コロンビア地域別の国民性の違い:「海の民」と「山の民」。Theコロンビア人は「海の民」
山側に住む人は、おとなしく、繊細かつ優しく、計画的。
一方、
海側に住む人は、活気があり、多少がさつ(おおらか)で、周りを巻き込んで盛り上がることが好きで、その日が楽しければいい。
日本でもイメージはそうではないだろうか。
沿岸沿いに行けば、そこで暮らす人たちは結構ぐいぐいくるし、焼けた肌のおかげか明るい印象を受ける。どちらかと言えば、外に出て行くことを好み、家の中で読書にいそしむ姿を想像するのは、意外と難しい。
それにちょっと失礼なことを言っても「ガハハ!!それもそうだな。もっと呑め呑め」といった感じだ。
これらのイメージは、コロンビアでも同じだ。
コロンビアは、日本の国土の3倍を擁している(人口は3分の1です)。
内地と沿岸の距離が遠く、さらに、アンデス山脈が背骨のように走っているので、山の民と海の民の地域性の違いが日本の比ではないほど大きい。
あなたは、山の民??それとも、海の民??
目次 Índice
コロンビアは、太平洋とカリブ海に面している唯一の南米国家
コロンビアは南米大陸の最北西に位置する。
そのため、西側の太平洋。北側のカリブ海に面している。
パナマやメキシコなども同様だが、彼らは中米であって、南米ではない。
地域は違えど、同じスペイン語圏なので、コロンビア人も強く親近感を感じているのは事実だ。
でも、メキシコではコロンビア人は「麻薬人」というレッテルを貼られるので、空港でのトランジットで必ずスーツケースの鍵の部分を壊され、中身の確認作業が行われる。
だから、コロンビア人はあまりメキシコに旅行に行きたがらない。
こういう話をコロンビアの友人から聞くたびに、「日本人というのは恵まれているな」と実感する。
われわれは、空港の入国審査で英語でうまく説明できなくとも「日本のパスポート」という無言の証明が、人物の安全性を担保してくれているのだから。
それでも、コロンビアからコーヒーをお土産として日本に持ってこようとすると、各コーヒーの袋に小さな穴を開けて、中身の検査が行われる。
中身を必ず検査されるので、コーヒーに穴が開き、長期保管には向かなくなる。
だから、なるべく早くに飲んだ方がいい。
コロンビアの海の民は、”コステーニョ”
コステーニョ Costeñoは、「沿岸の」という意味。
沿岸地域のことをスペイン語では「Costaコースタ」と言う。
だから、コースタに住む人は、コステーニョと呼ばれる。
(海抜の低い河沿いも、海岸に似ているので、コースタと呼ぶ)
ちなみに、「コスタリカ」は「コスタ・リカCosta Rica」。綺麗な海岸沿いが広がっているのだろうと思う。
年中30度以上でカラッとした夏模様の天気の沿岸沿いで住む人たちと、
年中15度前後で山に囲まれた早春の天気の首都ボゴタの人たちでは、全く性格が違くても驚かないだろう。
日々の天気でも、晴れの日と雨の日とでは私たちの気分が違うのだから、気候の違いが性格や価値観の違いに大きな影響を与えるのは当然のことと言える。
コステーニョは、ぼくら日本人が想像する「Theラテン人」である。
とても陽気で、楽しいことが好きで、楽観的な人が多い。
踊ったり、騒いだりするのが好きで、常に幸せを追い求めている。
「酒を飲むのが幸せなんだから、酒を飲んで何が悪いんだ!!」ってな具合だ。
それにのんびりしている。
マイペースなので、一緒に居ても気を遣わないですむ。
ただ、一緒に仕事をするとなると話は別だ!
暑い地域に住んでいるので、「暑いときは休む」というのが常習化している。
実際そこに居たら、
「これはずっと働くのは無理だなー」と実際感じる。
だから、端的に言えば、楽観的であまり働かない。
その日暮らしみたいな感じで、安定性のある生活は送っていない。
というのも、暑いから、放っておいても果物はなるし、魚は海行けばあるから。
環境に依存して生活を送るので、自分で計画性を持って仕事に取り組むことはない。
(計画性がないのは、コロンビア人全体に対して言えることだけど。でも、計画性が不足していても、彼らは幸せのなかで生きている。だから、それはそれでいいと思う)
「その日暮らし」とはどういうことか?一例を挙げよう
コロンビアには、まさに多種多様な人がいる。
風貌的にも、性格的にも、血筋的にもそうだ。
だから、「コロンビア人」とひとくくりで扱うべきでないことは、みなさんもご承知いただきたい。
「日本人」と言った際に、日本人にもたくさんいるからなぁと思うのと、全く同じ状態で話を進めている。
さて、一般的にコースタのひとは、風貌(ファッション)や雰囲気(言葉遣いもそう)で沿岸沿い出身であることがわかる。
彼らが内地の都市部に仕事を探しに来る。
そこで、ひとつの会社から仕事をもらう。
社内での靴みがきの仕事だ。
靴みがきの仕事は、べつに、(いわゆる)底辺の仕事ではない。
立派な仕事のひとつで、公園には必ずいる。それにめちゃくちゃ綺麗にしてもらえる。
会社は、時間労働制で、コロンビアでも朝8時から夕方5時・6時まで働くのが一般的。
そこに、コースタ出身のひとが靴みがきで採用された。
この人は給料制ではなく、靴を磨いた分だけ対価を得られるシステムだが、ひとつの大きな会社のなかを独占して靴みがきできることはとても大きなメリットである。
ビジネスの場ではたくさんのひとが靴磨きを必要としているからね。
しかし、彼は毎日全員を回らずに、午前中で帰ってしまうそうだ。
靴は毎日綺麗にしても問題ないし、身なりを綺麗にすることが好きなコロンビア人は100円程度で利用できる靴みがきを足が空いた時間(デスクワーク中・電話中など)に利用する。
でも、彼は午後の時間働かずに、倍以上稼ぐチャンスを無視して、帰路につく。
毎日1000円ほどを稼ぐと、帰ってしまうのだ。
それは、なぜか?
それは、午前中で今日の分のお金を稼ぐことができたからだ。
だから、午後にさらにお金を稼ぐために働かずに、家族が待つ家へと帰るのだ。
家族がいるなら、もっとお金を稼げばいいのにと多くの人が思う。それは、コロンビア人も同様だ。
でも、彼は家族を養いながらその日を十分に暮らすお金を稼がことができれば、それで1日の仕事のノルマは達成されるので、より幸せな時間(家族や恋人と過ごす時間)を優先するのだ。
「その日暮らし」と聞くと、負のイメージを抱きやすいが、彼らは優先すべきものがはっきりとわかっていて、仕事に忙殺されることは絶対ないし、それは本末転倒であることをよく主張してくれる。
「ジュンペイ、仕事で悩む必要なんてないんだよ。仕事をするために生きているのではなくて、生きるために仕事をしているのだから。あなたはあなたの幸せなことを求めていったほうが絶対にいいよ。自分や家族が幸せでいることが最も大切なことだよ。」
仕事の効率が良くない彼らに言われるとごく一部腑に落ちない部分もあるのだが、それでも彼らが言っていることは圧倒的に正しい と僕は思う。
そういう仕事に対する価値観の世界で、2年間働くことができてよかったと最近よく感謝する。
本題に戻そう
沿岸地域には、褐色や色黒のひとが多い
沿岸沿いには、褐色や色黒のひとが多い。
それは、スペインの植民地時代にアフリカから、アフリカンが連れてこられたから。
だから、彼らが住みやすい場所(沿岸地域)には、色が黒いひとが多い。
言い換えれば、山の方の都市ではほとんど見かけない。
肌の色で差別するような人はコロンビアには居ないので、そういう差別はないことだけは言及しておく。
ただ、コロンビアでは「へい、旦那!!」みたいな呼びかけの意味で、「Negro」と言う。
このネグロというのは、色の「黒」を意味する。
つまり、「Negro 黒」はそれ以外に、人を呼ぶときに使ったりすると言うことだ。
このネグロを、黒人のひとたちにも同様に使う。
それは、「黒いひと」という意味ではなく、「旦那。今日は何にします?Negro! Qué quieres?」という風に使う。
それを聞いているぼくは、内心違和感とともに、ちょっと緊張する。
でも、差別的な意味で使っているわけではないので、彼ら同士ではあまり気にしていない。
それでも、ぼくらがそういう表現を使うのは控えた方がいいだろう。
危ない橋をわざわざ渡る必要はないのだから
コロンビアの内地側、山の民は、おとなしい
コロンビアでは沿岸地域のひとたちのひとのことを、コステーニョと呼ぶが、内地側の人のことを指す単語はあまり聞かない。
あったとは思うけど、覚えていない。
ぼくが、内地側の山地域で暮らしていたからだろうか。
さて、山の民は、ラテン人なのに人見知りをする。
コステーニョスが相手との距離感を気にせずぐいぐい詰めてくるのに対して、内陸の人はきちんと距離感を取ってくる。
彼らもコロンビア人だから、とても優しく、人思いなのだが、人思いで相手のことを考えられるからこそ、こちらを尊重して距離感をおいてくれるのだ。
だから、基本的に親しくなりたいなら、その距離感は壊して問題ない。
彼らのナチュラルな距離感というのは、日本人の距離感よりも圧倒的に近いので、詰めていい。
日本では、どれだけ詰めても、ほっぺをくっつける挨拶をすることはないが、彼らにとってはその挨拶が普通なのを前提として考えれば、我々が多少大胆に心的な距離を詰めたところで、「私たちにとっては大きな一歩だが、彼らにとっては小さな一歩に過ぎない」のだ。
内陸の人は、働き者だ。
働き者と言っても、効率的に働くわけではないが、それでもだいたい時間通りに集まる。
コロンビア全体として、みんな心に余裕を持っているので、仕事の時間が来ても談笑しながらコーヒーを飲んだりしていて、なかなか仕事が始まらないが、そんなものだ、仕事の位置づけが。
それに、相手を(彼らなりに)思いやる精神があるので、こちらが「なにをしたいか」などを伝えないと、コロンビア人と同じ感じで扱われる。
食事も遊びもダンスも、もちろん働き方もそうだ。
「日本ではどういう風にするの?」と訊いて、お互いのいい塩梅を探る前に、彼らの基本がベースに敷かれる。
彼らなりに、「人間の本質は変わらない」と考えてくれているのだろう。
彼ら(コロンビア人)が幸せを感じることは、我々日本人も同じように感じるだろうという前提が、彼らの頭のなかにあるような気がする。
だから、しっかり主張した方がいい。
それでも、沿岸地域のひとたちよりも、内地側のひとたちのほうが、我々日本人は働きやすいと思う。
時間や仕事、約束をしっかり守りたい私たちは、時間にルーズで、仕事に自分ルールを持ち込み、なおかつサボりがちで、約束を忘れてしまい易いコステーニョとは働きにくいと思う。
ストレスをめちゃくちゃ感じるだろう。
それでも、海の民も山の民も悪い人たちなのではない。
彼らは優しく、親切だ。
だから、プライベートで友だちになるのであれば、存分に楽しめる。
おとなしいからといって、しっかり者であるとは限らない
日本では、「おとなしい人は思慮深く、しっかり者である」というイメージがある。
これは日本では通用する”先入観”である。
この先入観を、異国の地でも導入するのは危ない。
四六時中、効率性や他人との協調について思いを巡らせている日本人と、異国の人たちが日頃思いを巡らせている内容は大きく違う。
だから、コロンビアはおとなしいと言っても、しっかり者であるとは限らなかった。
ただ単に、何も考えていないひとは結構居る。
「何も考えていない」が、本当に「何も考えていない」だったりするのだ。
それを、日本で通用した先入観で覗いてしまうと、しっかり者だと判断してしまう。
最初はそうに認識していてもいいが、いつかそのギャップに気づいたときのショックが大きくなってしまうので、最初から先入観なしできちんと観察した方がいい。
それでも、めちゃくちゃしっかりしているひとはいる。
そういう人は、きちんと自分の芯を持っていて、それをはっきりと言葉で表現できる人たちであることが多い。
口がうまいひとが多いコロンビアだが、話や意見を聴いていて内容が客観視できている人というのは、ほぼ100%信用できる。
言い換えれば、そのくらい自分のことを客観的に分析できて、言語化できる人が少ないことを意味する。
内地側では、騒ぎたがりのコステーニョが煙たがられるが、すべてが教育やしつけに起因することを理解している。
沿岸地域の人たちは、他者への配慮が欠けていることがある。
たとえば、共同生活をしているのに、部屋のなかで深夜に最大音量で音楽を流したり、共同スペースを散らかしたまま、そのままにしておいたりする。
だから、そういうことを嫌うひともいる。
それは、そういう習慣が嫌いなだけで、人物が嫌いなわけではない。
でも、コロンビア人もわかっているのだ。
そういうことは、地域性ではなく、個々人のしつけや教育に由来することを。
だから、そのたびに「お手本を示すかのように」僕に話が振られる。
「ジュンペイ、共同スペースを使った後は、日本ではみんなどういう風にしているの?」
「来たときよりも、去るときのほうが綺麗であるのが理想だよね。だから、しっかり掃除するよ。次の人たちが心地よく使えるしね」
となる。
だから、日本のしつけ(秩序を保つために、どのようにして挙通認識を共有するか)を学びたい人は多い。
でもそういうことは、べつに日本に学ばなくても、ひとりひとり考えれば行動できるモノ。
だから、日本の常識が通じる場面はとても多かった。
「次の人のために、綺麗にして帰る」というのは、日本人に限った話ではないからね!
コロンビアに行くなら、海の民と山の民の違いを感じてみるといい
山は、ツンと寒い。
コロンビアのことを熱帯の国と思っているひとは多いと思うが、ボゴタは標高が2800mあるので、ダウンが必要だし、半袖半ズボンで生活する世界ではない。
海は、カラッと暑い。
沿岸沿いをビキニで歩くコロンビア女性と、おなかがぽこっとビール腹になっているコロンビア男性の姿を見ると不思議に思う。
山の民のなかには、白人のように色が白く、色素が薄い人がいる。
そのようななかに、アマゾン地域の出身の人がいると、その褐色の肌がとても魅力的に映る。
とてもたくさんの人種のひとたちが共生している。
コロンビアにはいろいろなひとがいる。。。。本当に
山間と海間では、そこに暮らす人たちの生活や性格が違って面白いのだ!!!
この違いはとても大きいので、「コロンビアのひとってどんな人なの?」と訊かれると、そのどちらにも共通する「自由で、幸せで、愛にあふれた人たち」と答えることになる。
これだけ距離が離れても、ぼくはなおコロンビアのことが好きだし、コロンビアのひとは素敵な人たちだと思っている。
コロンビアは、それほどに魅力的な場所である。
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