【恋に落ちてからがスタート】活動半年目に訪れた感情の大きな変化:僕がコロンビアを好きになったきっかけ
恋に落ちると、まるで今まで見えていた世界がモノクロの世界だったかのように、色鮮やかに染まる。
異国や新しい環境で生活する際は、その場所のことを好きにならないと楽しめない。
楽しいか、楽しくないかで言えば、楽しいと感じた方が絶対に幸せだ。
でも、なかなか気持ちにスイッチが入らないと、楽しむ気持ちは生まれない。
そう、そこに住む人たちや友人、その土地のことを好きになればいいのだ!!
目次 Índice
この記事は、コロンビア歴半年のころに書いた記事の体裁を整えたものです。
2017年1月、コロンビアに着いて半年ほどが経った頃に書いた記事です。
2年間住んでいると、コロンビアに対する見方が階段状に変化していきます。
参考→協力隊員の現地における視点の変遷:山あり谷あり 【2年間のカレンダー】 【期間特集第2弾】
半年目あたりで、コロンビアに対する気持ちが一度大きく変わったことがありました。
そういう印象的な記事を、昔の僕が書き残していたので、加筆修正して当時の気持ちをお伝えできたらと思います。
ちなみに、加筆修正した今は、2018年11月下旬で、帰国後5ヶ月目(元々の記事を書いてから、1年と10ヶ月後です)
では、どうぞ
自然と流れてしまう月日と「2年間」という制限期間
半年も任地で過ごしていると,自分が青年海外協力隊であるということを強く意識することはなくなってきてる
周りの大人たちは,
「コロンビア人の彼女をつくって,コロンビアに暮らしなさい.2年間(ボランティア期間)が終わったら,日本に帰るの??」と訊いてくる。
子どもは子どもで可愛すぎる.
この子たちが大人になる姿を見たいなぁ と思う.
将来サッカー選手になりそうな子はいないけど,将来優秀になりそうな子や美人になりそうな子はたくさんいる.
特に,僕の任地や行動範囲内,友人の関係を見ると,ちびっこはみんな顔が整っている.
幼少期を知っている子がどういう風にコロンビアのおとなになるのか が知りたい.
その過程を見てみたい
親子関係が強いコロンビアでは,きっと反抗期はないし,何歳でダンスを覚えて,異性との交流を覚えて,背が高くなって,声変りが起きて,そして僕に対する接し方も徐々に変わるのだろうか。
全くわからないばかりだ
そう.
これまで,真面目に「活動!!活動!!」と言って意気込んでいたが,コロンビアで半年間生活するにあたり,価値観が少し変わった.
それは,
「ボランティアとして,コロンビアの任地や関わる農家さんを”どのように”幸せに,豊かにしていくか」
という考え方から,
「コロンビアで,”コロンビア人として生活していく”としたら,何をまず改善しなくちゃいけないのか」
という考えに変わった.
他人としての視点から、「自分がそこに住んだとしたら、どういうことをしていくか」と地域の内側から考えるようになった。
考え方が変わった理由は単純で、僕が恋しくなる人たちや離れたくない人たちがたくさんできたから.
正しく言えば,
お別れを言いたくないひとがたくさんできた ということだ。
「活動!活動!!」と意気込んでいるうちは、まだ現地人の視点には立てていない
去年の11月(コロンビア4ヶ月目)くらいから綺麗な上辺だけではなく,コロンビアやコロンビア人の嫌な部分・苦手な部分も見えてくるようになった.
その頃は,天気も曇りの日ばかりが続いたようなイメージを持っている.
でも,きっとそれは,活動のことばかりを考えて,勝手にがんじがらめになっていたからなのだということに気づいた.
たくさんの友人に誘われてたくさんの場所を知り,たくさん観光して新しい家族ができて,裏表のない彼らの優しさやその近隣に住むおじさんたちに捕まってビールをおごってもらって何時間も話している.
そうすると,どんどん自分が置かれている環境が居心地よくなってきて,小さな別れの日を迎えるごとに胸をキュッと締め付けられる.
家に帰ると,ホームステイ先の家族が温かく,「恋しかったよ」と言ってくれる.
コロンビアに来て,何人の人にハグをされながら,「帰っちゃうの!?次いつ来るの????さびしいな」と言われたことか。。。。
たった1週間くらいいただけで,こういう感情が芽生えてしまうのだから,今から1年5か月後のお別れのときなんて........ちょっと想像したくないなぁ
(*去るときは、普通にめそめそ泣きました)
でもきっとそのころまでには,やり残したことがないくらい,
たくさんコロンビアの生活を楽しんで,
コロンビアを満喫して,
たくさんの親友と家族をつくって,
しっかり彼らのために働いて,
胸を張って帰らなくてはいけないのだろう
文字にすると軽いな 笑
正直に言えば,青年海外協力隊でコロンビアにいる時点でたくさんの制約がある.
でもその分,職場を自分で探す必要もないし,いきなりクビにされて生活費を失うこともない.
青年海外協力隊の任期後に
自分で1から職を探して,見つけて,コロンビアの安月給にブーブー言いながら笑いながら過ごすことになったとして,それをぼくが受け入れることができるかどうかは不明だ。
たくさんのことを経験しながらも、「コロンビアが好き」の階段を登っていく
まぁそんなこんなで,
僕はいまかけがえのない友人に囲まれ,冗談を言いながら,ビールを飲みながら楽しい時間を過ごすことができる.
新しい場所に行けば,もうそれは旅行気分で,すべてが新しく輝いて見える.
窓際の席が僕の定位置だ.
そこでもまた,売り場のおばちゃんやおにいちゃんに優しくしてもらって,その街に良い印象を持つ.
コロンビアの素晴らしいところが,どんどん積み上げ式に増えていく.
それでも,まだ”ダンス”という最強の娯楽を身に着けていない状態だから,これからさらに楽しみは増えていく.
(*ダンスは結局、最後まで受け入れきれませんでした。→コロンビア大好きな僕が唯一受け入れられない、”不快な”文化の違い。ダンスをしないと、雰囲気が乱れる?)
どうしてこの2か月(4ヶ月目~半年目)くらいで大きく心情が変わったのかというと,
たくさんのコロンビア人やコロンビア家族と濃密な時間を過ごしたからだと思う.
これまでは、初めて会った家族,初めてお邪魔した家でどういう風に振る舞えばいいのかわからなかったから,新しい人と会うたびに少し居心地が悪かった.
でも,接し方がわかると,なんかもうすぐに溶け込める.
日本では人と人の間に”壁”が存在するけど,コロンビアにはその壁がない.
ぼくが彼らとの間に感じていた壁というのは、これまで僕が日本人特有の能力で自分一人でせっせと築き上げていた壁だったのだ.
考え方や価値観を知ることで、立ち振る舞いが楽になり、彼らとの時間を楽しく過ごせるようになった
コロンビアにも人見知り(おとなしいひと)のひとはいるけど,それは性格的にダンスなどを好まない&口数が少なめなだけで,コミュニケーションを嫌っているわけではない.
つまり,挨拶もしっかりするし,目を合わせて話もする.
話したいことがあれば話すし,訊きたいことがあれば質問もする.
言いたいことがあれば言う。
「好き」なら好きと言う。「嫌い」なら、好きではないと言う。
そんな環境が普通になってきた.
話したければ話せばいいし,質問したければ訊けばいい.
それは数人で話していても,10人で話していても同じこと.
もしかしたら,それは普通のことなのかもしれないけど,僕にとってそれは普通ではなかった.
だから,これを知って、実践できるようになってから、コロンビア人と一緒にいるときも居心地が悪くなくなった.
特に,一緒に住んでる女の子を職場に連れて行ったときの彼女の振る舞い(コロンビアスタンダードの振る舞い)を見ていて,それは確信に変わった.
初めての人が来たら,コロンビア人でも深くは話に突っ込まないし,その場の雰囲気を支配するのは大体数側の人たち.
でもそれを彼女に聞いたら,「居心地は悪くないし,それが普通だよ.良い職場だね!!」と言われた..
そう。
日本人の僕が同じ立場に置かれたとき,「あまり話せなかったな.少し居心地が悪いな」と感じるし、感じていたのだが、そうに感じる必要さえなかったのだ。
そんな肩肘張って、頭のなかフル回転で意気込んで、新しい場所に行く必要なんてないのだ。
だからこそ,コロンビア人と同じメンタリティーを手に入れることは重要.
ラテンの人って,おしゃべり屋さんのイメージが強いかもしれないが,実際話すときと話さないときの温度差がすごい.
たとえば,家族10人で話していても,ひとつの話のテーマが終わった後,次の雑談に入るまでに2分くらい誰も何も話さないことがある.
ケータイもいじらずにね
つまり,彼らは話し好きでありながらも,それと同時に沈黙を共有できるタイプだということだ。
それが不思議で不思議でしょうがなかったから,「黙ってるとき何考えてるの?」と訊いたら「何も考えてないよ」と言われた.
考えすぎも困りものですね 笑
まだ,任期の四分の3は残ってるから,そろそろお仕事もしっかりと始めます.
時計で例えるのなら,ちょうど朝の7時くらいを迎えたころだからね.
水シャワーを浴びて,仕事に向かうくらいだね.
ちなみに,僕は朝8時から夜8時くらいまでの12時間を一生懸命働こうと思っているので,
2017年2月(7ヶ月目)から2018年2・3月(1年7ヶ月目)くらいまで後先考えずにがむしゃらに活動する予定.
2018年6月に任期が終わるのでね.
あれ????
俺もうそろそろ帰るのか.....
(結局、任地を去る前までしっかり働いておりました。→あと3日したら任地去るのに、なんでこんなに働かなくてはいけないのか)
現地に恋に落ちたところが、スタート地点
トヨタ車って、普通こうよ!!
捌いた鶏の臓物で魚をおびき出して、捕まえようとしているところ。
結局、1時間くらい頑張ったけど、捕まえられなかった。
鶏はもちろん自分たちで絞めるし、自分たちでむしります。トサカから、足の先まで食べます。
ぼくは、もろ足の部分は食べれなかったけど。。。
僕はコロンビアが好きだし,今自分が置かれている環境(友人,家族,任地など)にとても満足している.
ダンスも徐々に習い始めて,ジムにも行こうと思ってる.
それでもまだ,コロンビアのすべての楽しみを引き出すことはできていない.
つまり,まだまだ楽しみや楽しみ方はたくさんたくさんあるということだ.
あきないなぁ~~
現地の人目線というのは,きっと現地に恋をしてから得られるものなんだと思う.
それは,彼らの人生が自分の人生と重なり始めたことを意味して,
そして自分から積極的にたくさんの人生を重ねていくことで,この気持ちはもっと大きくなっていくんだろうなと思う。
おしまい
2017年1月、コロンビア半年目の記事でした
帰国後に、この記事の”あのころ”を振り返って
2018年11月(帰国後5ヶ月目)でも、このときの自分の心境の変化をとてもよく覚えています。
心がほっこりしているに、ぽっかりと隙間が空いて、切なくなったんですバスの中で。
このとき、親友の田舎に遊びに行っていて、彼の家族や彼の彼女の家族と時間も感情も共有しました。
そこにいて遊んだちびっこ軍団とのほどよい距離感も心地よいモノでした。
語学的にも、たくさんのことを話すことができて、知ることができて、伝えることができて、満足度はとても高いときでした。
そういうころに、押しつけがましくなく、適度に心地よく僕を受け入れてくれた存在が、そこにはたくさんいました。
結局、2回やってきた年末年始は両方とも、そこで過ごしました。
そういうなか、彼らのことが好きになり、その地が好きになり、さらには、コロンビア全体のことが好きになりました。
「コロンビア人は優しい」というのを、まさに自分の経験を通じて、そして、心を通して深く理解した日でした。
だから、ぼくはいまでもコロンビアのことが好きです。
「あの人たちは何しているのかなぁ」と念を飛ばすことはよくあります。
仕事以外であれば、誰しもがみな、コロンビアのことを好きになってくれるだろう自信があります。
そのくらい素晴らしいひとばかりです。
少なくとも、言動が自分の性格と合わなくとも、善い人ばかりです。
彼らの本質を知ることができて、それに当てられたぼくの心は、彼らの虜になったのです。
やはり何事も、「好きになること」はとても素晴らしいことだと思います。
好きになったからこそ、見えてくるものがあります。
人間の恋愛もそうでしょう。
「優しさ」というのは、本来誰でも持っているモノです。
理想の恋人の話をすると、女性は「優しい人がいい」と、多くの場合、まず「優しさ」を最初に挙げます。
「優しさ」は多かれ少なかれ、すべての男性が持っているのにもかかわらず、です。
それは、好きになれば、相手の優しさに気づくことができるようになると思うのですが、誰を好きにもならずにフラットな状態から「優しさ」に焦点を当てて探そうとするから見つからないのです。
優しいから好きなのか。
それとも、好きだから優しく感じるのか。
(相手の優しさを受け留めることができるのか)
言葉遊びのようなこの2つの本質は、物事の見方を大きく変えると思います。
ぼくは、コロンビアを好きになったからこそ、彼らの足りない部分やそれを補って余りある良い部分に気づくことができたと思っています。
協力隊の活動や生活は、やはりその世界や人々を好きになることができなければ、宙に浮いたものになってしまうのではないかなと、最近ぼくは思います。
それはなにも海外に限った話ではなく、日常の足下にも転がっているモノだと思いますが。
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