カラダが違う方を向いて格好付けて話をしている人を信頼できないのは、へそが曲っているから
足を組んで、明後日の方向を見て、格好付けて話をしているひと。
カラダも相手と相対しないから、へそが相手の方を向いていない。
なぜか、とても信頼性が低く感じる。
初対面なのに言葉遣いが感じ悪いひとと同じくらい信頼できない。
目が合っていればいいのだが、カラダが違う方向を向いているから目は瞬間的にしか合わない。
ドヤッたときだけ、目が合う。
なんだね、それは
テラスハウスを見てたら、そういうひとがいた
ぼくはテラスハウスを見たことがなかった。
どういう番組なのか、登場人物もわからない。
全くよくわからなかったのだけど、1シリーズ?だけ見てみた。
その男の人は自信家な性格だけど、特に仕事やそのほかのことにも実績がなかったみたいで、周りの実績を伴う参加者との相対的な雰囲気下では辛辣に意見される立場だった。
ぼくが見ていても、なんだかそういう雰囲気を感じた。
それは「彼がそうに映るような言動をしているからに違いない」と思って、それを2週間くらいうっすらと考えていた。
今日ふと、その理由が思い浮かんだ。
その彼は、へそを曲げて話していたのだ。
つまり、カラダの向きが違う方向を向いて、物理的にへその向きが明後日の方向を向いていたのだ。
「へそをまげる」は、すねること
へそをまげるというのは、「すねる」みたいな意味で用いられる。
機嫌を悪くして、言うことを聞かない。
そういう状態、もしくは、そういう人のことを言う。
「あいつ、また、へそを曲げたよ」とか。
素直に耳をかさずに、へその向きを曲げてそっぽを向く(すねる)から、「へそを曲げる」というのだろう。
だから、そもそもシラフで、
からだがそっぽ向いた状態で話している姿勢というのは、物理的にへそを曲げているのだ。
だから、そういうひとはひねくれ者のように映ってしまっても仕方ないのだ。
だって、物理的に「へそを曲げている(=すねている)」のだもの。
へそは相手に向けること
『目を見て話す』と、よく小さいうちから教育される。
でも、相手の方にカラダを向ける、とかそういう細かいことまでは教育されない。
それはある種当たり前のことなのだろう。
あぐらをかいたり、足を組んで座っていたりするのはいいのだが、おへその向きだけは相手の方に向けた方が信頼度はたかまるかもしれない
はたまた、縁側に腰をかけたり、バーやレストランで同じ方向にへそを向けて横並びで同じ風景を眺める。
それは、「へそを曲げる」とは違う。
これまで長く使われてきた言葉や比喩的な表現は、おおくの経験や鋭い観察眼に基づいて定着してきた。
だから、なにかと役に立つことは多くて当然なのだろう。
へそを曲げないようしたい
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