青年海外協力隊のイメージが肯定派と否定派でバラバラなのはなぜ??【個人ー組織の問題は、すべて組織に押しつける】
青年海外協力隊のことを書こうとすると、
隊員によってJICAに対して言ってることがバラバラだし、
OBOGによっても違うし、国際協力をしているひとによっても違う。
ひとつの組織に対して、こんなにイメージがバラバラなのは何でなの???
自分と組織の間の問題は、組織のせいにしない
JICA事務所や青年海外協力隊事務局、現地の調整員は、ドライな存在である。
それに、サポートする存在に過ぎない。
なぜなら、隊員は自立した個人であるからだ。
満20歳以上しか協力隊員にはなれないので、日本という自己責任の社会に慣れている大人だ。
だから、現地で何が起きても基本的に自分で解決しなくてはいけない。
それを承知で、青年海外協力隊の隊員になったのではないだろうか。
しかしながら、なぜか現地事務所や調整員に責任転嫁してしまい、それを「JICA」や「青年海外協力隊」の悪口としてしまう。
『クロスロード』という青年海外協力隊の映画を観てほしい。
海外に行ってまで、たかが数人のまわりの日本人に心を奪われて、周りのことが見えなくなるくらい気持ちが熱くなってしまうのは避けたほうがいい。
ぼくは肯定派になるかな
悪いことは調べれば、いくらでも出てくる。
愚痴だって同じだ。
それに、元も子もない話だけど、青年海外協力隊に関する情報、1つ1つはやはり1事例にすぎない。
このブログの記事もそうだ。
それに、めちゃくちゃに不平不満を言ってる記事もそうだ。
それでもぼくは、青年海外協力隊という事業に関して、肯定的な態度を取っている方だろう。
ぼくは、訓練をした駒ヶ根訓練所での生活にも不平不満はないし、
派遣先のコロンビアの現地事務所にも、調整員にも不平不満はない。
だからJICAや青年海外協力隊事業そのものにも、私的な不平不満はない。
もちろん、気にくわないことなどはあったが、それはぼくの気持ちや考えと相性が合わなかっただけで、不満な点にはならない。
流動的に利用する青年海外協力隊というボランティア事業は、あくまでも利用するものなので、わざわざイライラに最後まで付き合って挙げる必要はないと思う。
たとえ、現地でイヤなことがあっても、現地で起こったことは「協力隊の1つの活動」として自身で解決していった方が気持ちが乱されないだろう。
ここまで、肯定派と否定派が存在するのはめずらしい
欅坂46の「サイレントマジョリティー」的に言えば、
声を挙げない者たちは賛成している。
ネット世界で、まめに情報を提供しているひとたちは一部に過ぎない。
青年海外協力隊の隊員はたくさんの人が情報発信をしているように見えるが、実際分母と比較すれば大したことではない。
年間500人以上(正確な数字はしらない。)は隊員を生み出しているので、そこで10人くらいがブログなどを始めたところで2%にすぎない。
サンプル事例としては圧倒的に少ない。
それに、ブログなどを通じての情報発信が主な活動となってしまうようなエフォートをかけるべきではないように思う。
現地にいる時間は、現地でしかできないことが無数にある。
そのひとつがブログなどでの情報発信であってもよいけど、あまりに日本の社会とのつながりを意識しすぎて、心を日本に置いたまま2年間の活動を行うのは意外としんどいと思う。
でも、おもしろいのはね、
だいたいのひとは多少の不満はあれど、べつに青年海外協力隊を恨んだりはしていないということだ。
それなりに楽しみながらも、任地で過ごしている。
愚痴なんかは、叩けば出てくるものだ。
経験にともなう感情の起伏がうまれやすいのだから、当たり前のことだろう。
協力隊に関しては、否定派よりも肯定派のほうがどちらかと言えば多い。
しかしながら、一定数少数派で存在する否定派は、とても強い信念を持っているので存在感が強いような気がするだけだ。
良い理由と悪い理由があったら、悪い理由のほうをよく覚えているようなものだ。
内部でのやりとりや手続きなどのすれ違いでイライラすることはあるかもしれないが、事業全体をめちゃくちゃに否定するひとはいないだろう。
もしそういうひとがいるのなら、隊員OBOGになってもいつまでもそういうことは青年海外協力隊事務局に抗議し続けるべきだろう。
善いものは善く、悪いものは悪いのだから、
悪い事業に2年間時間を無駄にしてしまうひとが出てこないように徹底的に廃止に向けて抗議した方が後世のためになる。
自分は最悪の思いをして、その愚痴を言うばかりで組織に働きかけないのは、組織の発展に貢献できない。
悪い組織が廃止されるのも、それはそれで発展だろう。
おごれるものはひさしからず ただ春の夜の夢のごとし
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