協力隊の2年間は短い。というか、ちょっと足りないのだけれど!! 【期間特集第3弾】

 

協力隊の活動期間について、最近書いているのでそれに合わせて今回も。

原則2年間の協力隊活動は多少調整可能!! 1年半〜2年半

協力隊員の現地における視点の変遷:山あり谷あり 【2年間のカレンダー】

振り返ってみると、2年間は短い

 

2年間という月日は長いですか?

 

 

中学1年生が、中学3年生に。
高校1年生が、高校3年生に。
大学1年生が、大学3年生に。
社会人1年目が、3年目に。
20歳が、22歳になり、
24歳が、26歳になる。
29歳は、31歳になり、
54歳が、56歳になる。

 

 

20歳と60歳では感じる時間の長さが違うようで、

20歳にとっての1年間は人生の20分の1だが、

60歳にとっての1年間は人生の60分の1に相当するからだ。

年齢を重ねるごとに1年がより速く終わるように感じるというが、そういうからくりがあるそうだ。

 

 

 

さて、結論から言うと、2年間は短い。

往々にして、月日を振り返るのは、その月日が経った後だからだ。

 

「高校生活って、長かったですか?」
と問われたとしても、3年間という期間は長そうに見えて、感覚的には短くなっているものだ。
いろいろな経験があって、記憶に残っているのはごく一部のことばかり。
いつ何をしたのかなんて、さっぱり覚えていない。覚えているのは、自分の記憶に突き刺さるようなインパクトのある出来事だけだ。

 

だから、1年前に悩んでいたことなんて、風化してしまう。
そのとき精一杯悩んで、苦しんで、もがいていても、その渦から抜け出せば、台風一過のように澄んだ世界の住人になれる。

 

僕にとって、2年間という派遣期間は絶妙に短い。
協力隊応募時に目にした『2年間』という文字が持つインパクトほどの期間の長さは感じない。

 

短期留学や短期派遣で1ヶ月とか3ヶ月という期間を謳っているものがあるが、それはもう「着いて、良いところだけ見て、帰る」だけだろう。
半年間までの期間はそんなものだ。

半年以下の期間は、正直旅行と変わりない。

 

 

 

2年間という活動期間は、尻上がりの状態で帰国するのにちょうどいい。
そしてまた、「この国はこんなもんか」と諦め似た、投げやり感を感じるのにもちょうどいい。

それ以上いると、自分の存在の小ささに悩まされるからだ。良いように言えば、その場所で最大のインパクトを残すことができる期間が過ぎたとも言えるだろう。

 

うまく活動できているひとは、自分の仕事がちょうど盛り上がってきたくらいのタイミングで任期満了、帰国することになる。
だから、明るい気持ちで終わることができる。

『最後までせわしなく動いていて帰ってきた』という良い思い出with達成感で帰国できるのだろう。

 

また、2年間という現地生活の期間は、物事の裏側に潜む理由などを含む、全体を包括的に見渡すことができる十分な時期でもあるので、「わたしはこれ以上居ても意味がないな。次の人に任せよう」という考えも頭の中に浮かぶ。

僕も、配属先改革に取り組もうとしているが、それは冊子を作製して置き逃げする形になってしまうし、今要請に出している次の隊員のひとにお願いする形になる。また、「次の隊員が来るなら、しっかり日本人が気持ちよく働けるような環境のベースを少しでも残しておきたいな」と思って、”日本人ボランティア活用バイブル”なるものを作製したりしている。

 

「次に伝える」という意味では、2年間の派遣期間というのはちょうどいいのかもしれない。

個人に依存せずに、次の隊員に一歩二歩前に進んだステージを提供する。次に派遣されてくる隊員が活動しやすいように、自分と比較されないように注意を促したりすることも、継続的な国際協力には重要なのかもしれない。

 

 

日本の社会では、「3年目でようやく一人前の社会人」と聞く。
つまり、仕事を理解し、慣れて、それで戦力となるように歯車を回せるようになるには、だいたい3年間くらい必要なのだろう。

これを協力隊に当てはめればわかるが、1年目で大体わかった気になって、現地の人たちに絶望したりするのはお門違いなのだろう。

だって、真に協力できるのは、1年目以降なのだから。

 

だから、2年間という活動期間は絶妙に短い。

 

もがくだけもがいて、ひとつひとつの課題をクリアしていってもなお、その先の課題が目に見えてくる。目に見えてしまう。そういうタイミングだ。
たしかに、「あー、日本に帰国したいなぁ」という気持ちもある。

でも、それと同時に、「この暮らしがずっと続いても、それはそれでうれしいかな」と思っている。

 

活動や私生活の充実度を考えれば、1年目以降、右肩上がりで良くなってきているはずだ。その状態こそが、“現地に馴染む”ということでもある。
だから、「もう少し居てもいいかな」と思ったりする。

毎週末友だちとご飯に出かけたりすると、任期が終わる頃になって、初めて有効的な週末の使い方を理解する。

 

 

2年半くらいがちょうどいい

 

だから、個人的には2年と半年くらいがちょうどいい活動期間である気がしている。

ドイツからのボランティアが同じ配属先にいるが、彼の任期は3年間。
1年目は慣れる、旅行する
   →人や国を知る
2年目は働く
   →仕事をしっかりする
3年目は働いて、成果を上げる
   →インパクトを評価する

 

こんな感じらしい。まぁ、彼は1年間のうち、1か月間はドイツに帰っているし、給料(僕らで言うところの生活費)はジュニアボランティアの5倍以上はもらっている。ボランティアというよりかは、仕事といった感じだ。日本円にすれば、20万円くらい。先進国では、多くない額だが、南米で暮らすには十分だろう。

 

彼と話していると「2年間で帰るんだ!ちょっと短いね!」と言われる。
無論、ドイツのボランティアは、JICAのボランティアのように「国際協力の現場を体感し、経験を積ませる」意味合いよりも、「専門的に技術協力する」意味合いが強く、シニアボランティアや専門家のような働きぶりだ。
働き方も、かなり主導的に周りを動かす。意見の主張もしっかりするし、コロンビア人を丸め込むほど会話を支配する。

それがコロンビア人は嫌だったりする。プライドが高いから

 

客観的に見て、彼が話していることは“ワールドスタンダード”。でも、それはコロンビアワールドではなかなか通じない。

任地に到着した時からスペイン語がペラペラな彼らでも、キチンと“国際的な技術協力”を行おうとすると2年間という期間は短いのだ。 スペイン語を3ヶ月習った程度で派遣されてしまう青年海外協力隊とは、最初のスタートダッシュが違うのにもかかわらず、である。

※協力隊の語学訓練は、とてつもなく素晴らしい。でも、2ヶ月ちょっとの訓練と、10年以上南米で活動してきたひとのスペイン語能力とでは、比較にならない。日常生活では問題なくとも、専門用語や会議用語、ラジオで使えるような正しいスペイン語能力では大きな差がある。

 

べつに、協力隊がどうこうというわけでもないし、ほかの協力隊に比べてどうこういうわけでもないけれど、
ほかの国のボランティアと自分達がやってることを比較してみると、とてもおもしろいと思う。国によって、国際協力の在り方は異なるし、ましてや現場に出てくる人はそんなに「国際協力」「国際協力」していなくて、肩ひじも張っていない。とてもリラックスしていて、僕からするとかなりポジティブだ。

 

自分と彼とを比較するとやはり積極性が違う。それでも、コロンビア人がどちらのやり方を好むのかは知らない。
基本的に、コロンビア人は「意見ははっきり言わないと伝わらないよ」と言うわりに、意見をはっきり伝えるとムスッと不貞腐れる。プライドが高いので、多くを指摘されたくないのだろう。

だから、コロンビア人に伝える際は、「誰とは言わないんだけど、前こんなことがあってね。こうにしたほうがいいと思ったんだ」と遠回りで、誰を指してるかをボカして伝えたほうがいい。

 

だから、ドイツの彼が強い発言をすると、コロンビア人の同僚たちは狼狽える。彼が言ってることが正しくても、それを受け入れて活用する運営力がなく、あまり参考にならないからだ。

 

異国での2年間は性格も変える??

ぼくの配属先では、全員が集まるミーティングで始めにアイスブレイクが行われる。

そこで、「自分を3つの単語で表現する」というものがあった。

みんな、「時間通りに行動する」「真面目」「ほかの人思いやる」という、まぁポジティブな発言をする。実際は時間通りに集まらないけど、それがギャグなのか、本気で言っているのかはわからない。

ぼくは、「人間関係に執着がない」「恥ずかしがりや」「冷静」と言った。

外国の人囲まれた時の典型的な日本人の返答のようだなと、自分でも思った。少しの謙遜を含むパターンだ。

 

でも、この3つが自分をよく表現していると思ったし、わりとよく当てはまっている。

終わった後に、「もっとポジティブにならなくちゃ」と結構言われた。

これでもぼくはポジティブで積極的になったんだけどなーとちょっと内心反発した。

 

最近、自分の人間性の変化が終着点に着き始めていることに気づき始めている。

もともと、もう少し明るくなりたいな、もう少しフットワークを軽くしたいなと思って、そういう性格を手に入れることを願ってコロンビアに来たのだが、それもそろそろ定着の時期のようだ。

 

活動や語学力を抜きにした、人間性の部分でもこの2年間で大きく変化があったから、必然的に協力隊に参加したひとつの動機をクリアした。

性格とかも、より長い時間暮らし続ければ、かなり変わっていくと思う。

もう、自分自身も時間にルーズになってきたし、あんまり細かいことを気にしなくなった。スープに髪の毛とか小さい虫が入っていても、「取り除けばいいよね」で終わる。

不思議なものです。

 

 

 

 

まとめ

 

2年間というのは、人生においても短く、体感的にも短い。

 

活動期間として捉えても、すべてに取り組むことができず、仕事の置き土産が残ってしまう。その置き土産に取り組むことができればいいが、道半ばで終わってしまう仕事には取り組みにくい。
だから、最終的にはすべての仕事を完遂できるわけではなく、尻上がり的に満足感を得たまま派遣期間が終わる。

そして、次の人に任せるかたちになる。

 

2年半や3年間くらい、活動期間はもう少し長くてもいいのかなと思う。
そのほうが協力隊応募者も絞れるだろう。ただそうなると、2年間の活動を評価して満たさなければ帰国させるような仕組みも必要になるだろう。
1年半や2年間で充分な隊員を、わざわざ無駄に3年間活動させる必要はないのだから。

 

また、青年海外協力隊(20〜39才)とシニアボランティア(40〜65才)で、仕組みを変える必要もあるだろう。

 

新しい環境に順応するためには
1年間と2年間という月日が大きく違うように、

 

仕事の成果をあげるためには
2年間と3年間で大きく違ってくる。

 

2年間という派遣期間は、
気持ちよく活動を終わらせることができる良い期間だし、「これ以上、ここに居ても意味がない」と自身の存在感の有無に我慢できるギリギリの期間でもあるように思う。

でも、最大の成果をあげるためには絶妙に半年ほど足りない。どれほどきちんと2年間で終わる活動計画を立てても、こればかりは難しい。

相手あっての活動だからだ。

 

 

文化が全く違う世界にいるのだから、協力しようと思えばいくらでも、協力できそうな彼らとは違う自分の点(強み)を見つけることはできる。切りがない。

でも、相手がすべてを受け入れてくれるわけでもない。もし受け入れたら、それは「日本」になってしまうから。

それでも活動する際は、2年間だけでなく、5年後、10年後を見据えて協力しなくてはいけないのだから、その道筋を立てれば必然的に2年間という期間では終わらないのだ。だって、今後5年10年先のビジョンを描いているのだから…
なかなか難しく、おもしろいものだ。

 

すべてのひとが「自分の人生が良い方向に進んでほしい。世界が良い方向に進んでいほしい」と願っても、現実はそうはいかないように、どの鍵でどの扉が開くのかはやってみないとわからないみたいだ。

自分が思っているようにはいかない ということを学んだ

 

 

 

「協力隊の期間シリーズ」はこれでひと段落

Chao

 


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Chaito

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