参加前は思いもしなかった、協力隊を経験したことで感じる5つの強み:自分の幸せをどう満たすか

参加前は思いもしなかった、協力隊を経験したことで感じる5つの強み:自分の幸せをどう満たすか

時が経つのは、速い。

今や、「青年海外協力隊の隊員」という肩書きは遠い昔のものになりつつある。

たかが半年前までは、隊員だったのに。。
今では、電車に乗っていても、そんなものはどこ吹く風だ。
他の人よりも、色彩豊かな服を纏うことが多い程度で、なんら違和感はない。

夢のように過ぎ去ったコロンビアでの2年間を、切なく儚く想い出すことがある。

前に進んでいけば、過去は過去となるのは仕方のないことではある。
しかし、それでも、2年間というかけがえのない時間を過ごした貴重な経験は自分のなかに積み重なっている。


それは、僕が青年海外協力隊に参加する前に想像できたものではなかった。
それを、この記事では紹介したいと思う。


①どうでもいいことで、いちいち感情が揺さぶられなくなった

宮城県松島のだるま


電車で人と少しぶつかる。
満員に近い車内で、ギューギューにされる。
そんなのは、好きでもないひととハグをしたり、ダンスを踊らされた身からすれば、大したことではない。
パーソナルスペースが狭くなったことは、人口密度の高い日本で生活する上では非常に都合がいい。

ご飯を食べようとしたとき、料理のなかに毛やムシを見つける。
そんなのは、指で取ってお皿の外に出してあげれば、問題なく食べることができる。
ギャーギャー騒ぐことではない。

スーパーのレジに長蛇の列ができる。
急いでもいないし、レジの店員さんもがんばって働いているのだから、待てばいい。
わざわざイライラする必要もないし、そのイライラを他者に与える必要もない。
ましてや、相手を急かすくらいなら、自分がもっと余裕を持って行動に移せばいいだけのこと。
5分待つことに対してイライラするのではなく、10分早くに用事を済ませるような心構えを持てばいい。

皮肉っぽく受け取ることができるニュアンスで、遊ばれることがある。
わざわざ相手のレベルに降りていく必要などないのだから、遊んでいる気にさせてあげて、それを楽しめばいい。

歩きながら、良い曲が流れていれば、鼻歌を歌ったり、口笛を吹けばいい。
鼻歌を歌いたいときは、べつに少しくらいハミングしていても良いだろう。
「ハミングしたい」と思ったときには、ハミングをすればいいのだ。
どうせみんなイヤホンしていて聞いちゃいないし、すれ違いざまに口笛を吹いている人がいるからって不快にさせることはない。


自分が訊きたいと思ったのなら、訊けばいい。
自分がゆっくり歩きたいと思ったら、ゆっくり歩けばいい。
自分がしたいと思ったら、すればいい。

意外と「したい!!」と思ったことはできていなかったりする。
躊躇してしまう自分がいるのだ。
その躊躇してしまう自分を解放できること自体が些細な幸せで、
その些細な幸せを積み重ねると、とてつもなく大きな幸せになるいうことに最近気づいた。

②本質的な部分を読み解く力が増した

コロンビアの農家さんちのバイク

2年間異国にいると、うまくいかないことばかりで、自分の幸せを最優先にすることは難しい。
たとえば、「コロンビアの農家さんたちに協力したい!」と思って、それを最優先事項に2年間過ごす。
それはまさに僕にとっては、青年海外協力隊で充実した時間を過ごすために大切なこと、必要なことだった。
でも、自分の内面だけでなく、『コロンビアの農家さん』といった自分以外の人を””自分が幸せになる””ために必要としてしまうと、これを満たそうとするのは非常に難しい。

だって、コロンビアの農家さんが幸せになること=僕の幸せ なのだから。
これには、限りがない。コロンビアの農家さんは、僕の場合90人もいたのだから。
満ちるはずがないのだ。
だから、帰国後の今、自分のことだけに意識を向けることができるのは非常に良い。

言い方を変えれば、「コロンビアの農家さんたちに協力したい!」という目標(意気込み)自体が、大きすぎたのかもしれない。
それは、今思った。まさに、この記事を書いている、今だ。

自分が幸せでなければ、誰かを幸せにすることはできない。
そういう意味で、コロンビアの同僚たちは非常に模範となる人たちだった。
彼らは、それを口々に言っていた。
「仕事は生きるためにするものであって、仕事をするために生きているわけではないの。」
彼らは、自分が幸せな時間を送るツールとして、仕事をしているだけだった。



そのような学びを経て、日本語という母語のイージーな世界に帰ってくる。

そうすると、なんか急に見通しが良くなった気がしてくる。
「なんで、そんなことで悩んでいるの?」と思う機会が増える。

途上国でもまれると、無駄な物が省かれる。
無駄な物を省いた状態で、本質的な部分だけを追い求めることができるようになる。
なぜなら、途上国では多く追い求めても、すべてを手に入れることなど到底できないからだ。
二兎を追う者は一兎をも得ず
一番手に入れたい物を手に入れることができれば、それだけで満足なのだ。

だから、「それなら、これだけはやっておけば平気だね」とか、
「そういうことで悩んでいるなら、○○をやめればいいんじゃない?」とか、
そういう道筋のような物がなんとなくぼんやりと感覚的に見えるような気がする。



普段の感覚で例えるなら、
旅行の前に入念に荷物の準備をしたのにもかかわらず、結局家の扉を出る直前に
「まぁ、財布とケータイを持ったからだいじょうぶだね」と安堵につくようなものだ。
結局のところ、必要な物だけをきちんと押さえておけば、どうとでもなるのだから、装飾する前に本質を見極める力を手に入れられたのは大きい。

③自分にとって幸せとはどういうものなのか を学べた

ガラパゴスのトルトゥーガベイ


多くの日本人は「私は幸せではない」と言うけれど、なにをどうすれば自分が幸せになれるのかを知らない。
その道筋を考えない。
幸せとは誰かが与えてくれるもので、自分が幸せになるためにはその機会を待たなくてはいけないと、当たり前のように考えている気がする。

でも、自分がどういうときに幸せを感じるのかを知らなければ、幸せを求めることなどできっこないのだ。
それでも、どうしてか、漠然と「幸せではない」と答える。

それを『謙虚』というのか、『迷子』というのかは知らない。


ぼくは基本的に、自分がしたいと思ったことを達成できれば、幸せを感じることができる。
当然のことと言えば、当然のことだろう。
やりたいことができれば、満足感を得るのは当たり前のことだ。

自分で仕事のノルマを立てて、そのノルマを達成するべく、工夫をして、最短を導く。これが楽しい。
ほかにも、自分が「したいな!」と思ったことを、とっさに【する】を選択できたときは些細な幸せを感じる。
自分のなかで、自分の選択に【Go】サインを出したときは、意外と心的な充実度は高くなる。
言いたいことをきちんと伝えることができたり、誰かの役に多少なりとも立てていれば、その貢献感だけでも少しは幸せだ。

幸せというのは、感情であって、物ではない。
「私は幸せな状態でいる」ことはあっても、「私は幸せを手に入れている」ということはないだろう。
物ではないと思うのだ。(私の子ども=私の幸せ などは別だ)

幸せは喜怒哀楽のような感情であり、その幸せという感情を恒常的に高い状態で維持することができれば、ずっと幸せでいることができる。
だから、日々の些細な幸せを逃してしまうのはもったいないなと思うのだ。


そういう意味で、自分がどういうときに幸せを感じるのかを理解していない人が、他者に「自分を幸せにして」と傲慢に願っているのを目にすると、幸せになるための本質的な部分はそこではないような気がしてならないのだ。


幸せであることが、人生で最も大切なことだとぼくは思っている。

幸せの形というのは、千差万別だ。
お金や家族、趣味、子ども、社会貢献、旅行、勉強、、、、、
どれも立派な幸せの形だろう。

そういう意味で、海外のひとたちは「自分の幸せ」がなにかを理解している場合が多い気がする。
コロンビアの場合、多くの場合、彼らの幸せは恋人や家族、両親、親族などの人間関係だった。

④自分がしたいことの道筋を立てることができるようになった


自分がしたいことをする。

この字面はよく見る、わりと慣れしたんだ言葉だと思う。
「何がしたい?」とか、「どうしたい?」とか問われることも、問うことも多いのではないだろうか??

でも、『自分がしたいことをする』というのは、自分の幸せの在り方に沿っての決断となる。
本当はサッカーがしたいのに、野球をしたり。
本当は忘年会に行きたくないのに、参加したりする。

自分が『したいこと』を優先していけば、自ずと幸せな状態になれると思うのだ。
その判断基準として、自分の幸せとは何かを自分で気づかなくてはいけない。

なんとなーく、何かを選択していては、迷子になってしまう。
だから、自分がどういうときに幸せを感じるのかを、言葉にできずともぼんやりとでも理解できるようになれば、必然的に「自分がしたいこと」の道筋が立てられるようになると思うのだ。



恋愛や愛に生きる姿もそうだし、自分のやりたいこと・自分の意見を強く尊重するのは、自分を大切にしているということに他ならないだろう。

⑤自分のやりたいことの方針が決まれば、今の自分に何が足りないのかも当然理解できるようになる

途上国とか、青年海外協力隊とかいうのは、べつに対して重要ではないのだけど、
何かにもまれれば、人はその分感情が豊かになり、それに乗して、いろいろな経験をすることになる。

恋に落ちれば、普段見ていた景色がカラフルに見える。
そのような経験は、多くのみなさんが持っているだろう。


2年間、自分が見ず知らずの場所に放り出されて(自分が望んでだけど)、がんばって取り組んでいると、
どうしても自分の非力さを目の当たりにする。
いろいろなことで協力できそうなのに、その対象が漠然と途方に暮れるほど大きな物であるが故に、どうしようもないのだ。

自分の専門を活かそうとしても、自分の専門を発揮する前の基礎となる基盤がないので、そこから取り組まなくてはいけない。
でも、うまくその土台をつくることができない。
その土台には、単に技術的・知識的な物だけでなく、文化的・習慣的・思考的・精神的・組織的・語学的に様々な要因が複雑に絡み合っているからだ。

だから、自分の小ささを感じるのには2年間という期間は十分だ。
かえっていえば、この2年間というのは、自分の小ささに耐えられるギリギリの長さでもある。

人によっては、わりと序盤から「ここのひとたちはダメだ」と感じるだろう。
それは、自分の小ささ=力不足、と連動した感情でもある。


人格的に、積極的に場に溶け込めなかったりする。
そういうことは個性の一部であって、べつに悪い部分ではない。

ただ、自分が自身のそういう部分を変えたいと願い、そのためのきっかけを探しているのであれば、そのもがきは非常に大切だろう。
ぼくは、「フットワークが軽くて、もっとも楽観的で他者に楽しい人格」を手に入れたかった。
そういう1つの人格を手に入れるために、ラテンアメリカという華やかな世界に行きたかった。


自分が望んでいる方針・人生の方向がわかれば、自分にとってなにが不足しているのかがわかるようになる。
算数の数式のような物だ。
解(自分が望む未来)がわかっていて、今の自分が持っているモノが明らかになれば、あとは引き算で「今の自分に不足している物=これから手に入れなくてはいけない物」を導き出すことができるようになる。



足りない部分というのは、誰しもが持っている。
だから、それは恥ずべき物では決してないだろう。
でも、「何が足りないのかわからない」、「何を理解できていないのかを、理解できていない」といった状態は哀しい。

それがわかれば、努力のしようはいくらでもあるのだから、自分が進みたい人生の道筋を立てることができるようになったことは非常に大きなプレゼントだった。

青年海外協力隊には2年間という終わりがあるが、人生という終わりのない世界で「2年間の学び」を活かし続ける


「今」という時間しか生きれない我々21世紀の民にとって、
人生で見れば2年間というのは短期間だが、そこに身を置いた当時は長い時間のように感じた。
そのような期間を異国で過ごすというのは、非常に刺激的だ。


非日常的な世界に病む人もいるだろうし、るんるんで過ごすひともいるだろう。
自分の力を十二分に発揮できないことにフラストレーションを感じるのも当然だ。

それでもおもしろいことは、帰国して半年も経つと、良いことも悪いことも覚えていない。

以前、こういう記事を書いた。

実際、手元に残っている感覚というのはない。
お土産品や友人関係はあるが、あとは、心のなかだけだ。

ぼくは、感覚的にすぐにコロンビアに行っても、一回り成長した状態で友人に会うことができるだろう。
青年海外協力隊事業のおもしろいところは、そこだ。

帰国して、時間が経ってもなお、学びがあり、自身の成長を実感できるのだ。
レガシー効果だ。
これは、僕の場合は「コロンビア」という水準を2年間で思い知ったから、そこを水準に再度日本社会でジリジリと階段を登ることができているからなのだろう。




他人の幸せに噛みつく前に、自分の幸せを求める。
自分の幸せを自分で満たそうと、行動に移す。

ぼくは、こういった内面的な変化を、派遣前に想像することはできなかった。
窮鼠猫を噛む ように、どんなひとでも追い込まれれば、なにかしらの変化を促される。
それをチャンスとして捉えれば、そのきっかけは起爆剤となり成長財になるのだろう。


気づき次第、またこのテーマを扱っていきたい。
経験が人を成長させるとは、よく言ったものだ!


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Chaito

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