車椅子の人に協力するとき、段差は後ろ向きで登りましょう

車椅子の人に協力するとき、段差は後ろ向きで登りましょう

ひさしぶりに、横浜駅にやって来た。

東京ー横浜駅の電車がぎゅーぎゅー詰めだったので、「この生活はキツイな」と思う。

コロンビアでパーソナルスペースが極小になったからだろうか、電車内で人とぶつかっていても不快ではない。

でも、忙しくもないのに、わざわざ人混みに揉まれる必要はないから、人混みが去るまでホームで待ち、改札も人混みの終わりのほうでそそくさと通過する。

2年間横浜に住んでいて、横浜駅もよく利用していたのに、だいぶ様変わりをしていた。

昔は改札口を出ると見えていた、外へと続く階段が見えなくなっていた。

駅の見取り図を眺めようとしたら、車椅子に乗っていたひとが見取り図を見ていた。
後ろ姿で、外国の人だということはわかった。
「スペイン語で忘れている英語でも、まぁ目的地くらいまでは案内できるか」と3秒くらい決心に時間を要した。

その人はフランス人だったけど、日本語がペラペラで良かった!!!

横浜駅の人混みの流れが壁に見えたひ

福島に比べて暖かいのだろうか、横浜では半袖のひとが多かった。

それに、ひとが多い!!!

階段やエスカレーターに対して延びる人混み。

流れの速い川のように、みんな黙々と歩いてる。

フランス人の彼は、西口のユニクロに厚着を買いに行きたかった。
最近、急に涼しくなってきたからねー

上の案内板を見てみると、
駅のエレベーターは、隅の隅、入り組んだ先の場所に隠してあるかのようにあった。

普段、エレベーターは使わないから気にしたことなかったけど、エレベーターって車椅子の方や大きな荷物を持っているひと、足腰が悪いひとが利用する。
だから、ハジの方に設置するのではなくて、アクセスしやすい中央に設置するべきだろう。

それに加えて、エレベーターの前に、エスカレーターや階段で人の流れを作ってしまうと、その流れに乗れない人は物怖じしてしまう。

ぼくは今回、車椅子の彼を押す上で、彼の立場に合わせてゆっくり押していたのだが、あのたくさんの人の流れをエレベーターに乗るために垂直に縦断するのはなかなか勇気がいる。

もちろん通り始めれば、みんな周りにスペースを空けてくれる。
まるで、道を妨害されたアリの行列のようだった。

車椅子のひとに協力するとき、段差は後ろから

知らない人に後ろを任せるのは、意外と緊張するものだろう。
だから、スピードを出してはいけないのは、当然の配慮だ。

それに加えて、歩道に現れるちょっとした段差。
たとえば、歩道と歩道の繋ぎ目の部分は、綺麗なスロープにはなっていない。
だから、ガクンとぶつかる。

自転車のタイヤのようなグリップ力は、車椅子の前輪にはない。

「勢いをつければ登れるんじゃないかな」という冒険心は危ない。
ガクンと、段差に正面衝突するだけだ。

段差があるときは、反転して、お尻の方から後退りしながら登る。
そうすることで、大きな後輪で登ることができるようになる。

彼に教えてもらった。

スーパーのカートのように、「足で踏めば、前輪が浮く」ということはない。
というのも、車椅子には体重60kg近いヒトが乗っているからだ。

だから、段差や坂に対しては、潔く後ろ向きで登ること。

偽善とか偽善じゃないとか考えている暇あるくらいなら、協力していきましょう

ぼくはバスの乗車時間があったので、彼をヨドバシの8階に入っているユニクロの店内まで連れて行ったところでお別れした。

彼は大阪在住だそうだが、東京の六本木とかは坂ばかりなのだそうだ。
日本には、ときどき壁のような激坂がある地域もある。
そういう地域を周るのは大変だろうなぁ

乃木坂46が好きで番組を見たりするのだが、「坂」をそういう視点で見たことはなかった。

彼はあと2日間、神奈川を観光するそうだ。
良い旅行になってほしいと伝えて、ぼくも深夜バスで旅行に出かけた。

ぼくは基本的に時間に余裕を持って行動するタイプなので、横浜駅で40分くらいバスを待ってる時間があった。
暇人だった。

だから、今回はちょうど良かった。

最近なんて、人助けをする・人に親切にするチャンスを逃さないことに神経を使っている気さえしている。

1日2善を心掛けているものの、だいたい毎回1善で終わってしまう。

なかなか難しいものだ。

 

『情けは人の為ならず』

親切な行為はその人のために行うのではなく、ゆくゆく巡り巡って自分自身に返ってくる。だから、人に対して親切に接する。そうすると、周りの人も自分に対して親切に接してくれるようになる。

本来、こういう意味だ。

「ほかの人に優しくしたら、その人のためにならない!!だから、手を差し伸ばすな!」などというネガティブな意味では決してない。

優しくしたら、自分が困ったときに優しくしてくれる人があらわれる。
人に優しくすると恩を売るようで「偽善だ」と思う人がいるが、それは想定している「恩」の距離が近すぎる。
自分が優しくした人が、自分に対して直接的に恩を返してくるわけではない。その距離感を期待すると、息苦しい。
自分が優しくした人がBさんに優しくする。BさんがCさんを。CがD、DがE。………YさんがZさんを。Zさんが自分に優しくする。

このぐらい寄り道して、恩は帰ってくる。

 

恩は売るものではなく、恩は回すものだと思ってる。

 

ぼくが困ったとき、だれか助けてくださいね!笑


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Chaito

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