【精神的裏技】青年海外協力隊参加後に、「過去の2年間」を変えることができる!!

 

過去を変えることはできない。
しかし、未来を変えることはできる。
だから、未来へとつながる今を一所懸命に生きる。

 

とてもいい言葉だ。
でも、協力隊の場合、過去を変えることができる。

どれだけうまくいかないことがあっても、「うまくいかないことだらけ」という充実した期間


うまくいかないことばっか。

卑屈になって、部屋で日本語のYouTube動画を見る。
そんなことは普通だ。
だって、人間だもの。

 

とっても疲れて、体は元気なのに、心は疲弊している。
でも、なぜ疲弊しているのかはわからない。
原因の心当たりが多すぎて、「心当たりがない」と勘違いしてしまい、なぜか自分の精神エネルギーを削られている。

あるある。

 

いつもは気にしないで我慢していたのに、ささいな不幸や不運が重なると、ちょっとしたことに過敏になる。
イラッとしたり、むかっとしたりする。
ぼくも一度だけ「俺はあなたたちのおもちゃじゃない!!」と行って、配属先から出て行ったことがあった。
幸運なことが続いていたら、絶対に笑って過ぎ去った一言にむかつく。

あるある。

だって、人間だもの。

でもね、きれい事だけどね。
そういう経験さえ、笑って浄化できるときがくることも事実だ。

ぼくは、1年前の自分がどういう感情でいたかを覚えていない。
いらいらとか、自分に不都合なことが山積みすぎて、そんなこといちいち覚えてられないのだ。

もちろん、当時は目の前にいちいち現れるイライラ壁に真剣に取り組んでいた。

でも、あまりにもその壁の数が多すぎて、何個目の壁だったかなんて覚えていない。
壁(苦悩や困難)を乗り越える経験が多すぎて、もう壁が乱立するその状況が高原状態に感じる。

最初にいくつかがんばって壁を登ると、そこから次々現れる壁を乗り越えるために、いちいち下に降りなくて済むのだ。
さながら、ドミノの上をぴょんぴょんと跳びながら進んでいくようなイメージだ。

 

「うまくいかないこと」が多いと、うまくいかないことに慣れるので、些細な幸せや喜びを素直に拾い上げることができるようになる。
これを実感するのは、帰国後に日本社会を眺めたときだと思う。

 

過去は解釈を変えることで、変えることができる!!


過去は変えられない。

そう。

たしかに、過去は変えられない。
でも、変えられないのは過去の「事実」だけで、過去の「解釈」はいくらでも変えることができる。

 

時間の経過とともに過去になっていく「今」を一所懸命に生きることは大切なことだ。
そして、どういう選択をするかも「今」の自分に委ねられるから、後悔のない選択を行わなくてはいけない。

ときに、間違った選択もあるかもしれない。

ぼくも間違った選択の繰り返しで、よく自分の部屋に閉じこもっていた。
「もっと外に出かけるべきだったな~」と思うこともある。

でも、あれはあれで意味があったと解釈している。

もしあのころ活発に外に出かけていたら、コロンビアのことをよりたくさん知りすぎて、帰国後の今「コロンビアにまた行きたいな~」と感じていないかもしれない。
だから、意味があったのだと思う。

活動でうまくいかないこともあった。
「あの進め方はよくなかったなぁ~」とか、「あのとき、あのひとに話しかけて、関係を縮めることができていたらなぁ~」と思うこと、しばしば。

でも、それは後悔とは違う。

ぼくはなぜかそれらの「後悔に似たなにか」を、今とてもポジティブに解釈している。
物事の捉え方によるのだろう。

 

 

『後悔先に立たず』と言うが、『後悔は後にも立たない』。
時間が解決することを待つのではなく、積極的に自分自身で解決を図ったほうがいい。

 

未来は来るものではなく、創るもの

 

明日は明日の風が吹く

 

未来は当たり前のことのようにやって来る。
たしかにそうだ。

でも、
0代の未来
10代の未来
20代の未来
30代の未来
40代の未来
50代の未来
60代の未来
70代の未来
80代の未来
90代の未来

 

未来は平等にやってくるが、意味合いは変わってくる。

10代の自分の未来と、20代の自分の未来。
なにかどこか違う。

80代の未来を、10代が考えることはできない。
逆に、10代の未来を、80代が叶えることはできない。

 

未来は、そのときの自分が創っていかないといけない。

たしかに、未来はやってくる。
ときに腐っているときもあるだろう。

それが「腐っている」か、「滞留している(休んでいる)」だけなのかは大きな違いだ。

常に流れているように見える河だって、場所によってはゆっくり滞留しているだけの場所がある。
常に速い流れに身を置いている必要はないのだ。

 

流れる水は腐らないのだから、ぐだぐだ休憩していたっていいだろう。
しかるべきときに、流れに乗ればいいのだ。

 

「うまくいかなかったこと」を覚えているということは、それだけ自分にとって大きな影響力があったということ

つまらないときというのは、日々に抑揚がなく、自分の感情にも何の起伏もないときだ。

まるで、なにも注文できない回転寿司で、自分が好きじゃない同じネタのお寿司だけが永遠と同じペースで目の前を通過しているかのようだ。

なにもおもしろくない。
好きなことを頼むことさえできないし、自分でなにかを選択することさえできない。

仕方なく、その好きでもないネタを食べるが、一周するとそこにまた同じネタが補充されて、目の前を通過していく。
退屈極まりない。

 

選択肢があって、それがうまくいかなくたって、感情の起伏が生まれるということは、とても贅沢な感覚だ。
それがプラスの感情であれば、手放しで喜ぶことができるが、だいたいよく覚えていることというのは「うまくいかなかったこと」に自分の感情が乱されているときだろう。

 

でも、解釈の仕方によっては、心をそこまで乱してくれる出来事というのはとても貴重だ。

日本で、そんなに感情、乱されたことある???

異世界にひとりで飛び込むと、それまで日本で大事に大事にガラスケースに入れて保護していた自分の心が無防備になっていることがよくある。
むき出しの状態だ。

それも、徐々に保護膜が削れていくシステムになっているようで、保護膜を再形成できるほどの体力を自分が持っていない。
だから、些細なことで沸点に達したり、他方で、些細なことに感謝できるようになる。

自分の感情というのが、現地のひとのようにオーバーリアクション気味になっていく。

 

 

いつの日か、途上国の人らしく「何もなかった今日に感謝」し始める。

「感情を乱してくるほどにうまくいかなかったこと」なんて、そうそうない。
というか、頻繁に起きていたら、感情が乱されないだろう。

だから、それはつまり、「とても希少な経験」をしているということになるのだ。

 

おわりに:2年間の解釈は帰国後にいくらでも塗り替えることができるから、「未来を創る」今を懸命に

いま、何かに悩む。

1ヶ月後には、何で悩んでいたかを忘れる。

1年後には、悩んでいたということ自体を忘れる。

 

 

1時間後のことを考えると緊張する。

3時間後には、もう終わっている。

6時間後には、ホッと息をついて、充実感に浸っている。

 

 

そうに考えると、あまり考えすぎても仕方ないのかもしれない。

 

それでも、流れる水は腐らないから、一所懸命に休む。
休んだら、しっかり食べて、休む。
ずっと横になっていると豚になるかもしれないけど、「自分はアシカになりたいのだ」と思えば、可愛い自分になれる。
ときどき寝返れば、問題ない。

 

だから、安心してください。
異国で2年間活動する。それは、参加前に想像していた理想とは、違うものです。

たまたまうまくいくことがあれど、大方のことはうまくいかないことでしょう。
「教えに行っている」はずなのに、「常に相手から学んでいる」ことでしょう。
なかなか難しいものです。相手から学ぶ姿勢を持つことは大切です。

もちろん、活動の成果をしっかりとあげることは大切なこと。
でも、それに固執しすぎて、自暴自棄になったり、自分の弱さにばかり気を取られて、相手のことをよく視れなくなってしまってはいけません。
ぼくが経験者として、あの2年間を振り返れば、本質的な事実としては70点くらいかもしれません。
できること、やれること、やるべきことは絶えず有りましたが、できたことはそれに比べて非常に少ないものでした。

しかしながら、帰国して思うこと。

それは、あの2年間は100点だったということです。
うまくいったことは教師として、うまくいかなかったことは反面教師として、どちらも自分の未来に活かしていけばいいのです。
ブログをやることで、自分がうまくいかなかったことをネタにすることもできます。
(ただ、課題に直面しているときにそれを記事にすると、自分自身でも消化不良なイライラが伝わってしまうので、ぼくはほとんど書きません。)

だから、しっかり悩んで、うまくいかないことがなぜうまくいかないかを自分なりにも、そして相手の立場からも考えて、その経験を糧にすると良いでしょう。

協力隊の場合、その任地で、そこに住む特定の人たちと時間を共有している日本人は唯一無二の存在です。
どなたか、ブカラマンガのラウールやカテリーネ、タティアナやアルヘニスをご存知の方はいますか?
ぼくは彼らのことをよく知っています。

そういうことです。
自分だけしか知らない世界があるというのはとても強い存在(サポート)や人生のルーツになりえます。

活動期間はしっかりがむしゃらに働き、何がどううまくいって、2年間に価値があったかどうかは帰国後にゆっくりと解釈していけばいいと思います。
そういうメッセージを、これから協力隊に参加する人やいま協力隊として活動している人にこの記事で伝えたいです。

 

過去の事実は変わらない。
でも、過去の解釈を変えることで、過去を変えることはできます。

 

結局、毎日眠りにつく。
今日も今日とて、終わりが来るのだ。


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Chaito

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