの問題を抱えているのかもしれない。
ぼくはただそれを知らないだけで、その業界ではなにか事情があるかもしれない
農業について、ぼくは僕の知っていることから問題を提起しているだけ
ぼくは、農業に関する道を歩んできて、歩んでいる。
だから、このブログで農業を扱って、僕が知りうる部分を紹介している。
そのなかに「問題だ」と感じる部分があれば、それを提起する。
それを投げかけてみる。
良い言葉が返ってくることもあれば、生卵が返ってくることもあるだろう。
問題というのは、普通、そういう二面性をはらんでいる。
ピンチがチャンス と言うように、誰かにとってプラスであれば、別のひとにとってはマイナスだったりする。
だから、いずれのテーマも、僕自身の考え方や僕から見えているコトを表現することが大切だと思っている。
物事はやはり、多面的に見なくてはいけない。
陰となる部分はよく見えないので、その分をよく知るひとの意見というのは非常に大切なモノだ。
ぼくは二六歳だが、これまで出会ったなかにはたくさんの農業者がいて、たくさんの農業関係者のひとたちがいる。
その人たちがこういったぼくの記事を読んでいる可能性があることを知っているし、なんならぼくの家族がこの記事を読んでいることも知っている。
だから、べつに誰かに取り入ろうとして書いている気は毛頭ないし、誰かを批判したりするために書いているつもりもない。
農業や食糧はすべてのひとに関係することだから、いろいろな意見の渦が生まれるのは必然
カットの話をしたが、髪を切るのは家でもできる。
ひとによっては、バリカンでガーーーーとやるひともいるだろうし、ぼくも何年間か自分で髪の毛を切っていた。
自分で切ってみて、頭の側面がスキすぎてハゲになることが多々あった。
食べ物は毎日口に運ぶ。
ひとによっては、毎日カップ麺やハンバーガーなどのジャンクフードを食べる。
一方で、外食ばかりのひともいるし、お惣菜コーナー通いのひともいる。
自炊にこだわるひともいれば、栄養バランスに気を遣うひともいる。
そのひとなりのなにかしらのこだわりがあり、好き嫌いがある。
1食1000円を出すのに抵抗がないひともいれば、馬鹿馬鹿しいと思うひともいる。
だから、食糧にも幅がある。
幅があるべきだし、品質に違いがあってもいい。
300円のパンを買うことに抵抗がないひともいれば、200円までのパンしか買わないひともいるだろう。
たまごは1パック200円のひともいれば、300円のひともいる。
それに500円のひともいる。
実際に1パック500円のたまごがある。
それを知っているひともいれば、買うひともいるのだ。
消費者にもいろいろなひとがいる。
だから、生産者もいろいろなひとがいていいと思う。
ただ、環境に優しいと思ってやっていることが環境を悪化させていたり、正しいと思っていたことが間違っていることがわかれば、それは改善しなくてはいけない。
そうに言われたときはムッとするかもしれないが、多面的に検討したときに、課題や問題を見つけてしまう。
だから、楽しい。
完璧なモノなどないのだから、いろいろ提起して、意見をあおってみようではないか。
そう、「真実はいつも一つ!」とは限らないのだ
それでは聴いてください。
leccaで My measure
LEAVE A REPLY