コロナウイルス:子どもの菌遊びと無意識での他人とのつながり
知らぬ間のひととの繋がりを知る、この数ヶ月。
人からの影響なくして、コロナウイルスからの影響はなし
ウイルス対策として、アルコール消毒液を小さなボトルに入れ、外出した際は持ち歩いている。
お店から出たときや、なにかのボタンに触れたとき、気軽に手を消毒するためだ。
この一連の作業を行うのが苦ではないほど、外出していない。
もともと食料品を買う以外に外には出ない生活を送っていたので、精神的ストレスもほぼない。
しかし、今回の騒動に対してではなく、「ウイルス」というモノに対して理解が深まっている。
たとえば、インフルエンザなどもそう。
子どものころの「菌」と手洗いうがい
「わたしたち」と言ってもいいと思うけど、
ぼくは子どものころ、「○○菌~!!」のような鬼ごっこ風遊びをしていた。
バイキンマンとは違うが、ひとに触れてわざわざその人の”菌”に接触した上で、別の人にその種菌を移すという行為だ。
これ自体は、遊びだ。
だから、遊ぶ口実以上に菌について考えたことはなかった。
今回のコロナウイルス予防のための策として、手洗いうがいの有効性や意義が広く認知されている。
そして、ドアノブや電車のつり革などを経由して、他人からの”影響”を受けることもわかった。
独りであっても、外に出れば、かならず人からの影響を受けている
ときどき、「自分ひとりで生きていける」という想いを耳にしたりする。
反抗期のひとたちは、特にそういう想いを抱いていたりする。
けれど、今回のコロナウイルス騒動では、
なにかに触れるだけで、知らぬ間に他の人の”名残”を摂取している可能性があるということが懸念になった。
つまり、コロナウイルス陽性でウイルスが手に付着しているひとが物に触れれば、そこには数時間から1~2日間、ウイルスが残っているとされている。
各家庭の微生物層が違うように、ひとはひとと接触することでさまざまな多様性を得るのだろう。
今回のコロナウイルスに関しては、
毎回アルコール消毒で根絶やしにしているのでウイルスや微生物に生きていてもらっては困るのだが、
何かに触れたとき、お店から出たときに必ずアルコール消毒をしていると、
わたしたちはかならず他人からの影響を受けているということを実感でき、子どものころの遊びを思い出すのであった。
自粛は、社会的な意義と自分を律することができるひとしか、できない。
非常事態宣言が出たところで、私たちがやらなくてはいけないことが変わるわけでもない。
普段外にいるひとがずっと家にいることへのストレスやDVも増えるかもしれない。
けど、この状態が何十年も続くわけではない。
今年できなければ、来年や再来年すればいい。
家にいる時間が長いこのときにしかできないことをやろう。
ぼくは、ようやくテレビを手に入れたので、テレビを見ている。
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