世界はもともと狂ってるから気にすんな【天気の子観た】
自分が善いことをしようとして、勝手に背負い込む。
「これはみんなのためになるものだ!」と自負する。
そうに思ったとき、それはすでに重荷になっているのかも知れない。
天気の子を観た
ついこの間、『天気の子』を観た。
おもしろい映画だった。
ぼくは同じ監督がつくった前作やほかの作品と比較して、おもしろいとか、つまらないと言うのは好きではない。
だって、評論家ではないから。
天気の子は、おもしろかった。
2時間の映画を「2時間以上観たいな」と思える内容だった。
だから、「素直におもしろかった」と言う。
2000円くらいまでなら払ってでも観る価値はあると思う。
ぼくは職場の優待券で、600円で観ることができたので、とても得した気分だった。
映画を観てうるうるする
ひとが何かにまっすぐに目を向けてがんばっている姿を見ると、応援したくなる気持ちがある。
それが、たとえ非現実的な話であっても、同じこと。
だから、天気の子の最後の展開は個人的に結構好きだった。
なにかを捨ててでも、得たいものがある。
その代償がどれほど大きくても、捨てられないものがある。
その尊さと天秤にかけるもの。
それが世界であっても、臆することなく尊いものを優先できる精神。
天晴れである。
天気の子を観ているとき、「オメラス」の記事を想い出した
ぼくは以前、1つの人生と世界の幸せを天秤にかけられたらどうするかを考えたことがあった。
世界はもともと狂ってるんだから、気にすんな
実際以上に、自分が失敗を恐れていることがある。
失敗をすると、すべてがその失敗のせいで悪い方に転じてしまったのではないかと思ってしまう。
そうすると、非常につらい。
けれど、そのように背負い込んでしまうことは普通のことだと思う。
正義感が強ければ、なおのこと。
なにかに実直に向き合えることは素晴らしいことだと思う。
そういうとき、誰かのささいで大きな一言で肩の荷が下りることもある。
そういうときに一言言えるひとになりたい。
なにかつらいことを経験したら、その経験を誰かを救うために使えたら、
「つらい経験をしておいてよかった!」と思えるのだろう。
「天気の子」の終盤の流れ、ぼくは結構好きです。
ぜひ、劇場でご覧ください!
(どことなくペンギンハイウェイに似ているような気がした)
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