あなたは恋人のことを「私の人生」と呼べますか?【コロンビアでの”愛”の呼び方】

あなたは恋人のことを「私の人生」と呼べますか?【コロンビアでの”愛”の呼び方】

人を幸せにしたことのない僕が、愛について考えてみる
「私さえ幸せにできないあなたが、途上国の人を幸せにできるの?」というおもしろい皮肉
あなたの全人生を捧げることで世界平和が達成されるなら、あなたは喜んで人生を捧げますか?

愛にはさまざまな形がある。

“われわれ”は、その形を人生のなかで見つける。
見つからないこともあるかもしれないし、たくさん見つかることもあるのかもしれない。

一般的には、見つけて失うことが多いのだろうか。

 

では、あなたは愛しているひとをふと呼ぶとき、何と呼びますか?

「おい!」?

「(名前)」?

「プリンセス」?

「おひめさま」?

「愛」?

それとも、
「私の人生」?

 

自分の人生を、ひとつの愛に捧げる

結婚というのは、愛を誓うこと。

ぼくは結婚したことがない。
だから、「愛を誓」ったことはない。

『愛を誓いますか?』

と、ベールを被った女性のまえで、問われたことはない。

恋愛や愛については多くの指南書がある一方で、昔から多くの(時に悲しい)格言が残されている。
ぼくが未婚の男性で、結婚や愛に満ちた生活に憧れているからだろうか、これらの「結婚に関する格言」に目を通していくと、婚約後の人生を嘆くものが多いことに気づく。

それらの嘆きを、未だぼくは自分のことのように受け止めたことはない。
そうに受け止められること自体を、ぼくは少なからず羨ましがっている気さえする。

コロンビア人は1人につき、いくつの人生があるのか?

さて、
人生について考えてみる。

コロンビアの公用語スペイン語では、人生をvidaビーダと言う。

英語のmyに当たる「私の」は、スペイン語で miミーと言うか。

そのため、私の人生、英語のmy lifeは、スペイン語ではmi vidaミー ビーダと言う。

われわれ日本人は、街中で“人生”について話すことは多くない。

しかし、コロンビアでは「私の人生」という言葉をよく聞く。
彼らは、日常的に「私の人生」をパブリックスペースでも叫ぶ。

「私の人生」は、彼女や奥さんのこと

コロンビアだけなのか、スペイン語圏全体の風習なのかはわからない。
しかし、コロンビアでは、「mi vida 私の人生」は男性が愛する人を呼ぶときに使う。
※皆が皆使うわけではない。陽気な男性が使う印象だ。

彼女が何か作業をしていて、注意を引くために呼びかけるとき
mi vida!!

不思議なものだ。

そう。
彼らは、人生をいくつか持っているのだ。

愛する人を「私の人生」と称する。

不思議と、私たちと彼らの愛情に対する考え方の違いを、違和感を通して学んでいく。

※「私の人生」と呼んでいるからといって、単純にそれだけが愛情が深い と見なすことはできないが、言語的な表現が違うということは、文化的な基盤(認識)が違うことを意味すると思うし、そういう文化的な基盤があるということは、考え方(思考の傾向)の違いがあるということだろう。

「私の人生」がリニューアルすることがある

人生というのは一度きりだ。

でも、コロンビア人の場合「人生」が何度かあることがある。

さながら、ハリーポッターのヴォルデモートが、自分の命をいくつかに分けたかのようだ。

コロンビアで日本人はモテるか?
この記事のなかで少し話したが、コロンビアではシングルマザーが多い。
それが悪いことなのかはわからない。

僕らの尺度で、彼らの人生や彼らの子どもの人生を評価することは良くないことなのかもしれない。

しかし、離婚をして、再婚するひとが多いことは事実だ。

一度しかない人生を幸せに生きていくための選択だ。
もちろん、再婚しないひともいる。
コロンビアにも、結婚しないひとももちろんいる。

それは、日本となんら変わりない。

でも、個人的におもしろかったのは、
「mi vida」をいくつか持ってる人がいることだ。

人生は終わることがない。

だから、vidaが終わることもないと思って話を聞いていると、よくバツイチだったりするのだ。

愛する人をmi vidaと呼ぶ人は、必ず前妻もそうに呼んでいたはずである。
キザな男だったりするからだ。

そのため、「mi vida」という単語が、愛情の深さを表していることを理解できる一方で、「この人、いったいこれまでにいくつ『mi vida』を持ってきたんだ?」と思ってしまうのだ。

彼らは愛を全力で捧げ、そして、切り替えができる人たちなのだろう。

これは皮肉でもない。

でも、個人的に
「私の人生」がいくつもある彼らの人生をとても興味深く感じている。

別の価値観に触れることは楽しいものだ。

 

おわりに:「お姫様」もよく耳にする

 

女性は、いつでもお姫様でありたい。

ディズニーの映画のようなお姫様に憧れる少女は多いのではないだろうか。

一方で、男性はというと、
彼女のことをお姫様として扱いたいと思うのだが、「お姫様として扱ってもらうことが当然であるかのように感じられても困る」し、お姫様であるうちはいいのだが、「わがままなお姫様」になると、それは途端にディズニー映画の悪女のような感じになる。

そのうち、怒鳴り散らされるのではないかな とバンビのように震えて過ごす羽目になる。

これは完全に冗談の話だったが、、、、、
コロンビアでは「princesa プリンセ-サ」、日本語で言うところのお姫様(プリンセス)と、男性が呼ぶときがある。

ぼくはこのプリンセ-サという響きが好きで、言ったことはないけれど、結構気に入っている。
それに、好きになった女性や愛している女性というのはプリンセ-サだと思っているので、なおのこと、心情的にも好きだ。

 

だから、コロンビアにはお姫様がたくさんいる。
私の人生もいるし、お姫様もいる。

男性が女性を呼ぶときは、「私の人生」か「お姫様」をよく耳にした。

一方で、
女性が男性を呼ぶ際は、「cariño あなた(本来の意味は、愛情)」と言うことがとても多い。

この「あなた」は、君の意味の貴方ではなく、愛情を込めたあなたである。

ロードオブザリングのスメアゴルが、指輪のことを「愛しい人、愛しい人」と呼んでいたが、あんな感じだ。笑
「cariño mío 私の愛しい人」

でも、これはどうやら親しい仲でも使うことがあるようで、ぼくも何度か別れの挨拶のときに「chao, cariño」と言われたことがある。
辞書に載っている意味だけが、その言葉の意味ではないということだ。

 

 

あなたは、人前でも「私の人生」とパートナーのことを呼べますか?


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Chaito

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