【サッカー W杯】コロンビア人が日本人女性を侮辱した事件を必要以上に大きくするべきではない

ロシアワールドカップ会場の外で、スペイン語がわからない日本人女性サポーターがコロンビア人男性に「言ったことを繰り返して言って」と誘導され、『私は良い売春婦です』と言わされた事件。

彼女は正しくは発音できてないし、実際にはそうには言ってないのだけど、そもそもその彼の行動は手本となるものではなかった。だから、問題となった。

彼は、その翌日直ちに自分の会社(アビアンカ航空)から解雇通告を受け、仕事を失った。これ以上の制裁を望む者はいるのだろうか?

 

当事者同士の事件はこれで終わったように思えたが、SNSで拡散され、事態は想像以上に膨れ上がっている。

 

ぼくは女性を軽視していません。
今回の事件を残念に思っています。この事件をきちんと見つめ、きちんと裁くことも大切であることには同意します。
この記事は2年間コロンビアで活動を行い、今後のコロンビアの発展を願う視点から書いています。
そのためには、どのようにしたら再発防止でき、今回のこの問題からの学びを活かすことができるようになるかを考えました。
この記事では、日本人女性への敬意を欠いた言動が、どうして起きて、どうコロンビア社会で受け止められ、今後コロンビア社会における道徳教育の重要性へと進みます。
ホットな話題であるので、誤解を防ぐために、この注意書きを残します。

ぼくはコロンビアも好きだし、コロンビア人も好きです。
もちろん、女性への敬意も欠きませんし、すべてのコロンビア人は優しく紳士です。

この事件によって、コロンビアやコロンビア人を嫌いにならないでください!

ぼくの文章能力の問題で「女性軽視」と受け取られてしまう文章があるかもしれませんが、そういうコンセプトをぼくは持っていません。それだけは読み進める前に、理解お願いします。

 

 

 

悪気のない言動をどこまで許容できるか?

この問題、きっとやった当人は事の重大さに気づいていなかっただろう。
もし気づいていたとしたら、こんなルンルンで投稿を拡散することはない。

コロンビア国内の身内だけで通用する「冗談」が、世界でも通用すると勘違いして事件になった。

それだけ。

事実の真相はそれだけ。

 

結構、こういうコロンビア人はいる。彼らなりの“冗談”のつもりが、相手への配慮と言うか、「言っていいこと」と「言ってはいけないこと」の線引きができない場合が多くある。
だから、周りは笑っているけど、ぼくは笑っていないことがたびたびある。”冗談”の基準が日本人とコロンビア人で大きく違うことに、僕自身もよく苦しんでいた。

たとえば、以前コロンビア代表が韓国代表と試合をした際、ひとりのコロンビア代表選手がアジア人を差別するジェスチャー(目を指で釣り上げるしぐさ)をしてしまった。このときも社会問題となったのだが、ネットのなかにはそれが差別表現であることを知っていながら、画像を加工してフェイスブックで「コロンビア流の冗談」としてふざけているひとがいた。さすがに、ずっとバカにしていたから、「それは差別表現だから、使わない方がいいよ」と教えたが、「いや、冗談だから。遊んでるだけだから、あなたたちをバカにしているわけではないよ」と親切に説明してくれた。

これを「文化の違い」と簡単に表現することもできる。

でも、今回の事件が思いの外、大きく大きくなっているのを見ると、単純に『コロンビアの教育水準が世界水準に到達していない』だけ。モラルと言ってもいいかもしれない。
*もちろん、多くの僕の友人は、僕が何も言わずにも今回の出来事を謝罪してくるほどのモラルを持っているし、日本人と何ら変わりない考え方を持っているひとが多くいるので、そこだけは前提においてほしい。

まだ、多くのコロンビア人は、世界に目を向けて、世界に多く存在する価値観の違いや感覚の違い、許容範囲の違いなどを知るレベルに到達していないように感じる。

だから、コロンビアの外の世界を知らない

 

この表現は少し言い過ぎかもしれないが、本質は捉えていると思う。

でも、この事件を、鬼の首を取ったかのようにその動画を拡散して晒し者にしたりするのは良くない。
だから、ぼくはこの記事の中で、その動画を紹介しないし、したくない。

事件を沈静化させようとしているのに、その動画を拡散することに助力していては意味がない。

 

 

同僚が突然謝ってきて、この事件のことを知った

ぼくは日本対コロンビア戦をテレビで観ることはできなかった。
農村に行くための車の中にいた。
意外に思うかもしれないが、同僚たちもサッカーの試合よりも仕事を優先している。

(コロンビア時間では、第1試合朝7時。第2 朝10時。第3 午後1時キックオフ)

 

ぼくは、農家さんちに着いた頃に、タイミングよく最後の大迫選手のゴールは見ることができた。

 

でも、サッカーは娯楽である。
どれだけ熱狂しようと、どれだけ応援しようと、究極的に行き着く答えは娯楽である。

だから、農家さんはユニフォームを着て、コロンビアを応援していたものの、その結果をずっと引きずることはなかった。

ぼくが作った農業冊子を手渡しし、最後のお別れの日ということもあり、「これは忘れられない日になったわ!!」と笑ってからかってきたぐらいだ。

車のパンクなどのアクシデントを乗り越え、農村を降りて街に帰ってくると、だいたい30%くらいの人がコロンビアのユニフォームを着ていた。いつもは5%くらいだから、やっぱりみんな応援していたようだ。
コロンビアは経済的に急速に発展してきているので、仕事環境が整備され始めており、職場で仕事の制服が決まっていれば、コロンビア代表のユニフォームを着ることはない。
言い換えれば、自営業のひとやタクシーの運転手の多くは、ユニフォームを着ていた。

両替所のひともユニフォームだった。ぼくがJICAのシャツを着ていて、肩に日本とコロンビア両国の国旗が書いてあるので、それを見るなり「勝てて嬉しい??」と聞いてきた。
そのぐらいだ。

スーツケース屋さんに行ったときも、お姉さんに「幸せ?」と聞かれた。
このとき午後6時くらいだったが、彼女との会話で、初めてコロンビアが10人で試合をしていたことを知った。

次の日、配属先に行くと、コロンビアが負けたからか、同僚たちがサッカーの話題を出すことはなかった。
単純に悔しかったのだろう。

ぼくの元を訪ねて来てくれたミミズコンポストのプロの人が去り際に「そういえば、日本勝ったよね!!おめでとう!」と言ったのが、その日初めてのサッカーの話題だった。

同僚たちは苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、別にぼくは彼らを煽ったりする気はさらさらないから、「ぼくは日本人だから日本を応援するけど、両方の国を応援してるんだよ。だって、コロンビアのことが好きだもの」と伝える。
そうすると、和やかにことがすすむ。

 

午後のおやつの時間に、日本人サポーターが毎回会場のゴミ拾いをしていて偉いという話になった。そのとき、1人の同僚が急に「ジュンペイ、コロンビア人が日本人をバカにしてたけど、それがすべてのコロンビア人じゃないから!」と言ってきた。

『おー、コロンビア人が日本人におふざけで何かしたのね』
と瞬時に察した。

でも、その場にいた同僚たちは
「こういう人がいるから、コロンビア人の印象が下がるんだよね。でも、もうアビアンカ航空会社もクビになったみたいだし、ほかにもスタジアム内にアルコールをこっそり持ち込んでることもバレたから、スタジアム観戦カードも没収されたってさ」
ということで話はすぐに終わった。

 

その後調べてみると、アスピリージャ元コロンビア代表が謝罪したりしてたし、これ以上事を大きくする必要はないと率直に思った。

 

ぼくがコロンビアにいる日本人だからだろうけど、
いろいろなところでコロンビア人が日本に対して、今回の騒動のことで謝罪している場面に出くわした。ネットでもそうだし、在コロンビア大使館からの情報も回ってくる。

コロンビアが好きな身からして言えば、今回の騒動の渦中にある彼は、陽気なコロンビア人である。
日本人のスペイン語辞書では汚い意味しか持たない単語も、コロンビア人が日常的に別のニュアンスで使っていることはよくある。

そういうこともあって、個人的には汚い言葉へのハードルがコロンビア社会全体としてとても低い気がしている。

 

文化が違えば言葉遣いも変わるが、コロンビアではインフォーマルなとき、僕は口に出したくない綺麗ではない言葉をよくみんな使う。今回の売春婦という意味のperra やputaは、「おい、まじかよ!!!! Uy fue puta!!」という意味でコロンビアではよく使っている。だから、サッカーの試合を観戦していると、強豪国がゴールされると、「uy puta (pucha)まじかよ!!!」と言う。
もちろん、上司や教育者の前で勢い余てそうに言ってしまったときは、「ごめんなさい」と訂正するけど。綺麗な言葉ではないことは理解しているが、よく使っている単語である。

僕の感覚が、コロンビア社会のスペイン語に慣れてしまっているからかもしれないが、そういう単語に対してめちゃくちゃ強い嫌悪感を感じることはない。ぼくは絶対に口にしないけどね!

 

 

起きたことは仕方ない。謝罪するのも簡単。課題はこれからどうしていくか

今回の騒動の張本人はいつもどおりふざけてたら、それが国際問題になりかけているのだから内心困っているだろう。仕事も失ったしね。

 

 

謝ったのだから、それで終わり。

 

もちろん、「謝って済むなら、警察はいらない!」と思うだろうが、この問題だけを取り上げて、このコロンビア人を追求しても終わりがない。なぜなら、これは個人の問題ではなく、コロンビア社会の基盤を成す教育(特に道徳教育)に問題があるからだ。

 

 

だから、これをずっとほじくり返しても仕方ない。
問題の本質は、「どうして彼がそういう風な軽率な言動をとってしまったのか」。そこを考えることにある。

 

それは単に、そのコロンビア人が世界のことをよく知らなかったから。そして、相手がどのように受け取るかを考えられなかったから。

 

 

だから、彼やコロンビア人がどういう風に今回の騒動から学んでいくかが一番大切だと思う。

 

 

重要なのは言わずもがな、躾や教育である。

 

これは、僕がずっと一貫して言ってきていることだが、コロンビアの経済発展速度に、国内の教育水準が伴っていない。国としての見た目だけが良くなってきていて、中身があまり発展していない。だから、悪目立ちするし、政治家などの一部のずる賢い人たちに国全体を牛耳られて、そのスパイラルから抜け出すことができない。

 

 

今回の騒動、必要以上にネットなどでその輪が広がっている。
本当はコロンビアの対応の早さをたたえ、すぐに沈静化させるような内容である。
彼は人種差別的なことをしたわけではない。日本人女性への敬意を欠いていたのは事実だ。彼にとってはいつものように身内とふざけるようにただふざけただけのつもりが、想像以上に問題が大きくなった。
今回のその”冗談”は、コロンビア社会から出た世界、特に日本では冗談では済まなかったのだ。

結果、彼は仕事を失い、今後のワールドカップ観戦もできなくなった。

 

 

 

コロンビアでは(悪気なく)人種差別行為をされることはよくあるし、僕自身も日本ではセクハラに当たるようなことをされることはある。でも、そういったこともコロンビア文化では、眉をひそめるだけで済んでいる。寛容というか、道徳観の違いというか、まぁ日本文化とコロンビア文化が大きく違うことを考えれば、そういう風に多くの社会基盤が違ってくるのも当然だが。
だから、最初の半年間くらいのコロンビアに慣れない期間というのは、多くの葛藤があった。

 

道徳教育が今後の課題

 

日本でのコロンビアのイメージは良くない。麻薬やゲリラ、内戦、20年前のサッカー選手殺害などなど。
悪いところを見つけて、それを元にキズ穴を広げていくことはとっても簡単だ。でも、今回の彼のようなコロンビア人はごく一部である。

ごくごく一部である。
冗談がその文化圏から出た瞬間から、冗談扱いされなくなるのはよくあることだ。まさにそれが起こった。

日本人がスタジアムのゴミを拾う行為。Jリーグのサポーターから始まった活動だ。それが、徐々に世界の日の目を浴びるようになった。
多くの日本人はこれを自分のことのように誇らしく思うだろう。でも、実際にやってるのは、自分たちではない。ロシアに行っているサポーターのうちの一部だろう。
一方で、国内ではスクランブル交差点で騒いで、ゴミを捨てたり、川に飛び込んだりしている。

 

ワールドカップの会場にいるサポーターは国の代表である。
だから、日本人サポーターのように、そういう意識を持って会場に行くことは大切なことだ。

一部のサポーターがゴミを拾ってくれているおかげで、「日本人全体」の評価が高まっている。
とてもありがたいことだ。

 

でも、完璧な人間はいない。

我々日本人にもいろいろな人がいるのとおなじように、コロンビアにもいろいろな人がいる。

今回は、そんなコロンビアのなかの1人の話だ。
この騒動をこれ以上言及したいのなら、「コロンビア」ではなく、「そのコロンビア人」まで問題の対象レベルを下げて議論してほしい。

 

個人的には、今回の騒動は必要以上に大事にする必要はないし、大事にするべきではないと思ってる。
こういう騒動を面白がって拡散したり、国家レベルの話にしたがるのは間違っている。
今回のケースで言えば、”事実に反した(ゲリラとか)”コロンビアの悪いイメージも今回の事件に伴って、拡散されてしまう。

今後このような問題が起きないように、どうコロンビア人が発展していくかを考えていきたいと思う。

 

日本人はゴミを拾う。ほかの国の人はゴミを捨てる。ここには必ず考え方や価値観の違いが存在する。
その根源をよく考えて、コロンビアに応用していきたい。「教育」や「しつけ」と一言で済ますのは簡単なのだが、それを小分けに分析して、どれがコロンビアに足りないのかを考え、そういうコンセプトをどのように彼らに与えてることができるかを考えていきたい。

 

いずれにせよ、問題は問題だが、物事の本質以上に面白がってことを大きくする必要はない。

これがぼくの意見だ。

 

ちなみに、コロンビアの企業やコロンビアに住むコロンビア人がすぐに反応・対応したのは、「サッカー」を汚したくないからだろう。しかも、負けたあとに。

ワールドカップはそれだけ注目度が高いということだ。

在コロンビア日本大使館前で、今回の騒動の謝罪が有志によって行われたようだ。

個人的には、物事をよく理解しているこのようなコロンビア人たちが代表して謝罪しても、騒動は沈静化されるだろうが、物事の本質は解決しないと思う。

見ててあまり気持ちのいいものではない。

 

 

最後に

コロンビア人サポーターも、ロシアの会場でゴミ拾いをしている。ゴミ拾いをしているのは、なにも日本人だけではない。日本人が作った良い影響ではあるが、それは徐々に多くの国へと浸透している。
そういう“良い面”もきちんと報道してあげたり、伝えてあげることが大切だろう。
褒めるのではなく、讃えるのだ。
なぜなら、ゴミ拾いは褒められるために行うものではなく、当たり前のことのようにゴミを拾うべきだからだ。

良い日本人、良くない日本人
良いコロンビア人、良くないコロンビア人

そんな区分はない。
みんな同じヒトである。

 

今回の騒動を起こした彼は、その後謝罪ビデオを投稿している。
そのコメントには、コロンビア人が「彼のようなひとはコロンビア人の代表ではない!!」という意見が多く寄せられている。

思慮深い人が多いのも事実だが、思慮深い人はそもそも問題を起こすことはないのだから、今後の課題はあまり物事をよく考えずに自分の主観だけの世界で生きている人をどのように育てていくかだろう。

どこの国にも、いろいろな人がいるものである。

 

 


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Chaito

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