コロンビア人と仕事で働くときに知っておきたいこと:彼らの考え方と習性
コロンビア人は,温厚で自由。
「コロンビア人はどんなひとたちなの?」と彼らに訊けば,「私たちは優しく,親切だ」とこう答える。
実際,その通りである。
コロンビア人は優しく、親切で、日本の常識も理解してくれる素養がある。
*この記事は、このブログの前身ブログにて、一度記事にしたモノを加筆修正したモノです。
目次 Índice
コロンビアには、自由があふれている
自由というのは,自己愛あってこそもたらされるものである気がする。
自分をしっかりと持ち,自分がやりたいことを優先する.
自分が進みたい選択肢を選ぶことが大切.
そのためには,自分が何をしたいのか,何を欲していて,それには何が必要なのかを直感的に理解している必要がある.
かっこいい言い方をするとすれば、『自分の人生は、自分で切り拓く』といったところだ。
われわれ日本人が相手の表情や言葉遣いのすこしの変化を感じて,相手の内情をくみ取ろうと努力してしまうことに似ている.
ぼくらは、そういう風に相手を尊重したい気持ちを”生まれてから”持っている。
それは、日本の風土や社会が、知らず知らずのうちにわれわれに教育してきたことでもある。
だから、我々日本人にとって、「察すること」は当然のことになっている。
それがコロンビア人にとって、「自分が幸せなことを優先すること」に当たる。
そう、彼らはなにか特別にそういう道徳的な授業を受けているわけではなく、当たり前のごとく、そういう風に「”自分”を最も優先的に選ぶ」ようになっているのだ。
だからこそ、彼らは、ぼくが相手を尊重して、”相手を立てている”行動をとっていることに気づかず、その気遣いの真意がわからなかったりする。
これが異文化コミュニケーションというものの根源だろう。
高ステルス機能:気づかないコロンビア人、察してしまう日本人
コロンビア人は,自分の幸せや家族の幸せを最も大切に扱う.
だから,働く際も基本的に自分のやりたいことをやる.
日本人の僕の目から見ると,とても個人主義的に働いているように映る.
組織全体の仕事を考えてから,自分の仕事を考えたり,自分が任されたポジションを俯瞰的に理解することはない.
というか、そういう俯瞰的な視点というのは基本的に持ち合わせていない。
仕事だから”組織”で働いてはいるが,組織自体のベネフィットよりも個人の仕事を優先する.
そのため,基本的に個人と個人の間の仕事を繋ぐ作業はない。
個人個人がそのひとなりに頑張って仕事を進めるので,やらなくてはいけない、だけれども誰も取り組んでいない仕事がたくさんある。
そして、それらの仕事の存在を誰も気づかないので、永久的に残り続ける.
皮肉ではないけれど、『知らぬが仏』という言葉がぴったりだった。
課題があるのにもかかわらず、その課題はコロンビア人にとってはステルス性能満載なのだ。
でも、ぼくら日本人には、かれらの課題は丸見えなのだ。残念ながら、”察する”ぼくらにはステルスしてくれない。
組織なのに仕事を個人でしか行わない
組織があっても、上司のような明確な監督者はいない。
上下関係は多少あれど、みんな横並びのような仕事の仕方なので,包括的に全体作業をすすめるひとはいない.
部下という概念がないので,コントロールしたり,仕事を確認するということもなく、そういった管理体制もない.
ひとつ残念なのは、下のひとを教育・管理する体制がないので、新人教育が行われることはあまりなく、その組織での仕事の仕方を知らないまま自己流で働き始めて、野放しにしていること。
個人で働き,相手の仕事には干渉しない というのがコロンビア社会における基本的なマナーです.
コロンビア人はプライドが高いので,人前・人前でないに限らず、ダメ出しされる(指摘されること)をとてもよく嫌う.
それでいて,基本的に自分自身で反省する素養はない.
なので、日本人のように「あああ,あそこがうまくいかなかったな...」と思うこともなく、職場の玄関を一歩出る前から仕事のことは考えなくなる.
だれも指摘せず,自身で振り返ることもないのですから,反省を次に活かすということはありません.
だからこそ,組織として反省(良かった点悪かった点両方)を促す仕組みをつくることが大切だと思って,それに取り組んでいました.
0から創り上げるので,包括的に考えて伝えなくてはいけなく,参考にしてもらえるような冊子づくりをしていました。
それも結局道半ばで帰ってきてしまいました。ごめんなさい
習慣は後天的なものだから、なかには突然変異がいる
我々日本人は反省がとても好き.
「あれがうまくいったな.これがうまくいかなかったな.どうしてうまくいかなかったんだろう」と自然と考える.
この『自然と考える』というのがなかなか厄介なのです.
なぜならそれは無意識にということであり,習慣的にということを意味するから.
でも,習慣というのは後天的なモノ.
生まれ持っての能力ではない.
だから、それを繰り返していけば,習慣になるのです.
文化が,たとえば500年間それを築き上げてきたとしても,その文化が個人に干渉するのは生きている間の80年間だけ。
25歳までは人格形成に強い影響を与える期間だと言われているので、文化が干渉できるのは自我が出てからの20年間ほどの期間だけなわけです.
なので,活動期間の2年間で結構いい線にいくひともいました.
このひと変わったなと感じることもあります.
それに、もともととてもしっかりした思考を持っている人が、意外と多く居る。
突然変異的に、とても思慮深く日本人的な思考回路をもっているひとがいて、おもしろかった。
我々青年海外協力隊員が2年間の活動で派遣国のその国の文化や習慣に馴染んでしまい,日本社会に復帰したときに母国の日本に違和感を感じたりするのと同じでしょう.
習慣や思考とは後天的なモノなのです.
「反省をしない」ということは、必ずしも悪いことだけではない
コロンビア人はうまくいかなかった点を反省しません.
かれらは常に良いところを見ているからです.
良かったところを見て,そこを誉め,そして、それに満足します.
これも自分を高めるためには,とても大切なプロセスです.
コロンビア人の幸福度が高い理由のひとつであり、そして、われわれの目には、かれらが楽観的で幸せに映る理由でしょう。
彼らは常に物事をポジティブに捉えます.
というか、他人にネガティブなことを言わないので、ひとに傷つけられることは少ないわけです。
われわれは結構、ネガティブなことを伝えるために、オブラートに包んで伝えたりしますが、それは実際かなり疲れます。
それに、ひとの良い部分しか見ないというのはとても幸せなことで、不平不満ばかりを思いついてしまう日本の社会人とは大きく違います。
だから、話の話題も、日本人とは全然違うモノで、旅行の話や家族の話が中心で、ビジネスの話はありませんし、仕事の不満をべらべら話すこともありません。
一方で、謙遜する社会で育ったわれわれ日本人は基本的に物事をとらえる際に,自分を低く表現するためにネガティブな部分を探してしまいがちです.
そのため、ぼくらとかれらは対極にあります.
だからか,彼らはネガティブな部分をクローゼットに放り込んで,人目につかないようにしたがります.
きっと彼らは無意識のうちに、そのようにネガティブな部分には触れないようにしているのでしょう.
これも『無意識のうち』です.
きっと文化的に,楽観的なのでしょう.
熱帯地域の人はそういう国民性を持ちやすいと言いますよね.
でも、そういうことを頭ごなしに、否定するべきではないと思うのです。
ネガティブな部分を見ない・見ようとしないことは、我々日本人からすると嫉妬心的に受け入れがたい事実なのですが、少なからずわれわれも見習うべきことだと思います。
建設的なアプローチができないので、延々と同じ障壁で足止めを食らう
問題を解決しようとするとき、建設的な会話が必要です。
ネガティブな部分を見ない(に気づかない)ひとたちは,問題の解決に取り組んだことはないのです.
なぜなら、問題をきちんと視る素養がないから。
問題を解決するためには何をどうしたらいいのかわからない.
建設的な会話というのは,習慣です.
日本では会議中に無駄話をしませんし,会議がどういう意味をもっているのかをみなが理解しています.
ですが,それが普通でなければどうします?
それぞれがスピーチを始めたり,子どものことを急に話始めたりしたらどのようにその場を良くしようとします??
電話やトイレに行くために席を立ち、ケータイをピコピコしてはじめる。
話が脱線していても、そもそも話の根幹(テーマ)を明確に提示していないので、脱線もくそもないのです。
脱線先にどんどんレールを敷いていくので、彼らにとっては脱線ではないのです。
まわりの99人がみなそのような風に行動していたら,その場であなた1人になにができますか?
建設的な会話をすることを知らないひとたちは,そのプロセスを利用しなければ問題が解決できないということも知りません。
ということは,,,,,問題がずっと解決されないということです.
そして,毎回毎回同じ問題に直面するということです.
自分が言いたいことは言う。
相手も言いたいことは言う。
それを一応聞くが、相手の意見に寄り添う気概を持って聴いているわけではなく、右から左に受け流しているだけなので、歩み寄りの姿勢はありません。
歩み寄る姿勢がなければ、おたがいの意見や判断が交差することはないのですから、着地点(及第点)までいけないのです。
この袋小路から抜け出る方法を知ることは大切です.
それさえ理解できれば,少しずつ前に進むことができます.
同じ問題を同じところでつまづき、そして、つまづいても話が最適解に行き着くことなく、脱線話で時間が終わるので、進展しません。
ただここでも邪魔になるのは,彼らの満足度が高いことです.
彼らはその全く機能していない反省・改善システムに特に不満はないのです.
だって,そもそもシステムが欠陥していることを知らず、建設的な話し合いでそのシステムを好循環させる重要性に気づいていないのですから.
個人個人で働きたがるかれらが、「どのように集団の仕事を運営していくべきか」ということには頭が回らないのです.
個人個人で働いていた方が,仕事が進みやすいし,快適だと思っているのでしょう.
個人主義ですからね.
仕事に個人主義を持ちこまれると、ぼくはとても働きにくかったです
ぼくは青年海外協力隊員として,コロンビア人とかかわっていました.
そのため常に,「どうしたらさらに良くできるのだろう」と改善ばかりを考えていました.
これは,そういう意義でコロンビアに行っていたので,当然のことだと思います.
では,協力隊後にコロンビアで働きたいか と自問してみると,,,,
給料が日本に比べて安いこと以外は快適です.
ストレスフリーですからね.
国営放送でも,普通に放送中にキャスターがケータイいじってたりしますから
街中のお店を見てても,来客がなければ,椅子に座ってケータイいじってたり,パソコンでYouTube見てます.
それが許容される社会です.
普通です普通。
日本で、何も仕事がないレジのひとが、本当に何もせずに一点を見つめて直立しているのはとても奇妙に見えます。
銀行に20人くらいの列があって,窓口の奥に5人くらい社員がいるのにもかかわらず,窓口が6つのうち2つしか空いていなくても何も不満言いません.
1時間待たなくちゃいけないか って言って終わりです.その5人の社員が、奥で談笑していてもです.
なので,ネットを活用したビジネスで,日本の給料をコロンビアで稼ぐことができるならコロンビアで働いても良いかなと思います.
日本の給料で,コロンビアで生活できたらかなり裕福な生活できますよ.
アジア人だからといってたかられることもないですし.
ちょっと街中で「チーノ」って言われるくらいです.
コロンビアは良い国なので、さらなる発展が見込めます
コロンビアは社会が発展し,経済的にもほかの南米諸国に比べて高いレベルです.
しかし,会社や団体の組織としての強さというのがまだありません.
そのため,外資系企業がコロンビアに入ってきて,コロンビアの資源を国外に持っていきます.
コロンビア人はその現状を多国籍企業のせいにしていますが,根本的にはコロンビア政府の制度整備不足であったり,自分たちでの自助努力不足であるように見えます.
コロンビア人は温厚で家族や自分を大切にします.
そのため,その狭い世界のなかで満足しやすいのです(良いことでもあります).
その結果,個人と個人を結ぶ仕事や仕組みづくりを怠り,組織としての脆弱性に付け込まれます.
私的感情を仕事に持ち込むことも一つの問題なのかもしれませんね。
それでも,かれらはその現状に満足している.
それは彼らが世界で最も幸せな国の民であるからなのでしょう.
仕事のために生きる人生ではなく、愛のある人生のために仕事をしているのです。
総じて,幸せを感じることのできるときというのは,心に余裕があるときだと思います.
そのように考えると,それを文化的に無意識に理解しているコロンビア人は,我々日本人よりも幸せな世界で生きているのかもしれせんね.
そしてこれからの課題は,それらの集団作業や組織を強化していくことでしょう.
かれらは小さなことで満足しています。
ぼくのように冷めた人間にとっては、それはそれはなかなかおもしろい体験でした。
楽観的に、ひごろの楽しいことを面白く視ることができるのは習慣なのかなーと思って、最近もぼくはのほほんと生きてます。
COMMENTS & TRACKBACKS
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はじめまして!青年海外協力隊2019年度1次隊でコロンビアに派遣予定です!あまりコロンビアのこと書いている方いらっしゃらないのでかなり参考になります✨
まいかさん
こんにちは!
コロンビアの情報って少ないですよね。
参考にしていただけているようで、とても嬉しいです!それを目的にはしているものの、役に立っていることを伝えてきてくれたことはあまりなかったので
1次隊ですか
まだ半年近くありますね!
コロンビアは良い国ですから、楽しみにしていてください!
ぼくは最近ようやくコロンビアに関する情報を発信していきたい気持ちになってきたので、これからも見に来てくださいね。
この記事は感銘しました。
決して日本人の価値観で一方的に批評するのではなく、極力コロンビア人の価値観から彼らの考え方を考察し、そのうえで日本人の価値観と比較している。
公平な視点なのでとても参考になりますし、哲学的に考えるきっかけにもなります。
効率をだけを追求してきた日本人は彼らと比べて果たしてどれだけ幸せなのだろうか。
そしてこれは個人的な意見ですが、彼らに対する援助は効率を教えることではなく、どうすれば国際資本から身を守れるかを教えてあげることなんじゃないかなと考えました。
大村さん
ありがとうございます。
コロンビアの人たちはとても善い人たちです。
でも、家族や親族をとても大切にするがゆえに、そのコミュニティが最初で最後の太い絆になっているように思います。
それが悪いことでは決してないわけですが、「外」と向き合う方法を習得(教育)してほしいなぁと個人的に思います。
彼らの「無償の愛」の隙間に割って入って、すべて持って行ってしまう人は多くいますからね。
コロンビアはスペインからの略奪や植民地支配を経験していながらも、そこの対外的な対応が弱いのは結構意外ですが