【経済と人】外面的と内面的な2つの成長:外面にともなった内面の成長を促す
私たちは事あるごとに、
「この失敗は、成功のためだ」
「今は我慢することも、将来のためだ」
「この経験が、いつしかかけがえのない宝になる」
と、自分に言い聞かせる。
将来を見据えて耐え忍ぶことも、成長のために必要なことなのだろう。
外面的な成長と内面的な成長
一般的に言葉に発して使われる「成長」は、外面的な成長を指す場合が多い。
小さい子があっという間に大きくなっていて、「大きくなったねぇ」と声を掛ける。
小学生以来会っていない高校生を見て、「背が伸びたねぇ」と言う。
外見的に大きくなることを、成長と呼ぶ。
ぼくもまだ身長が若干伸びているから、成長している。
それに、体重も80kg以上をキープしているから、大きくなっている。
その一方で、様々な経験や思考の形成によって、内面的な成長も続けている。
この成長はなかなか気づかれないが、数年前の自分と今の自分では違いがあるのが普通だ。
(善い悪いではない)
この内面的な成長も、「成長とは何か」を語る際に決して見逃してはいけない部分だ。
なぜなら、人間の成長の場合、外面的な成長は瞬時に気づくことができ、注目の的となるが、
内面的な成長はよく観察しないと気づくことができないからだ。
よく観察しても、気づくことができないことの方が多いのかもしれない。
成長には、2つの方向性があるということ
外面的な成長 と 内面的な成長
この2つは独立している。
身長が伸びたからといって、気配りができるようになるわけではないし、
筋肉が増えたからといって、性格が良くなるわけでもない。
育児に精をだしたからといって、身長が伸びるわけでもないし、
海外でビジネス経験を積んだからといって、顔がよくなるわけでもない。
つまり、
見かけ上の成長を追っていても、内面がついてきていないということはありうるのだ。
それに、だいたい20歳を超えると、外面的な成長はなくなり、安定してくる。
加齢とともに、老化という成長ベクトル上を歩むことになる。
でも、20歳を超えたら成長できなくなるかと問われれば、「そんなことはない」とこの記事を読んでいるあなたも思う。
なぜだか、大人になっても日々、年々成長を続けている。
これが、内面的な成長だ。
経済の成長は、内面的な成長を内包しているのか
外面的な成長とは、人の場合、瞬時にわかる身体的な成長と言ってよいだろう。
では、経済の成長は、どうだろうか??
ぼくは、外面的な成長しか見てないのではないかと思う。
もちろん、専門家の人たちや詳しい人たちは、各業界での動向やマネーフローを追っているから、何が起きているのかを理解しているだろう。
しかしそれでも、経済成長するために社会がどう動くべきかを説くだけな気がする。
経済ありきの社会。
これは、これで疑いようのない事実だろう。
しかし、
より良き社会のための経済。
より良き社会という内面的な成長を促すことの方が、経済成長という外面的な数字成長に囚われることよりも大切なことのように思う。
自分でもわかっていないこと
最近、このようにポエムみたいなことばかりを書いている。
特別、そういうことを書くつもりもないんだけど、「よい社会にするためにはどうしたらいいんだろうか」と考えていると、多くの人たちが関心を持つお金、すなわち、経済の仕組みをうまく引っ張ってくるしかない気がしてきている。
なんだか、なにから手をつければいいかわからず、自分がすぐに行動に移せているかといえば、決してそうではない。
だからこそ、自分のなかの想いを言葉にしている節がある。
ぼくは電子機器やインフラ整備などを除いて、自給で出来る部分は全部自給的な生活をすればいいんじゃないかなと思っている。
テレビやネットはあっても、時間は自由にあって、それぞれが得意な分野でDIYや農的生活をして物々交換で暮らす。
ぼくの理想はみんなとは違う。
でも、似たような理想を持つ人も多少はいるのではないかなと思う。
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