協力隊員が現地の人よりもよく働いているパターンは最悪。協力隊の活動=見たことのない世界へと誘うこと
協力隊として派遣されていると、そのほとんどの場合、日本語では仕事をできない。
語学の壁を超えない限り、現地の人以上に働くことは不可能だ。
現地の人に協力するために活動をしているのに、現地の人よりも”働いている”のだとしたら、その歯車は隊員が帰国したあと回ることはない。
現地のひとで回すことができる歯車の大きさは、彼らのキャパシティーを超えることはないからだ。
もし、そのように歯車を大きくしてしまっているのであれば、それは援助依存を生んでしまう。つまり、持続的な発展ではないということだ。
もちろん、何代か継続して協力隊員を派遣すれば、6年、8年、10年という長期間援助を続けることができるので、3代目以降(4年目以降)に派遣される隊員はきちんと成果をあげなくてはならないだろう。
JICAは、「カウンターパートと一緒に仕事をして」と助言をするのだ。
それは、wカウンターパートが優秀であろうが、そうではなかろうが、それが活動が帰国後にも続くように、ボランティア活動に対して碇を下ろしているのだ。
犬の首輪と言ってもいいかもしれない。
ご主人様(受け入れ先のひと)の活動限界を超えて、遠くのほうに犬(隊員)が走って行ってしまっては、一緒に景色(プロセス)を見ながら散歩を楽しむことができないのだ。
目次 Índice
うさぎ(現地のひと)とかめ(ボランティア)
現地の人は日本人のように仕事のみに集中しない。
話ながら仕事をしたり、ネットサーフィンをしたり、無駄話をしたりしている。
ぼくは、仕事の時間はきちんと仕事の時間と割り切っているので、それなりに仕事をがんばっている。
では、ぼくの5時間と、彼らが話ながら働いている5時間、どちらのほうが生産量が多いのだろうか?
生産量で言ったら、彼らだ。
たとえば、ぼくは32ページと24ページの農業ガイド本を作製していた。
これには、かなり長い時間をかけた。2カ月くらいなんだかんだで、時間がかかってしまった。
ほかにも、諸々の仕事を行いながら、だったので、合間合間の時間をぬって取り組んでいたからだ。
最近は、寝る間も惜しんで、その完成に力を注いでいた。
記事⇒5日間連続、睡眠時間4時間まで削ってコロンビアで働く意味:仕事目白押し
コレ、スペイン語ができるコロンビア人だったら、何週間で終わっただろうか?
少なくとも、僕が使った時間よりも、短くできる。
なぜなら、ぼくがこれらの記事を30分くらいで書き終える感覚で、パパパッと書くことができるからだ。
特に、このガイド冊子に関しては、2年~5年以上は使えるようにビジョンを加えて書いたので、それだけ語学的に間違えがないようにしなくてはならない。だから、コロンビア人のスペイン語で添削をしてもらう必要もあったのだ。
ぼくの辞書にある意味が、コロンビアやさらにはサンタンデール県では使われていない意味だったりすることが多いからだ。それだけ、スペイン語の地域性は大きい。
そうに考えると、少し寂しくもなるものだ。
どれほどがんばっても仕事の生産量では太刀打ちできない。
彼らは集中して、仕事に取り組んでいるわけではないので、時間対効果や生産性、仕事の効率性は低いのだが、あきらかに僕よりも”仕事”をしている。
だから、彼らの仕事ぶりには改善の余地を感じるものの、なかなか直接は指摘できない。自分よりも彼らのほうが働いているからだ。
ぼくが無駄話をせずに集中して働いた4時間と、4時間無駄話をしながら働いている同僚の生産量を比べても、彼らのほうが良く働いていたりする。
同僚たちはワークショップ用に、ただハサミで紙を切っていることがあるので、そういうときはぼくが仕事量でリードできる。でも、彼らが仕事に取り組み始めると、あっという間に彼らが仕事を進めていく。
まるで、童話の「うさぎとかめ」のようだ。
童話ではうさぎとかめはいい勝負をしていたが、まぁ協力隊活動において、ボランティアと現地のひとの仕事量でボランティアが勝ることはないだろう。
そもそも協力隊の活動は現地のひとに協力するためにやっているので、ぼくらが、ぼくらの仕事を受け入れる同僚たちの仕事量を上回るというのは、冷静に考えてありえない。もしそうなっているのであれば、隊員が1人で孤軍奮闘しているか、配属先のカウンターパートたち以外のひとと一緒に仕事をしているかのどちらかだろう。
さらに、その仕事環境というフィールドは、文化や言語を理解している現地のひとに有利に働くのだ。
遊戯王のフィールド魔法のようだ。
ボランティアにはプラスに働かないのに、そのフィールドで生まれ育った彼らの攻撃力と守備力は大きくアップするのだ。
うらやましい
現地のひとびとの信頼をより得ているのも、同僚たちだ。
だから、ぼくがミミズコンポストについて説明したあと、農家さんが疑問があって質問するとき、僕ではなく、同僚の農業技師にする。
それが普通だ。もちろん、多少の嫉妬心は抱くが、それが持続的な発展というものにつながると考えている。
同僚がきちんと質問に回答できることは、ぼくが普及を図ったミミズコンポストがこれからも何年も機能して定着していくためには必要な戦力なのだ。
だから、一時の感情は飲み込んで、より大きな視点で捉えるようにしている。
ボランティアが勝負する土俵は、「仕事量」ではない
ぼくたちボランティアが、彼らの役に立てること。
それは、彼らが知らないことを知っていることだ。
その土俵に持ち込めば、現地のひとはその土俵に上がってくることができない。
だから、活動がかぶったり、専門性が被ったりすることがなくなる。
つまり、「仕事量」ではなく、「オリジナリティ」で貢献することができるのだ。
これをわかりやすい言葉で表すと、【専門性】となる。
でも、ただの専門性では意味がない。それを研ぎ澄ませていないと、通用しない。
たとえば、ぼくの職種、野菜栽培隊員。
当然のことながら、ほかの一般人の人よりも「農業」や「野菜栽培」については良く知っている。
だから、これを専門と呼ぶこともできる。
しかし、
協力隊員が一緒に働くことになる現地の同僚たちも、普通その専門を擁しているのだ。
ぼくの場合もそうだ。
一緒に働いている同僚は、農業技師で彼らは本当によく知っている。日本の技術本に書いてあることは理解したうえで、さらに個々の作物の栽培管理も経験に基づいて指導することができる。
だから、「野菜栽培について知ってます」くらいの浅い専門性だと、仕事の土俵が被る。
実際、ぼくはいま一緒に働いている2人の農業技師の、1人として期待されて派遣された。着任当初は、農業技師が1人しかいなかったのだ。当初僕が求められていた活動は、「同僚農業技師のように農家巡回を行い、指導助言をおこなうこと」だったのだ。
幸いにも、新たに農業技師を雇うことができたので、ぼくはその仕事をしないで済んだ。
見たこともない作物の指導を行うことは、僕には不可能だったからだ。
最初の9ヵ月くらいは、自分の貢献できる土俵を見つける期間だったのだが、正直ぼくが広く浅い農業知識しかもっていなかったとしたら、やっていけなかったと思う。
記事⇒協力隊員の現地における視点の変遷:山あり谷あり 【2年間のカレンダー】 【期間特集第2弾】
専門である、土壌管理とミミズコンポストに重点的に力を注ぐようになったのも、そういう風に同僚が働いているフィールドから逃れるためだ。
むしろ、『同僚が働くことのできるフィールドから離れて、同僚たちも農家さんも知らないフィールドを魅せてあげようとした』、と言ったほうが正しい。
これが、ぼくが誰にでも新しい世界を魅せることができるようなオリジナリティ(専門性)で、活動をしている理由だ。
もとより、どこに派遣されることになっても、このオリジナリティに引き込むつもりだった。笑
なぜなら、農業が「持続的な農業」を目指している限り、土壌管理やミミズの有用性というのは、必ず通らなくてはならない通過点だからだ。だから、野菜栽培隊員でも、土壌肥料隊員でも職種は気にしていなかった。
青年海外協力隊員に求められているものは、これまで知らなかった”世界”を魅せること
同じ知識量で、同じ知識幅だったら、語学ができて、文化も習慣もよく知っている現地のひとのほうが良い。
わざわざ、(日本に限らずとも)外国の人に来て、働いてもらう必要なんてないのだ!
だからこそ、一緒に働いている同僚や活動対象となる人たちに、『新しい世界』『新しい価値観』『見たことのない景色』を見せることができるそのオリジナリティが協力隊員には必要だ。
日本人というアイデンティティもときに武器になるし、時間を厳守するという習慣もオリジナリティになるのだ。
それをどう発見し、どう生かすかが大切なのだろう。
われわれ青年海外協力隊員は、各々の専門性を深め、磨き、うまく紹介・導入する術を考えなくてはいけない。
それは必ずしも、難しいことではない。
日本で、自分の周りにいる人はみんな知っていることでも、一歩外の世界に踏み出せば、周りのひとは何も知らないものだ。
ぼくはミミズが好きで、人よりも詳しいが、ぼくが研究していた世界ではぼくなんてペーペーだった。
でも、一歩外に出れば、「ミミズに詳しい」ということがかなり強いオリジナリティになることをしっていた。なぜなら、「ミミズがなにか」は知っていても、「ミミズがどういう風に役に立っているか。どういう風に役立てることができるか」を知っているひとはほとんどいないからだ。
日本で知っている人がいなければ、海外でも似たようなものだ。
何が役に立つかは、行ってみないとわからない。
でも、自分のオリジナリティという土俵に引き込めば、誰しもが現地のひとを「見たことのない世界」へと誘うことができるのだ。
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