語学が不安な協力隊員、いつまで自分の語学能力に不安を抱え続ける?

帰国まで、3週間ほどだ。
1年11ヵ月以上が過ぎていて、普通にカンペなしで1時間2時間の自分の専門に関する発表を、パワーポイントを使ってできる。

コロンビアの友だちと2人で旅行したり、2人でご飯に行っても、話が途切れることがないレベルでは話すことができる。

でも、
「ジュンペイ。何言ってるかわからなかった」と言われることもよくある。

 

どれだけ語学が上手になっても、”井の中の蛙である”ことを受け入れなくてはいけない

ぼくは野菜栽培隊員だ。
農家さんと一緒に働いたり、農業関係の人と話す機会は多い。
そのため、農業関係の単語はだいたいわかるし、直接的な表現でポンッと最適な単語が飛び出るわけではないが、意思疎通は問題なくできる。

その一方で、海のほうに行けば、魚のことを話したり、釣りのことを話したりするわけだ。
だから、ほかのボランティアの活動先をお邪魔したりすると、コロンビアはアクセントも使う単語も地方によってかなり変わるので苦労する上に、(その人たちの世界では当たり前に使われている)専門的な単語が連発して、『アレ、全くわからないぞ。。。』「何々?なんて言ったの?」と訊かざるを得ない。

最近はワールドカップが近づいたのでサッカーの話や政治の話をすることも多く、そこから東アジアの地域経済や政治的な関係の話に発展することもある。

そういうとき、これまで考えたことがないことを表現しなくてはいけなくなる。これがめちゃくちゃ難しい。

 

たとえば、そうだなー

日本語で会話のテーマが”ミミズ”になったとして、日本語であれば普通に「ミミズ」という単語がわかるし、「縞模様があるミミズがいるよね」とか、「ミミズってどうやって繁殖するのかな」と話が展開されていくだろう。では、「ミミズ」という単語が分からなければどうなるだろうか?くねくね動くが表現できないのに、現地の人が「ミミズはくねくね動いてキモチワルイよね」と言われたら、『ミミズがキモチワルイ」としか理解できないのだ。なぜなら、「ミミズはくねくね動いてキモチワルイよね」としか、頭の中の語学フックひっかからないからだ。

 

つまり、「病院で働くボランティア隊員が、その国の言語でみみずの会話をその専門の人たちと話すことができるのか」ということだ。

日本でも車に詳しくない人が、専門用語連発のメカニックな話を聞いてもあまり理解できないだろう。それをさらに強化したバージョンだ。日本語なら、前後の文脈や会話の流れを意識せずとも正確にとらえることができるので、その単語が「何を意味するのか」はなんとなく察しが付く。でも、習ってる途中の語学で同じ流れになっても、意外と前後の文脈は覚えていないものだ。”今”に集中しないと、会話の流れに置いて行かれてしまうからだ。

 

わからない単語だらけである。
もちろん、日常生活を現地の人と共にしているから、日常に関することは理解できるのだ。だから、観光とかも問題ない。

 

でも、自分が慣れた世界から出ると、それにふさわしい言葉が出てこない。そのシチュエーションに出会うのが初めてだからだ。

初めて川に行った。初めて道で友だちと会って、その状況を同僚に口頭で説明する。初めて、学校で子どもたちに先生として話す。初めて、農家さんに対してクイズを出す。初めて、コロンビアの栄養士さんが農家さんに講義する、その説明を聴く。などなど

 

初めてだらけの世界にいるわれわれは、その初めてのシチュエーションに適した単語の引き出しを持ち合わせていない。だから、自分の語学力にたくさんの不満を覚え続ける。
なぜなら、同じ日は二度とやって来ないからだ。毎日が新しい一日なのだから、毎日未知のシチュエーションに出会い、「ああ、そうに表現すればいいのか」と友だちから学ぶ。そして、記憶のどこかから、何かの単語を忘れていくのだ。

 

 

2年スペイン語だけで生きてても、「わからない」ってまだ言われまーす

ぼくも活動を閉めるための最後の発表を農家さんにしたとき、強い悔しさを感じた。
この記事の場だ⇒⇒農家さんに「2年間やってきたこと」を紹介しました【全スライド100枚公開】

発表が終わった後に、急遽「ちゃんと聞いていた人に対して商品(微生物のタネ)をプレゼントするためにクイズを出してくれ」と頼まれたのだ。

いきなりだったから、いつもどおりあまり考えずに、口を開けば言葉が出てくるスタイルでスペイン語を発したのだが、その質問のスペイン語が微妙におかしかったらしく、反応してくれるひとが少なく、前に座っていた女の子に「何言ってるかわからない。。。ホラね、みんなもわかってないでしょ」と、ぼくからすれば『心許ない言葉』に傷ついたのだ。

まぁ彼女はそういう意図を含んでいないのはわかっているし、数人はそれでも頭を働かせて手を挙げてくれていら。きちんとぼくのことを”外国のひとだから”ということで配慮してくれる人はわかるのだ。ときどき不完全なぼくのスペイン語を理解しようとする態度を持ってくれているからだ。

 

 

 

まぁ実際傷つくよね

 

 

2年間の活動が終わるころになっても、まだまだスペイン語の伸びしろがあるのかー と。

スペイン語話せるつもりになっていたけど、そうでもないのかな。。。とか。

 

 

その1時間くらいは気にしてたんだけど、冷静に「なんでその一言に傷ついたのだろう」と分析して、
自分が他人からの評価を気にしすぎているからだという結論に至った。

 

「何言ってるかわからない」って言われても、それはその時うまく伝わらなかっただけで、普段は伝わるのだから、単純にぼくのスペイン語スキルすべてを指しているわけではない。
それなのに、なぜ自分の心が傷ついたふりを演じているのか

それは、そのひとに「ジュンペイはスペイン語ができないやつだ」と思われるのが怖くて、嫌だからだ。
だから、そうに言われると自分の評価が下がった気がして、悲しくなるのだ。

 

「何言ってるかわからない」っていうのは、コロンビア人同士でもよく言っていること。
スペイン語母語同士のひとでも、「何言ってるかわからない」って言い合ってるのだから、そのフレーズにはそれほど強い意味はないのだ。

 

 

語学が少しでもできれば、あとは知識と経験で理解できるようになる

異国に住んでいる時点で、その言語で生活できているのです。
ぼくが電話で日本語を話しているのを同僚が聞くと、ぼくが言葉を選んで話しているためゆっくりな日本語を話しているのにも関わらず、「なんで、そんなに速く話すの?」と周りで聞いていた人に言われます。ぼくがとってもゆっくり話していても、彼らにはそう聞こえるのです。なぜなら、彼らは日本語の単語も知らないし、日本語の文法も知らないから、どこに主語が来て、動詞が来るのかを知らないので、全く彼らの言語のフックに引っかからないのです。

フックの数を増やせば、突然投げられた輪っかが輪投げのように引っかかる可能性は高まります。
だから、単語を増やすことは大切です。

**スペイン語の場合、コロンビア国内は(たとえば)”お鍋”を指す単語が地域によって違うので、そもそも単語量を増やすことが難しかったりします。動詞もかなり地域性があります。だから、同じスペイン語でもかなり難しいです。お店に入るときの「いらっしゃい」がbienvenidoになったり、bien puedaになったり。。。そういう違いを発見することが楽しいんですけどね。

 

『語学は、コミュニケーションツールの1つにすぎない』と開き直るのも一理あるでしょう。
ボディランゲージやアイコンタクトで訴えることもできます。
でも、語学力が高いに越したことはありません。

とある映画を1度日本語で見た後に、そのあと英語で見ても内容はわかるでしょう。セリフと映画の流れがわかるから、今話しているセリフを推測して、補完することができるのです。
ですから、異国では、観察で相手の思考パターンや利害関係を理解すると、言語的にすべてを理解しようとせずとも、「ああ、アレについて話しているのか。じゃあこの話は、あのあたりの結論に到着するな」とゴールの部分で待っていることができるのです。

ぼくの専門は土壌生態学ですから、微生物や植物ー土壌の関係の知識はあります。この前、微生物学者のひとたちが農家さんたちに菌根菌やマメ科と共生する窒素固定菌について合計2時間くらい話していました。
ぼくは、その理論やなにを農家さんに勧めることができるかを把握しているので、微生物用語がわからなくとも、ほぼ100%理解できるのです。自分がその知識を持っているからです。

知識や経験を持っていれば、自分でその会話の流れを推測して、力まずに一人で勝手に会話のゴールの部分まで先に行って待ってることができるのです。

 

 

この知識と語学の関係については、ほかの記事で紹介します。

 

おまけ

基本的に言語をマスターしている段階では、怒りを表現するのが難しい。なぜなら、怒っているという感情の爆発を、習いかけの言語に乗せて、冷静に(非感情的に)表現しなくてはいけないからだ。

だから、言語をマスターするまでは、そのフラストレーションを知らず知らずのうちに、自分の中にため込んでストレスを感じることが増える。まぁ語学的には1ヶ月目~1年目くらいまでの期間だろうか。

そのため、ぼくは「同僚とケンカした」という話をほかの隊員から聞くと、喧嘩の内容以前に、「感情を言葉に乗せながら、感情表現できるほどに語学を操ることができているのか」と感心したものだ。

 

 

 

 

 

今回の記事は、活動を終えるころになったからこそわかる視点で書きました。
ほとんどすべての協力隊員が、大小いずれかの語学に関する悩みを持っていることでしょう。

うまく表現できない。日本語ならたくさん話せるのに。。とっさの一言が出てこない。話が続かないから、誰かと一緒にいるのが苦  などなど

それは基本的に活動が終わるころになっても付きまとう悩みです。
ですから、それに固執していても仕方ありません。

すべての協力隊員が抱えている悩みですから、あなただけが感じている悩みではありませんし、僕だけが感じている悩みでもないのです。

 

ぼくは悩みなどのネガティブだと言われている部分も開示していくタイプなので、語学に悩んでいるあなたにとってこの記事が少しでも気持ちを楽にしてくれたらと願ってます。

 

語学能力が高いに越したことはありませんから、法則を覚えてから単語を増やしていってください。
でも、ぼくは農家さんと働いていて、農家さんは現在で言う中学校までしか行けてなかったりするので、下手に難しい端的に表現することのできる単語を知らなくてよかったなと思います。ぼくの”つたないスペイン語”が、農家さんの知識レベルでもかみ砕いて理解できるような消化しやすい文脈になるのです。
『話している内容が難しすぎる』と困ります。でも、簡単な表現で理解しやすい内容はわかりやすいのです。

ポジティブに捉えましょう

 

この女性はいまは服を着ているけど、この前後には水着だけの格好でボールを蹴っていた。日本でいうところのNHKである。最近、ワールドカップが近づいてきたので、ワールドカップ特集が増えてきた。日本のことを扱っている番組をみたことはないなー

 

 

Chao


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Chaito

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