青年海外協力隊参加”前”のぼくが持っていた国際協力観【Before-After:Before編】
帰国後のいま考えている国際協力観、国際協力のビジョンと、昔のぼくのものを比較したら面白そうだなーと思いました。
それに、僕自身、過去の想いを忘れるのはもったいないと思っているので、こちらのブログにも残したいと思います。
熱量がかなりあったので長目ですけど、若者の暑さを堪能してください!笑
2016年9月(当時24歳)に、コロンビアで書いたものです。
僕は2016年度1次隊で、同年8月に任地に着任したので、コロンビアに着いて2ヶ月経ったときの熱量の記事です。
若かったですね!!良いことです昔のぼくは、今よりも日本語が上手ではなかったので、加筆修正したこの記事を再投稿します。しかしながら、やはり当時持っていた熱量ややる気、ビジョンは、良くも悪くも今のぼくは持っていません。
ですから、熱量や想いはそのまま残し、文章的に幼い部分を訂正する程度に収めました。
ちなみに、帰国後にはこんな記事を書きました。
→【これでいいのだ】国際協力は高尚なモノではない。隣に友だちがいたら、仲良く手を貸す
また、この記事のAfter編、「帰国後の僕にとっての国際協力」はこちら
→
このリンクは最下部に張っておくので、是非読んでみてください。
目次 Índice
有名人であれば、大勢を瞬時に幸せにできる
僕は有名人ではない.
芸能人でもない.
ましてや、スポーツ選手でもなければ,歌手でもない.
彼らは,”ただ”握手をするだけで,”ただ”街中を歩くだけで,”ただ”挨拶をするだけで,人に元気を与えることができる.
なかには,彼らを批判的に取り上げる人もいるけれど,彼らが与えているモノに比べたらちっぽけなものにすぎない.
アイドルや歌手はたった数人で,何万人ものひとを同時に幸せにすることができる.
それが酔狂に見えたとしても,「幸せを与えている」という事実は揺るがない.
これ以上に何を望むことがあるだろうか??
だから,僕は彼らを尊敬している.
それは単純に,”かっこいい”,”かわいい”、”綺麗”という容姿だけの話ではない.
彼らが誰かを元気に,幸せにすることができているからである.
人を幸せにできることを、馬鹿にするべきではない。
「幸せ」は、すべてのひとが望み、求め、欲するモノであるからだ。
究極的には、人生は幸せであればそれでいい。
周りの人や環境、社会に迷惑をかけない範囲で、「幸せな時間」に身を置くことは理想だ。
一般人のぼくが、国際協力の世界に憧れたモチベーション
では,ぼくは何ができるのだろうか.
僕は,
震災時に自衛隊のように被災地に飛び込んで,人を助けることはできない.
日曜日の夕方のように,言葉だけで茶の間を暖かい気持ちにすることもできない.
アニメやマンガ、芸術のように,別の世界を創り出す力も持っていない.
作家のように、人々を何時間も引き込めるほどの文章を書けるわけでもない。
けれど,もし、
僕が学んできたこと,僕が経験してきたこと,僕が持っているアイディア,僕のアイデンティティさえもが役に立つ世界があるのであれば,ぼくはそれは自分の生きがいにすることができる.
それが,僕が国際協力を始めた理由.
”国際協力”というかっこいい言葉を使うと,立派なことのように文字上は見えてしまう.
けれど僕の場合は,
『自分の価値がより大きな世界で生きたい』
という自分のためにやってる感じだ。
自分が役に立てることがあるなら,
自分を必要としてくれる人がいるなら,
ちっぽけな存在である自分に価値を見出してくれる世界があるのなら,
僕はその世界で生きる方が幸せ。
国際協力に憧れを持っていたので、若いときの苦労は買ってでもしたかった
僕がこれまで生きてきた24年間で出逢った人たちは,みんな考えもしっかり持っていて,とても努力していて,日本で頑張っている.
だから,僕みたいにふわふわと生きているような人が一人いても問題ないなぁ~と、考えた.
日本の社会において,現段階で,僕が影響力を持つことはほとんど皆無ですからね.
それなら若いうちに,「日本の若者」を必要としてくれる世界でもがいて学んだ方が,僕自身の全体的な幸福度は増す気がした.
自分のためにそう思い込んだ と言ったほうが正しいかもしれない.
20代の2年間というのは,人生80年のなかでは短い期間でしかない.
2年間という期間は誰にとっても同じだけど、それでも、2年間の価値はひとによって、タイミングによって違う。
けれど,若いころの経験というのは,これから60年くらい常に活き続け,糧となる.
『若いときの苦労は買ってでもしろ』と、昔から言う。
協力隊に関しては、参加すれば”買わなくても”、サポートしてもらいながら、苦労をすることができる。
とても魅力的だ
知らない世界で活躍するためには、「不変なもの」に基づかなくては応用できない
大学(日本大学 生物資源科学 国際地域開発学科)に入った時点で,青年海外協力隊に参加することは決めていた.
18歳の頃だ。
学部卒ですぐに応募することも考えたが,専門知識が不足していたし,「ただ海外で2年間暮らすこと」に協力隊の価値があるわけではないと思った。
そのため、きちんと科学的な知識を手に入れて活動したかったので,大学院に進学した.
日本と異なる環境では,科学的な根拠に基づいてきちんと助言をしなくてはならない.
「日本では○○だから,こうにしよう」,「(日本ではみんなこうにしてるから)これが正しい方法だよ」という個人の見解に過ぎない考えや非科学的な助言をすることは,危険なことだと僕は思っている.
科学にもいろいろなカテゴリーがあるが、基礎科学などの分野は地球上では存分に参考にできる。
環境や考え方などは異世界では変わってしまうが、科学というのは変わらない。
というか、そこが場所によって変わってしまったら、科学の元も子もない。
僕は,野菜栽培隊員として派遣されている(2016年8月当時).
土壌の管理についてはきちんと科学的に”より持続的である”と証明されている種々の管理方法が存在するので,それに則って,それを理解して,それを噛み砕いて,彼ら(コロンビア農家)の生活スタイルや考えに沿って改良して,助言しなくていけない.
日本で学んだ科学を、コロンビアで社会実装できるように応用していかなくてはいけない。
無論、彼らにはかれらのコンセプトがあり、理由があるので、それも理解しないといけない。
僕の人生の目的:『世界をカラフルに見るために,自分の目を養うこと』
僕は,自分の人生をカラフルにしたい.
これは僕が幸せに生きていくためには欠かせないこと.
そのためには,2つの視点を持たなくてはいけないと思っている.
1) 自分の周りの笑顔を集めること
2) いろいろな視点の知識・経験を得て,様々な側面から楽しむこと
1) 自分の周りの笑顔を集めること
周りのヒトの笑顔をたくさん集めなくてはいけない.
出逢った人々が幸せになれば,必然的に僕の周りに笑顔は増えるだろう.
笑顔を増やすためには,彼らの感情をより幸せにしなければならない.
彼らがどういったときに幸せを感じるのかを知らなければならない.
彼らの”生活を豊かにすること”と”幸せを増やすこと”が別々であると考え,その兼ね合いは彼ら自身の判断・決定に委ねる.
それを支えるために,僕が提供できるモノ(考え方,技術,意見など)で協力する.
2) いろいろな視点の知識・経験を得て,様々な側面から楽しむこと
1つの事象を複数の視点で捉えるためには,いろいろな意見や考え方,知識を持たなくてはいけない.
1つの視点にこだわり過ぎず,複数の視点から可能な限り包括的に物事を捉える.
興味を持って眺めるのと、興味を持つことができずに”おもしろいこと”の目の前を通り過ぎてしまうのでは大きく違う。
何にでも暇を潰せるひとと、暇を潰すことができずに嘆くひとでは、やはり人生の楽しみ具合が違うと僕は思う。
日本がすべてにおいて最も良い国であるとは思わない
日本(上)とコロンビア(下)
「日本が他国よりも優れている」とは思っていないし,「日本人が他国の人々よりも素晴らしい人種である」という考えもない.
たとえそれが事実だったとしても,僕1個人がそれをおごることはできない.
それは僕が築き上げたモノではなく,これまでの諸先輩方が築き上げてきたものだからだ.
だから,まだ”若い”とされる僕たちの世代も,過去の栄光にすがるのではなく,自分たちでさらなる価値を積み上げていかなくてはいけないと思う.
そして,外国の人が,「日本は素晴らしい国だ」と言うのは,海外の諸国が持っているイメージであって,現実に沿ったイメージなのかは定かではない.
たとえば僕は,ドイツという国は,工業国で勤勉かつ真面目なイメージを持っている.
それは,学校教育でそう習ったから..
そういうイメージをよく聞くから..
ただ,それだけの印象操作
だから,マクロな話はとても難しい.
興味関心はあるし,大学でそのような視点は4年間学んできたからこそ,いま”青年海外協力隊”として実際に地域で活動できる充実した期間は、あまり大きな視点を持つことは控えるべきだろう.
僕がやりたいのは,世界を良い方向に進めるのではなく,僕と関わった人がより幸せになること.
ボランティア活動が偽善かどうかというのも, ただの妬みのような感情でしかないように,僕は思う.
***青年海外協力隊は,日本国民に資金的にも支えられています.その辺は十二分に承知しています.
「偽善かどうか」を判断するのは,誰なのか.
それは第3者である.当事者同士ではない.
第3者が外からつっついてくるから,そういう”よくわからない”議論が生まれるのだろう.
でも,外からの意見というのも重要で,
誰かがつっついてきたらそれに対して考え,自分の意見を持つことができるきっかけになるから.
国際協力という漠然としたモノをどう視るか
現代の国際協力というのは,時代の流れもあり,「目に見える変化」だけで評価されるものではなくなっている.
目に見える変化というのは,インフラなど.
技術移転というのを,どう評価する??
彼らの考えの変化をどう評価する??
彼らの行動の変化をどう評価する??
ヒトを評価するというのは,科学的なデータのように反復できるわけではなく,1つの事例しか存在しない.
ヒトがヒトを評価するというのは,とても難しい.
感情,考え,行動の変化を正確に知る(真に”正確”に知ることはできないが)ためには,より信頼関係を構築し,良好な関係を築かなくてはならない.
親密になったひとを評価する際に,相手を想う気持ちが含まれてしまうことも加味しなくてはならないだろう.
青年海外協力隊の活動を評価するのは、とても難しいものだ。
人間関係も国際協力のひとつであることは確かだが、それを評価することは普通できない。
終わりに
僕は,この2年間で自分が”国際協力”に向いている人物なのかどうかを判断したい.
もし,精神的・思考的・文化的・語学的・環境的に僕が国際協力に向いていると判断できたなら,今後も国際協力の道を進んでいきたいと考えている.
ここに書き記したことは,机上の空論的な僕の頭のなかだけの世界の話.
だから,ここコロンビアでの2年間の経験をもとに,僕の考えがこの2年間でどう変化するのか...
それは2年後にまた振り返ってみようと思う
2016年9月18日
コロンビアに来て,2ヵ月半ほどが経過したある日の文章
最後:意気込みポエム
みんながみんな,今の置かれた場所で頑張ってる.
奮闘している場所が違うだけで,みんなが苦労しながら,笑いながら生きている.
重ねてきた年数が違くても,歩んできた道が違くても,稼いでる金額が違くても,職業が違くても,家族構成が違くても,人種が違くても,生きているだけで素晴らしい.
ただ生きているだけで,その人には価値がある.
その人の価値を決めるのは,その本人ではなくて,周りの人たち.
周りの人が「どれだけ認めてあげるか」,「どれだけ可能性を引き出せるか」でその人の評価は変わるし,本人の意思も変わってくる.
それでも、人間には平等の価値がある。
そこには優劣はない。
何が”幸せ”なのかなんて言うのは,わかるはずがない.
それはその人自身で決めることだからだ.
だから毎日もがきながら,自分が”積み重ねてきたモノ” を土台に,”積み重ねたいモノ”を求めて進んでいく.
前に進んでいるのか,後ろに進んでいるのかはわからない.
けれど,後ろに進んだとしても,一歩踏み出したことに変わりはない.
だから,1日,1週間,1年間の喜怒哀楽を楽しむことができる.
協力隊員には,2年後というゴールがある.
けれど,コロンビアに暮らす人々には明確なゴールはない.
ゴールがないのであれば,”僕の2年間”というのがひとつの小さなゴールになるだろう.
どれだけ明るい将来を提示できるか,イメージさせることができるかが重要だ.
2年間というのはとても短い期間である.
「2年間で何ができるの??」と思われるのは当然である.
もしかしたら,何もできないのかもしれない.
けれど,人生80年だって,2年間を40回積み重ねただけだろう.
そう考えると,人生の”40分の1”の時間を、彼らと一緒に過ごすことができるわけだ.
人生を”積み重ねた年数”で測るひとがいるけれど,僕は”積み重ねてきたモノ”で測りたい.
年を取ることに意味があるわけではないからね.
でも,死んだら何もかもが無になる
だから,毎日交通事故に注意し,強盗に注意し,死なないように生きている.
健康状態に気を遣って,相手の健康状態を思いやる.
生きていることに価値があるからね.
(*ちゃんと無事に帰ってきました!!)
僕は農家さんに会ってお別れするときに必ず,少しでも明るいイメージを抱けるように「素晴らしい技術をすでに持っているし,まだポテンシャルもたくさんあるよ.」と伝えてる.
実際それは紛れもない事実で,お世辞ではない.
だれに,そうに言われても悪い気はしないだろう.
彼らが自分自身の価値を少しでも誇りに思ってくれればいいな と思う.
あの笑顔と優しさに触れたら,彼らのために頑張りたくなるのは当然のことである.
だから,
実際に体感しないと,この幸せは伝わらない.
これだけ長い文章を書いても,僕が伝えたい幸福度の30%も伝えることができていないだろう.
そう考えると,文章よりも写真を重宝していきたいなと思う.
言葉とは何を言うかではなく,
誰が言うかに尽きる
その「誰が」に値する生き方をしたい
イチロー
おしまい
この記事は、2016年9月にコロンビアで書きました。
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→すべての青年海外協力隊員は、世界平和構築の最前線にいる!!
→【これでいいのだ】国際協力は高尚なモノではない。隣に友だちがいたら、仲良く手を貸す
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ちなみにぼくはきちんと遺書を書いてコロンビアに行き、きちんと日本に置いていった遺書を自らの手で回収しました!!!
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