コロンビアで勤務していたNGOに数十万円寄付【災害被害】
ぼくが2年間生活していたコロンビアの勤務先で、大規模な土砂災害が起きた。
それにともない、数十万円を寄付することにした。
僕の場合、被害地に友人がいるし、彼らの農村の情報が届いてくる。
だから、2年間働いていた現地のNGOに寄付する。
途上国のNGOに寄付すること
金銭的な援助という、支援はむずかしい。
お金だけではものごとがうまく進まないし、
お金を寄付することによって、受け取った先でトラブルが起きたりする可能性もある。
それに、中抜きされる可能性だってある。
だから、縁もゆかりもない団体に寄付するのは躊躇する。
どのように使われるかわからないからだ。
100万円寄付したとして、100万円が現場の支援にまわされると思うかもしれないが、
もしかしたら、50万円は中抜きされて、従業員のボーナスに充てられているかもしれない。
実際、そのような「人件費」も必要だが、
寄付金がどのように使われるのかを事前に知っていないと、心がモヤモヤするだろう。
働いていたNGOに寄付する
ぼくは今回、青年海外協力隊時代に働いていたNGOに寄付をする。
そのため、誰が財務担当なのか、誰が実際に今回の騒動の指揮を執っているのかを知っている。
それに、ぼくが実際に働いていた農村プロジェクトの街が被害地であるため、
ぼくが一緒に仕事していた同僚たちが支援に当たっている。
それが最も大きな信頼だ。
知らない組織に寄付するわけではなく、なじみのある同僚たちを支援するために寄付をする。
そうに考えると、資金利用の透明性が高まるので、ぼくとしては非常に寄付しやすい。
彼らの傷みを理解できる
ぼくは、2年間を一緒に過ごし、毎回熱いコーヒーと日に3回の朝食をくれたコロンビアの農家のことを忘れたことはない。
毎回、彼らとWhatsappでやりとりするたびに、
「わたしたちのことを忘れないでね!」と言われるが、忘れる気配などまったくない。
農家を訪問する際は、同僚たちと毎日激坂を上った。
車やバイクでも走ることができない道であることが普通だ。
日本人からすれば、到底住む場所にはしないであろう、とても利便性の悪い場所を
彼らは気に入り、そのコミュニティを愛して、支え合いながら生活している。
その場所が崩れたわけだ。
幸いにも、ぼくの知人はみな無事だったようだ。
しかしながら、家のなかに土砂が流れ込み、コーヒーや柑橘類などの営農作物の多くがダメになった。
「ダメになった」のは平地ではなく、傾斜30度はあるような農地である。
だから、そこで営農を再開することは、精神的に難しいのではないだろうか。
ぼくは暖かい場所でくつろいでいる無力さ
これまで、国際協力をメインのテーマにして書いてきた。
農業技術を実践レベルで習得してきているから、次に協力できるのは技術協力だと思っていた。
でも、有事の際は違うことを知った。
日本にいるぼくが、コロンビアに行って何かできるわけではない。
それに、たとえぼくが現場に行ったところで、足手まといになるだけだろう。
だから、金銭的な援助しかできない。
金銭的な援助こそが、今回のケース場合、最適な援助であるような気さえする。
コロンビアの月給は約3万円。
それに比べれば、ぼくの日本での給料は、同世代の日本人と比べれば圧倒的に少ないが、コロンビアの友人たちに比べれば圧倒的に多い。
だから、今回は迅速に寄付することにした。
使用用途は多少ぼくが指定する。
それに、どのようにお金が使われたかの報告もしてもらうようにする。
ここに記したところで、寄付金を募るつもりはない。
(もちろん、寄付していただけるなら嬉しいが、ほとんど全てのひとにとって、ぼくのコロンビアの友人たちは他人だ)
有事の際に、迅速に動けるように
これまで、将来に向けて貯金をしてきた。
勤務歴も短く、給料も多くないので貯まった額は少ないが、それでも「このために」お金を貯めてきたのかなと感じている。
コロンビアの友人が1年かけてようやく貯めることのできる金額を、日本では1,2ヶ月で貯めることができる。
自分の裕福さを活かして、数十万円寄付する。
今後は、こういうときのためにしっかりと節約していこうと思う。
机上の空論ではしかたない。
けれども、友人が困っていたら、見過ごすことはできない。
日本で災害が起きた際もそうしてきてきた。
一口数万円の寄付はこれまで何回もしてきたが、多額の寄付ははじめてだ。
寄付の方法も含めて、今回学んだことを次に活かしていきたい。
LEAVE A REPLY