協力隊参加後に、日本に拠点を置くことを決意したぼくの国際協力観【After編 完結!!】
ぼくはこれから日本を拠点に、国際協力の世界とつながっていきたい。
そうに考えている。
青年海外協力隊に参加したことで、「拠点を日本にする」という結論にいたった。
途上国に行かずに、最初から「拠点を日本にしている」ひともいる。
結論は同じでも、ぼくや”ぼくら”は一周して、経験を介して選択したうえで、同じ結論にいたったということを自負するべきだ。
はたから見ただけでは””同じ結果””なのかもしれないが、間違いなく、青年海外協力隊を経験したわたしたちにしか見えない世界、感じれない世界というのは存在している。
この記事は、
→青年海外協力隊”後”の今、ぼくが持っている国際協力観【Before-After:After編 ①】青年海外協力隊”後”の今、ぼくが持っている国際協力観【Before-After:After編 ①】
の続きです。
青年海外協力隊に参加する前に、ぼくが抱えていた国際協力観はこちら
→青年海外協力隊参加”前”のぼくが持っていた国際協力観【Before-After:Before編】
この記事が節目の200記事目なので、しっかりと刻んでいこうと思う。
目次 Índice
途上国の”待てない彼ら”にウケるのは、即効性があって・簡単で・効果が出て・わかりやすいもの
誰か人が来て「手伝うよ」と言われると、みんな「どんなことをもたらしてくれるのだろう!!ワクワク」と思う。
協力隊員でも、いわゆる「援助慣れ」した地域に入っていけば、金づるぐらいにしか現地のひとに思われない。
そういう話はよく耳にする。
世知辛い世の中だ
協力隊員というのは、打ち出の小づちでもないし、錬金術師でもないし、全知全能の魔法使いでもない。
それにもかかわらず、異世界ではやはり”(良くも悪くも)一目置かれる存在”であるがゆえに、相手のイメージと実際の隊員活動がうまくリンクしていないことが多い。
農業技術などは、耕作道具の形の違いや畝の立て方、堆肥の作り方など、多少の違いはあれど、革命的に違うことはない。
そう。
簡単に言ってしまえば、農業隊員は現地の技術や生活を改善することはできても、改変することはできないのだ。
つまり、技術の上乗せや改善はできても、革命的で劇的で見たこともないような常軌を逸した素晴らしい技術というのは存在しないので、小さいことをコツコツと改善して大きなものにしていく必要がある。
たとえば、キャベツを栽培しようとしたとき、コロンビアの農家でも種は播けるし、肥料は与えることができる。
だいたいそれができれば、キャベツはできる。
大枠はそうだ。野菜だって植物なのだから、ある程度の管理してあげれば、ある程度は収穫できる。
こういうところに農業技術支援として入っていくとすれば、
ポット苗の作り方や定植の仕方、畑のデザインや畝の立て方、肥料の使い方や使うタイミング、間引き、病害虫対策など
そういう「小さいけれど、大切なこと」を指導していかなくてはいけない。
でも、農家はもっと革命的なことを想像していたりする。
みみっちいことを指導してもらいたいのではなくて、仕事がめちゃくちゃ減って、収量がたくさんとれるような革命的な技術をもたらしてくれるものだと考えていたりするのだ。
そんなの相手にしてられない。
でも、われわれ日本人のように「塵も積もれば山となる」、「コツコツとがんばって積み重ねることで大きな成果を得ることができる」という日本人精神を、途上国の異世界の方々に期待することは無理だ。””もし””、コツコツと積み上げることができていたとしたら、残念ながら、彼らはそこの位置にはいない。
”そこの位置”に未だに居る、ということは、つまり、彼らには別のルートの刺激的な起爆剤と達成感が必要なのだ。
だからこそ、(言い方はよくないが)ナマケモノでも効果を得ることができる方法で、技術を伝えなくてはいけない。
たとえば、ミミズコンポストをコロンビアの農家さんに売り込んだとき、こうに説明した。
「ミミズは眠らず、24時間365日ご飯を食べ、うんこをする。そのうんこが良い肥料になる。だから、ミミズに家畜フンを与えておけば、ぼくらが寝ている間に、”勝手に”かれらが有機肥料をつくってくれる。ぼくらが1週間休んでも、ミミズが代わりに働いてくれている。ぼくらがやることは、ミミズに家畜フンを与えて、水を与えるだけで、あとは放っておいて問題ない。」
あとは、実際にそうにしてできたミミズ堆肥とコンポストティー(ミミズ堆肥の液肥)を、モデル農家に使ってもらって、効果を実感してもらえばいいだけ。
これらの有機肥料がよく効くことは疑いようもない事実なので、その取扱い方に注意を促しただけ。
革命的ではなくても、
簡単で、仕事が増えなくて、費用がかからなくて、良い効果があって、効果をすぐに実感できる技術やアイディアが受け入れられやすいのは当然のことだろう。
日本では、なんでもかんでも複雑にしてしまう。
「あれも、これもやらなくてはいけない。いそがしい!!」では、絶対に途上国の人に技術移転できない。
技術の本質を見抜いて、余分な肉をそぎ落として、簡易で簡素にして技術移転を図ることが大切だろう。
技術や知識は腐らない。あなたの専門性は、500年前の世界でも通用しますか?
というわけで、一応僕は「途上国で国際協力をするつもりなら、こういう心構えを持っておいたほうがいいよ」ということを発信している(つもりでいる)。
現場のレベルを想像できなければ、どういう技術や方法が受け入れられやすいかがわからないと思う。
もし、あなたが農業関係の職種のひとであれば、ぼくはこういうシチュエーションで想像してもらったほうがいいと思う。
500年前の日本にタイムスリップしても、その当時の農家さんが理解できて、役に立つ技術を習得しておくこと
途上国のひとをばかにしているわけではない。
農業の本質というのは、そのくらい変わっていないものなのだ。
それに、途上国では、いまの日本のようにはモノがそろっていない。
資源も材料も十分ではないだろう。
化学肥料に安易に助けを求めるのも違う。
僕の場合、ミミズコンポスト、自然材料を利用した完熟堆肥づくり、持続的な土壌管理は、江戸時代の農家さんにも技術移転できる自信がある。
それがぼくの専門性だ。
いまのところ、われわれはタイムスリップすることはないが、でも、農業などの自然を利用した分野に関しては、古今東西不変的に有用な技術がある。
そういう視点をもって、自分の専門性を見返してみると、途上国での国際協力のハードルを低くすることができるだろう。
国際協力に向けていた熱量を、福島や今後の農業に向けている
ここまで、「国際協力はストラップ」と言うわりに、なかなかの熱量で語ってきた。
いまはその時間やエネルギー的な熱量は、日本国内で消費している。
(心の熱量は失っていない)
国際協力にはいろいろなかたちがあるが、
ぼくは、日本がしっかりしていないのに、そこをほったらかしにして、海外にばかり目を向けるのは変な気がした。
というか、ぼくは国際協力との向き合い方が変わったので、「今度は日本で、日本のためにがんばろう!」と思うようになった。
それが、いま福島で働いていることも大きな理由のひとつ。
これまでは、「知り合いの人たちが日本で頑張ってくれているから、ぼくはのほほんと途上国で国際協力をしよう」と考えていた、まさにその『知り合いの人たち』のように、今度はぼくがしっかり日本で働いて、これから途上国で国際協力を行おうとしているひとをサポートする側に回っただけの事。
嬉しいことに、ぼくが日本で働いているいまも、続々と青年海外協力隊でもそうだし、ほかの団体を通じても、途上国の現場で国際協力を行おうとしているひとたちが出てくる。
これだけ、心強いことはない。
そういうひとたちのためにぼくは記事を重ねているので、そういうひとたちには存分に異世界に行ってほしいと思う。
アクション映画のように、「ここは俺がなんとかするから、おまえらは先に行け!!!」ってな具合だ。
いつしかそういう風に、重みと信頼のある言葉が、だれかの胸に響くような人物になっていきたい。
1年後、2年後ではなく、10年後を見据えて
ぼくは26歳。
学年でいえば、27歳になる歳だ。
人生、先は長いようで、わりとこれからの自分の人生の大きな方向性を決めなくてはいけない年齢であるような気がする。
それに、最近ひげが伸びるのが速くなった。
以前までは、国連ボランティアにJICAから推薦してもらうための上限年齢が35歳に設定されていた。
しかし、もう年齢の上限はなくなった。
つまり、いつでも、専門性と語学力と熱意があれば、国連などの国際協力の道も開いているというわけだ。
日本に拠点を置こうと考えている僕はもう、国連やFAOなどで長期間拘束されることに抵抗があるので、選択しないだろう。
少なくとも、いまのぼくは選択しないだろうと思ってる。
いまのぼくがしなくてはいけないことは、
自分のポテンシャル(潜在能力)を潜在させておかずに、きちんと開花させていくことだ。
知識も技術も人格も経験もそうだ。
26歳というのは、まだまだ若造の青二才なわけだが、個人的にはもうすでに「次の世代の手本とならなくてはいけない年齢」だと感じてる。
手本とまではいかずとも、下の世代にとっての通過点的な短期目標程度ではなくてはいけない。
そうに思う。
それに、ポテンシャルというのは持っているだけでは意味がない。
それをうまく発揮しなければ、いけないものだ。
まぁ、べつにそんなに意気込んでいるわけではないけど、社会に対する姿勢としてはそのくらいの気迫を持って生きてる。
あんまり断言すると、自分の中身がそこまで伴っていないから自信ないけどね。
月々数千円程度は慈善事業に寄付しているが、それを運営する側に回りたい
もう少ししたら、人生で3回目の給料がもらえる。
ぼくは働く人初心者だ。
いまはお金を稼ぐために仕事しているわけではないので、お金をたくさん稼ぐことに意識を向けていないが、今後はお金を稼いでいきたい。
ぼくは、大学から国際協力を学ぶ世界に身を置いていたので、密かに国際協力関係の団体のカレンダーを買ったり、震災募金にお金を回している。
それでもやはり、自分で実際にそのお金を運営して、どこにどうお金をかけていくか、行く末を見たい。
だれかに任せるのではなく、きちんと寄り添って支援をしていきたい。
だから、おかねがほしい。
おかねほしい。笑
いまお金があっても仕方ないから、いまは要らないけど、おかねほしい。
貯金が数百万のぼくと、貯金が数千万のひとの「社会貢献のために、ちょっとお金出すわ~~」の額が一緒なわけがない。
ぼくの資産1%の寄付と、ソフトバンク社長 孫正義の1%の寄付は、「資産1%の寄付」でも比べ物にならない。
なるはずがない。
だから、ぼくはお金を稼ぎたい。
国際協力などの社会貢献のために使えるお金がほしい。
おかねほしい。笑
おわりに:自分の人生はきちんと考えないといけないね。ちゃらんぽらんなぼくを今後もよろしく
おかねがほしいぼくだが、やりたいことははっきり自分でも理解できていない。
選択肢がたくさんあって悩めてしまう自分に喜んでいる節さえある。
でも、まだ26歳でも、もう26歳。
しっかりしていかないといけないですね。
若いから可能性がある。
でも、”可能性”は持っていても意味がない。
その可能性を展開していかないといけない。
そんな気がします。
それでも、『国際協力を日本で行いたい』とぼくが考えられたのは、やはり素晴らしい先輩方がすでに日本でそういう取り組みを行っているからに他ならない。
ボランティアに参加させていただいたことや、実際に途上国に招待出張するひとたちとの出逢いは、とても魅力的で、言葉では簡単に表現できないような刺激をもらっていた。
もし、そのひとたちやそれらの活動に魅力を感じていなければ、ぼくが「日本を拠点にして、国際協力と付き合っていきたい」と思うことはなかったはずだ。
今度は、ぼくがそれを誰かに伝えられるといいな。
世界は繋がっていますし、繋げていきたいですね!!
おしまい
この記事、200記事目だったので、すこし気張りました。
最近、文章長くなって読みにくいよなー
熱量は落とす気ないので、2つの記事に分けたりして、読みやすいようにしていきますね!!
みなさん、201記事目で会いましょう
→青年海外協力隊参加”前”のぼくが持っていた国際協力観【Before-After:Before編】
→青年海外協力隊”後”の今、ぼくが持っている国際協力観【Before-After:After編 ①】青年海外協力隊”後”の今、ぼくが持っている国際協力観【Before-After:After編 ①】
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