青年海外協力隊事業が進歩しないのは、協力隊経験者が後輩に何も残さず、新隊員が0からのスタートを余儀なくされているから
青年海外協力隊というJICA(国際協力機構)のボランティア事業を、ぼくは利用した(2016年度1次隊)。
当事者からしたら、「青年海外協力隊」というのは繋がりがない。
行ったら、行ったっきり。
もちろん、横の交友関係は増えた。
それはそうだ。だって、多くの人と必然的に出会うのだもの。
でも、
派遣された任国の雰囲気を伝えることがない。
どういう活動を行なっていたか、わからない。
何がうまくいって、何がうまくいかなかったか、わからない。
後輩隊員へ、教訓やトラブルへの対処方法を伝授しない。
だから、青年海外協力隊には積み重ねがない。
青年海外協力隊事業の3本柱の目的のひとつに、「任国での経験を日本社会に還元する」といった類のものがある。
日本社会への還元というのは聞こえは良い。
しかし、まずはじめに、協力隊経験者ができることは、これから協力隊に参加しようとしている人たちに対して、現地での生活や活動の現実と教訓を伝えることなのではないだろうか?
それが我々協力隊OBOGが一番簡単にできる、青年海外協力隊という事業を通しての、日本への社会還元だろう。
青年海外協力隊事業に公金が利用されているということは、協力隊員というのは日の丸を背負った存在であることを意味する。
「公人だから、日本のために自分たちの経験を」というほどの大事ではない。
理由は非常にシンプルだ。
先を歩んでいる者が未来の可能性のために道を拓いたのなら、そこに積み重ねを行われなければ、後人は進歩しないのだ。
そうに考えると、青年海外協力隊というのは5万人というひとつの町の人口ほどの経験者を産出しているのにもかかわらず、明らかに積み重ねが少ない。
どこかに積み重ねているのかもしれないが、それがこれからの未来の協力隊員に生かされなければ、それは決して”積み重ね”ではない。
それに、2年間実際にその事業のなかに身を置いたぼくは、その積み重ねを感じたことはない。
非常に残念に思うのだ。
だから、面と向かって雑談のなかで「でも、青年海外協力隊の国際協力って形だけだよね」と、嫌みではなく、真意として核心を突かれることが多い。
青年海外協力隊が国際協力か、国際交流かなどというのはどうでもいいのだが、
青年海外協力隊に経験や教訓が蓄積(積み重ね)されていないのは、個人的に残念に思う点である。
そして、
国際協力を実際に行っている人からそのように指摘されると、心的なダメージはないのだが、「どうしたら、青年海外協力隊というボランティア事業が、より効果的なものになっていくのか」を考え始める。
ぼくはもうすでにOBOGという立場になってしまった。
協力隊に回数制限はないので、依然として協力隊になるチャンスはあるが、ぼくはもう協力隊に参加しないだろう。
そのなかでぼくが行き着いたのが、
個人で行えて、興味があるひとだけが好きなときに、好きなタイミングで、気になる部分だけを読むことができるブログという、記事での積み重ねであった。
微力ながら、誰かの力になっていることを願っている。
目次 Índice
情報発信をするひと
手本とされ、そのように賞されるものには、なにかしらの理由がある。
組織としてうまくいく仕組みづくりであったり、円滑に進展できる枠組みであったり、時代を先取りした合理的な改変だったりする。
青年海外協力隊はどうだろうか。
青年海外協力隊は、ボランティア事業の枠組みである。
その枠のなかに、各隊員がいる。
各隊員は、2年間という短い期間で流動的にボランティア活動を行う。
各隊員は、個人の自主性やオリジナリティが尊重され、誰かに干渉されることがない。
唯一無二の存在で、唯一無二の活動を行わざるを得ないがために、他人に口を出されることを好まない傾向がある。
「実際に現地でやっている活動」を真に正確に理解できる人など、自分以外に存在しないことを知っているからだ。
ともすれば、協力隊員や協力隊経験者は、相手のことに口を出さないということになる。
なぜなら、「自分の活動のことをよく理解いない赤の他人に、指図やアドバイスをされても的を得ていない」ことを経験的に理解しているからだ。
だから、協力隊経験者というのは、
あれほど自信満々で、個性が強く、人思いであるのにもかかわらず、意外なほどに情報を発信しない。
協力隊の任期中は、フェイスブックに投稿される同期隊員のうまくいっている活動状況を見るのがストレスになるひとがたくさんいる。
だから、自分から情報を発信することはおろか、ほかの隊員の情報をこっそりと見ることも嫌うきらいがある。
自分が無意識のうちに、「自分の状況」と「相手の状況」を比較してしまうが故に、“下手に”情報発信をしたくないのだ。
自分の活動スタンスが安定するまでは、そういうものだ。
些細なことがストレスになったりする。
そういうなかで、情報発信を行う者もいる。
ぼくは、コロンビア派遣中には、休み休みブログを書いていた。
その当時は、「誰かのために」というよりも、「自分の現状を知ってほしいがために」書いていた部分が多かったように、今思う。
日本語で文章を書けることも楽しかったし、誰かに伝えたいいろいろなエピソードを日本語で伝えたかったという理由もあった。
そして、任期が残り数ヶ月にさしかかった頃には、『生涯ブログ』としてこのブログを立ち上げた。
それは、将来的な副業としてもそうだし、「2年間」という限定的に有効な記事だけでなく、長く価値のある記事を積み重ねていくことを決意したからだ。
(ちなみに、現役隊員は副業を行うことが禁止されていると思うので、ブログに広告を貼るのは気をつけたほうがいいです)
自分が悩んだこと・辛かった経験が後輩に活きる
正直言って、他人の専門的なことはわからない。
僕だって、農業や環境について、自分の専門分野がある。
それに関する情報もある。
でも、「青年海外協力隊」をテーマに扱う際、そのような専門的な部分は切り離して考えなくてはいけない。
なぜなら、僕の専門性と、これを読んでいる読者のみなさんの専門性は、絶対に一致しないからだ。
これを言い換えれば、
専門以外の部分であれば、すべての協力隊経験者の経験を、未来の協力隊員のために活かすことができることを意味する。
われわれは、日本人という同じ文化や習慣を持った集団なのだから、だいたい任地で感じることは似てるものだ。
バスが時間通りに来ない。
人が約束をすっぽかす。
仕事がシステマティックになっていないことに対して、フラストレーションが溜まる。
こういうのは、わりと多くの協力隊員が感じることだろう。
ということは、新しい隊員も、例に漏れず、その経験を通過していくということだ。
それなら、それに対する策や経験から編み出した心構えを伝授すればいいのではないだろうか。
「あのひとは、こういう風にこの壁を越えていったのか」という選択肢を与えることができる。
切羽詰まっているときに、ゼロからスタートすることの辛さを経験しているからこそ、何かひとつの策を提案してあることのありがたさは痛いほど分かるはずだ。
その策が、すべてのひとの役に立つかはわからない。
しかし、役に立つこともあるかもしれない。
それだけで、十分ではないだろうか。
協力隊の隊員は、「0からのスタート」が一般的
協力隊員の任地や派遣先、活動というのは唯一無二であることがほとんどだ。
新規で派遣される隊員ではなく、後任として派遣される交代隊員は前任隊員からのベースがある。
「前任隊員が残した影響が後任隊員を苦しめることもある」と耳にすることも多いが、ぼくは新規隊員だったのでわからない。
新規隊員というのは、新規という言葉が指すように、新しい環境で道(存在)を切り拓く必要がある。
文字通り、ゼロからのスタートだ。
でも、その環境では「ゼロからのスタート」だが、新規隊員として派遣されて「ゼロから切り拓いた協力隊員」はごまんといる。
そういう隊員は、後輩のために情報を残しておくことができる。
青年海外協力隊には、残念ながら積み重ねがないから、同じことの繰り返し
隊員の活動は、個人に依存するもの
こういう“もっともらしい綺麗な言葉”、一言で事業を片付けている限り、古今東西の隊員の経験を集約できない。
というか、そういう組織があったとしたら、明らかに破綻しているだろう。
ぼくが自分の国際協力NPOをつくって、1人に1000万円を投資して、10人のひとを途上国の現場に送り出したとしよう。
そのひとたちが不透明な活動をしていたら嫌だし、自分たちが経験したことを後世や次世代の人たちのために残していかなかったとしたら、非常にがっかりするだろう。
それに、先輩が後輩に指導を行うのは、自尊心のためではなく、後輩を育てるためであり、後輩が自分を超える成長をしてくれるように期待するからだろう。
継続して進歩していくためには、
新しい世代は、前の世代が蓄積したことを糧に、さらに上積みしていくしかないと思う。
自分の後輩がいたとしたら、その後輩は僕を超えて行ってくれなくては困るのだ。
そうしなければ、社会や組織は進歩しない。
そのためには、ぼくが0→10までレベルアップしたことを後輩に伝授して、後輩は0からスタートするのではなく、5や8からスタートできるようにしなくてはいけない。
そうすれば、後輩は5→15、もしくは、8→18までレベルアップさせて、さらに次世代につなげることができる。
ぼく:0→10
後輩:5→15
その後輩:10→20
このような積み重ねがなければ、永遠と0→10を繰り返すことになる。
ぼく:0→10
なにも知らない後輩:0→10
その後輩:0→10
隊員個人個人の活動や2年間の現地生活の裏には、必ず他の隊員の役に立つはずの経験や情報、知恵や心構えがあるはずなのだが、青年海外協力隊には、その積み重ねがない。
0→10を行ったり来たり。
だから、実情を知っている人にはあまり評価されない。
利用価値があることと、社会的に評価が高いということは別物として考えるべきだろう。
青年海外協力隊事業は、たくさんの隊員を送り出しているわりに、その分の経験値が集約されていない
青年海外協力隊は、2年間の国際協力入門編であることは事実だ。
しかし、「入門編」だからといって、事業として歩みを止めていいわけではない。
青年海外協力隊事業は、各隊員の自主性を尊重しているが故に、その「各隊員」という大きな集団がそれぞれの地で集めてきた経験を、うまく積み重ねることができていない気がする。
NARUTOのうずまきナルトであれば、影分身の術を使って、一気に大人数で経験をしたことを、その術を解くことで本体1人にその経験値を集約することができる。
でも、青年海外協力隊は5万人もの大人数を古今東西送りだし、個人個人は経験値を稼いでいるのに、「任期が終わりが縁の切れ目」なので、青年海外協力隊事業にはその貴重な経験値が集約していない。
残念でならない。
「青年海外協力隊の経験が日本社会や企業に評価されない」と、事業関係者の口から発せられることがたびたびあるし、帰国後の研修では就職支援をしてくれているそうだが、履歴書やエントリーシートの書き方でアピールが足りないのではない。
ましてや、協力隊経験を他者に伝える能力が欠けているのではない。
青年海外協力隊という事業自体に積み重ねがなく、2年間という流動的なボランティア活動をうまく有機的につなげることができていないが故に、青年海外協力隊の集大成となる成果を提示することができないから、各隊員の活動や努力や経験が宙ぶらりんにならざるを得ないのだ。
1つの隊次で150人ほど隊員を送り出しているのに、それを帰国後、その150もあるサンプルの経験をとりまとめする姿勢がないのは、どうなのだろう。
ぼくもそのうちの1人である。
そして、ぼくは2年間が終わった後も、ねちねちと過去にすがるがごとく、しっかりと「青年海外協力隊」について書き連ねている。
実際、協力隊自体は僕にとってもう過去のことで、ぼくは次のステージにいて、さらにその次のステージに向かって歩んでいるので、「青年海外協力隊」をテーマに記事を扱っている熱量のわりに、これらの記事をタイピングしている現実の僕は冷めている。笑
冷めた自分でも、青年海外協力隊事業には恩がある。
それに、経験者として日本社会にいるからこそ、冷静に見えてくる「青年海外協力隊」という像がある。
そもそも、ぼくはいま、青年海外協力隊事業とは全く関係のない者。
本来なら、こんな真剣に青年海外協力隊のことを考える必要などないのかもしれない。
それでも、ぼくがない頭を振り絞って、この記事を書く理由は、
「後輩となる未来の隊員が、ぼくらの隊次よりももっと良い活動を行ってほしい」と願っているからだ。
それに他ならない。
そのためには、やはり、青年海外協力隊事業という枠組みをもう少し手本となるように強化しなくてはいけないと思うのだ。
それに、2年間という期間で流動的に移り変わる隊員をうまくつかまえて、積み重ねできる仕組みを創るべきだろうと思う。
おわりに:微力ながら、ぼくはこれからも記事を積み重ねていきます
ただの冴えない協力隊OBである僕でさえ、いくつも記事を重ねて、情報を発信することができる。
2年間を異国で過ごし、そして、そこで喜怒哀楽の感情とともに、母語を用いずに生活をし、現地の人のために国際協力活動を行う。
これだけ何重にも話題性を抱えているのだから、後世に伝えられることの1つや2つは必ずある。
2年間で5回しか提出することのない「各400字以内文字指定ありの5テーマ」報告書では、伝えられないことばかりのはずだ。
JICAに問い合わせをすることで参照することのできる「過去の現役隊員の報告書閲覧」よりも、よっぽど価値がある自信がある。
それに、最近は「参考になります」という非常に心強く、そして、書いて良かったと思える意見をいただけることがあるのだ。
うれしい。
ぼくはいま、現場に行って国際協力を行うことはできないので、国際協力を行こうとするひとたちにとって、ぼくが書いた記事の一言でも二言でも、1写真のイメージでも、なにか役に立てる情報を提供することができているのであれば、これほど幸せなことはない。
ぼくの各記事は、やはり、ぼくのフィルターを外して書くことはできない。
どれほど努力しようと、それは不可能だ。
だから、客観的で汎用性があるような内容を記事にしているつもりではあるが、依然として「1例」の範疇を超えない。
ときどき、青年海外協力隊の隊員のブログを眺めることがあるのだが、どうしても現役のひとのブログが目立つ。
協力隊経験者で俯瞰した立場から情報を提供しているひとは、ほとんどいない。
現役のひとのブログは、現場に身を置いた立場から、非常にリアリティに富んだ感情豊かなブログで味がある。
そういう人たちには、帰国後も継続して、今度は「経験者として」達観した情報を書き連ねていってほしい。
そうすれば、徐々に個人レベルであっても、後世の隊員へと伝えられる情報やエピソードは増えていくだろうから。
出前講座や講演というのも大切なことだろうと思う。
しかし、何もそのような機会を待たずとも、他者に経験や任国のことを伝えることはできる。
何の気なしに書いてたこの記事だって、6000字だ。
僕の記事は無駄に長くなってしまいがちなのだが、それでも、400字の文字制限下ではいかに提供できる情報が限られるかわかってもらえるだろう。
ぼくは青年海外協力隊事業とは関係のない立場なので、まずは、ぼくが個人で始められる後世への経験の伝授を、このブログを通じて続けていきたい。
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