青年海外協力隊”後”の今、ぼくが持っている国際協力観【Before-After:After編 ①】
青年海外協力隊に参加し、2年間コロンビアで過ごして帰ってきた。
やはり、”国際協力入門”の2年間を実際に過ごすと、自分が今後「国際協力」という世界にどう関わっていきたいかが見えてくる。
というか、ぼくはそれを確かめたくて参加した。
ぼくの精神は、海外でずっと生活するのには向いていないことがわかった。
青年海外協力隊に参加する前の意気込んでいたぼくの国際協力観
→青年海外協力隊参加”前”のぼくが持っていた国際協力観【Before-After:Before編】
目次 Índice
「国際協力」は、ぼくのストラップ
ぼくにとって「国際協力」というのは、これから死ぬまでついて回る世界。
ストラップみたいなものだ。
常にその存在に意識を向けているわけではないが、ふと自分の足下に視線を落とす、地に足をつけようすると目に入る。
荷を下ろして落ち着いてみると、揺れながら主張してくる。
ぼくにとって「国際協力」とは、そういう距離感にある。
だから、ぼくはあまり「国際協力」というものを背中に大々的に背負いたくない。
ストラップでぶら下がっているくらいでちょうどいいのに、がっつり背中に背負ってしまっては、何十年も続けてはいけない。
そうに思う。
海外に身を置いてまで人生をかけて、国際協力を行えない
国際協力というのは、べつに肩肘張ってやるモノだとは思ってない。
→【これでいいのだ】国際協力は高尚なモノではない。隣に友だちがいたら、仲良く手を貸す
だから、僕にとって国際協力というのは、活動拠点で2つに分けることができる。
国内で国際協力に取り組むか、海外に身を置いて国際協力に励むか、の2つだ。
「国際協力」の””国際””には、言わずもがな、日本も含まれている。
だから、海外にいないと国際協力が行えないわけではない。
青年海外協力隊というのは、国際協力を心に留めているひとが自分の適性を確かめるよい機会だと、個人的に思っている。
ぼくの場合、海外という異世界に魅力を感じながらも、その異世界に常にいては自分の人生を楽しむことができない。
そうに思った。
それも、コロンビアで1年10ヶ月過ごして朝目覚めたとき、ふとそうに感じていた。
自分の深層心理の部分からの訴えだったのだろう。
コロンビアを楽しむことはできるし、コロンビアに住んでいる時間を楽しむことはできたけど、人生というこれから先いつまで続くか(いつまで続けることができるか)わからないビジョンで見てみると、自分の人生を楽しむことができないと感じてる。
日本という「帰る場所」から、どうしても離れることができないのだろう。
「淋しさ」とはまた違うのだが、僕自身「『海外に何年も何十年も現地で暮らしながら、彼らと関わり合って……』というのには向いていない」ということが直感的にわかった。
ぼくはそれを、「自己犠牲」と無意識のうちに捉えてしまう。ということは、そのスタイルは僕にとって肩肘張った国際協力のあり方ということだ。
これは、人による。
それを自分の人生の一部として、楽しむことができるひともいるだろう。
簡単に言ってしまえば、これが結論。
2年間途上国で生活をしていると日本が恋しくなる以前に、自分が協力できることがはっきり見えない時間がもったいなく感じてしまい、「国際協力に関わる時間」の無駄が多い
事例はコロンビアだけだがコロンビアという国際協力の現場に入って、「国際協力」という大義名分を持って生きていたわけだが、現場レベルで、草の根としてゼロから始めるのは相当に難しい。それに、しんどい。
誰かが切り拓いたあとの場所でがんばることも別の苦労があると思うだろうが、自分で居場所をつくって、そこで自分の存在感を出し、協力できる場所を見つけるという「切り拓き」は想像以上にストレスで、頭フル回転で、疲れる。
それに、それを支えてくれる存在が必要になる。
ぼくの国際協力への取り組み方は、かなり相手の自主性に任せるものだ。
何かを変えたいなら、変えるためのお手伝いはする。
でも、変化を望まないなら、それはそれでいい。
だから、彼らのモチベーションがもっとも大切。
もちろん、なにも口に出さないわけではない。
最初にきっかけを与えることは大切なので、そういうことはしっかりとする。
それでも、変化を望むかどうかというのは、ぼくの人生ではなく、彼らの人生のなかの1アクション。
喫緊ではない課題というのは、なかなか動機に欠けるもの。
そういうスタンスでぼくは途上国で過ごすから、常にずーっと一緒にいる必要はないのだ。
それに、ぼくは人と親しい仲になるのに、あまり時間がかからない。
ある程度の親密性に関しては、数ヶ月で馴染む。
そうなると、相手と仲良くなり、変化のビジョンを提示して促してから、1年もずっと一緒に居る必要はない。
もちろん、時と場合によるだろう。
飛び込んだ先の風習や彼らの考え方によるのは事実だ。
年に数週間を数回訪問できれば十分。
これがぼくが現場で感じた、ぼくに合った国際協力のやり方だった。
もしピンポイントの技術協力の要請があって、そのためだけに招待されるような人物になることができれば、数回の出張でやる気のある人たちに技術指導することができる。
それがひとつの理想だ
農業技術を伝授して、彼らの意志によってそれが定着・始動するまでに半年はかかる
国際協力のなかにも、さまざまな分野がある。
農業技術の普及のように、現地の人が実感を持って効果を理解できるまでには、(どれだけうまく成功しようとも)少なくとも3ヶ月や半年はかかる。
なぜなら、1栽培サイクルが長いからだ。
堆肥の熟成やミミズたちの繁殖、施肥した肥料の作物生育への影響などを調査し、そして、その結果を実感するためには時間がかかる。
それに、うまくいったとしても、1サイクルだけの結果で効果に納得してくれる可能性は低い。
だから、半年ほどの時間は必須だし、毎日毎日ずっと見張っている必要もないのだから、ずっと居る必要はない。
(最初はその現場の実情を知るために、内情がわかるまで滞在する必要があるとは思う。でも、ぼくがコロンビアで再び活動したとしたら、チョレーラ村のファビオの畑や家の実情は理解しているので、状況がよくわかっていれば変化を彼らに促しておいても問題ない。)
たとえば、協力したいこと(たとえば、農業技術)をやるメリットを相手がわかったとしても、実際に農家さんがそれを採用するかどうかはわからない。
そして多くの場合、農家さんは採用しない。
これは日本でも、どこでも同じ傾向だろう。
誰かにポンと助言されて、その技術の良さを目の当たりにしても、半信半疑だったり、真新しすぎて理解できなかったり、反抗心に苛まれたりするものだ。
それに加えて、その技術を導入したい側が「この技術はいいぞ!」と考えていても、受け取る側は「そんなものはいらん」と、想いがすれ違ってしまうこともよくあること。
そういったすれ違いをなくす。
つまり、受け取る側のひと自身が「その技術の効能はすごいな!やってみたいな!」と思うように促すためには、彼らの日常的な世界のなかに溶け込んだ技術伝搬の方法が必要になる。
そのために、適応して成功したモデルをつくるのだ。
モデルを作って、そこを拠点にして貰えば、良いものはコミュニティ内で広まっていく
モデルをつくれば、ぼくが提示したい技術を「現地の人」というフィルターを通して、現地に適用させることができる。
NGOやNPOのホームページなどの綺麗で、成功しているように見える現地の写真とは、こういう重点的な技術導入を図ったモデルの写真だと思う。
以前書いた記事
→より良い結果を得るためには、対象者を選別することも大切
技術Aというものを普及したいときに、Aを多くの人に未加工のまま、直接導入を図っても、みんな同じ場所でつまずく。
そのつまずきとなる障壁を解消するために、現地モデルをつくる。
技術Aを、Bさんのところで現地に適応させ、それを現地モデルとし、技術Bとして普及すればいいのだ。
(詳しくは、上の記事を読んでください)
堆肥づくり的な話で例えれば、「現地の土着菌(その風土にいる微生物)」を堆肥に利用すれば、必然的にその風土に合った堆肥になっていくということだ。
家庭の事情や風土に合った良いものであれば、(コミュニティ内のコミュニケーションの強さで)風の噂とともに自然と広がっていく。
それこそが、より定着しやすく持続的な技術移転だろうと思う。
無論、モデルとなるひとが強情で技術を独占してしまわないかなどという人間性や、コミュニティ内での人望・役割などはしっかりと調査する必要がある。
そういう手順を踏むと、べつにぼく自身がプレイヤーとして全てをしなくてはいけない わけではないことに気がつく。
というか、ぼくは全くもって全知全能たる伝道師ではないので、ぐうたらぐうたらと、みんなのペースに合わせて、徐々に浸透して行ってくれればそれで充分だと考えている。
良いことに早いも遅いも関係ないのだ。
自分が網羅的に関わるよりも、相手が求めてきたピンポイントの要求に応える方がおたがいのためになる
協力隊に行くと、結構自分の専門とは関係ないことをやったりする。
というか、やらなくてはいけないことがたくさんあるので、それが気になってしまい、いろいろなことに協力してしまう。
なんか、「自分の専門で働く以前にやらなくてはいけないことが多すぎて、自分の専門性を発揮するのに至らない」。
相手のニーズも、モチベーションもあまり整備されていないような場所で国際協力を行おうとすると、(過信しているわけではないが)自分の実力や技術が最大限発揮できないフラストレーションがめちゃくちゃたまると思う。
ぼくは、”めちゃくちゃ”ではないけど、たまった。
「宝の持ち腐れ過ぎない??」と思った。
そういうこともあって、帰国後の今思うのは、
相手が本気で求めていて、熱心かつ具体的なビジョンを持っているような人たちから「招待されるような人物」になれるように頑張ろう
ということだ。
それは、熱心なひとを日本に呼んで、日本で技術指導させる という国際協力の方法にも通ずるモノがある。
こちらが相当な熱量を持っていても、有象無象の水のように伝導率が低い人たちのところに足を運んでも、伝わるモノは少ない。
でも、伝導率の高い少数精鋭の人たちのところに足を運んだり、かれらを日本に連れてきて日本で学んでもらうことができれば、伝わるモノはより多い。
そのためにはまず、僕自身が「コロンビアで感じた自分に足りないこと(途上国の現場で役立つ技術の習得と深い理解や社交性など)」を、日本で磨かなくてはいけない。
自分の成長こそが、自身の国際協力の幅を直結的に広げることは確かである。
国際協力帰国後編 Part.1 は、ここまで。
続きは、Part.2に続きます!!
→祝200記事【After編 完結!!】協力隊参加後のいま、日本に拠点を置いたぼくの国際協力観
→青年海外協力隊参加”前”のぼくが持っていた国際協力観【Before-After:Before編】
→より良い結果を得るためには、対象者を選別することも大切
COMMENTS & TRACKBACKS
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じゅんぺいさん、はじめまして。
2016-3 タイで感染症・エイズ対策隊員をしている公志朗といいます。最近じゅんぺいさんのブログを拝読しています。
同い年とは思えないくらいしっかりしていらっしゃるなぁと思うことばかりです。
あとカメが大好きなので写真がたくさん見られて嬉しいです。笑
僕の活動も残すところ2ヶ月を切りました。そして今日の記事を読んで、
『2年間途上国で生活をしていると日本が恋しくなる以前に、自分が協力できることがはっきり見えない時間がもったいなく感じてしまい、「国際協力に関わる時間」の無駄が多い』
というところにすごく共感しました。
国際協力はもちろんですが、他にもやりたいことは山ほどあって、ただただ時間がすぎるのを待つしかないような時にしばしば、「どうして、何の為にここにいるんだろう?」と思います。
『相手が本気で求めていて、熱心かつ具体的なビジョンを持っているような人たちから「招待されるような人物」になれるように頑張ろう』
これもまさに、同じようなことを考えていました。
自分の足りない部分を把握するという意味では有意義な2年間だったので、帰国後に2年間のもどかしさをバネにしてたくさんのことを学び、力をつけたいと思います。
長々と失礼しました。今後も更新を楽しみにしています。
こうしろうさん
こんにちは!
東南アジアのタイから読んでくださって、ありがとうございます。グローバル社会を感じるとともに、ネット社会の広さを実感しました!!
同い年ということなので、
協力隊の活動経験(挫折、苦悩、苦労、もどかしさなども含む)が自分の将来につながるという「自己成長」のモチベーションで、自分の専門を存分に発揮できないもどかしさのなかの活動だと思います。
そういう意味では、「自分がここに存在する意義はなんなのだろうか」という葛藤を胸に抱えた、”耐えながら”の活動だと思います。
ぼくは、たまたま昨日、職場の先輩からひさしぶりに自分の進路を考えるきっかけをもらいました。
年齢的にぼくらはもう、「たくさん選択肢があることに満足するのではなく、そのなかから1つを選択して真剣に打ち込んでみなくてはいけない」のだな、と思いました。
ただ、これまでこうしろうさんが戦ってきた苦悩という負の感情への耐性というのは、日本ではめちゃくちゃ役に立ちますよ!!!
最近、それに気づきました。心の余裕の幅も奥行きも違います。
日本語で話せるだけ幸せですし、交通機関がある程度時間どおりに来てくれるだけありがたいですし、現地での不条理なことと比較すれば日本で生活する上で起きる身の回りの問題などというのは、屁でもないです。
心が全然揺さぶられないです。だから、かえって、「なんでそんなことでカリカリしているの?」とか思ったりします。
脱線しました
カメの写真は、これからガラパゴス編でも、コロンビアのサンアンドレス島編でも、たくさんでてくるので楽しみにしてください!
カメぞう、かわいいですよね!!!
残り2ヶ月、活動でも交友関係でもバタバタすると思いますが、健康を維持して、アクシデントに巻き込まれない程度に無事過ごしてください
応援してます