性事情、金銭問題、怠惰な姿を暴露した「青年海外協力隊の虚像」:2018年帰国の元隊員がアップデート【part.2】

性事情、金銭問題、怠惰な姿を暴露した「青年海外協力隊の虚像」:2018年帰国の元隊員がアップデート【part.2】

これら2つの記事を書いてから、すぐに読み終わりました、「青年海外協力隊の虚像」。
第3章以降は、話も激動な感じで読み物としてはおもしろかったです。

内容も、「たしかに周りでこんなことばっか起きてたら、疲れるなー」と共感できる部分が多くなりました。それが【協力隊の実情】とまでは決して言えませんが、30年前にこのような個別の実例があったとしてもぼくは驚きません。

30年前ってぼくは産まれていないですし、歴史の資料集や親世代の人たちから当時のことを学ぶしか情報を得る方法がないですからね。


「青年海外協力隊の虚像」筆者は2015年にこの本を加筆修正して、アップデートしたようですが、『内容は1990年前後の自身の経験からアップデートできるはずがないのに、どうして2015年に”まるで、2010年代後期でも通じる内容であるかのように”話すのだろう』と不思議に感じました。


その点の時代錯誤について、著者は、
「自身が暴露したこの本の情報を、JICAが必死に妨害している。JICA主導の出版物で存在自体を日の目が浴びないように小さくしようとしている」と考え、それに対する抵抗のようです。

本当にそういう意図がJICAにあるのかは知りません。が、そうに言われてみると近年JICAは青年海外協力隊にまつわる協力隊員OBOG本を(以前に比べて)多く出版している気がします。
一冊も読んだことありませんが、Amazonのほしい物リストには1度入れたことがあります。

そういうJICA主導の本から学べることは、JICAがどういう協力隊活動を善としているかがわかることでしょう。それに、この暴露本の筆者も最後の方で述べてますが、JICA主導で発行される本はJICAの検閲を受けてから発行されるはずなので、「生の情報か?」と問われるとそうではない気もします。

それに加え、『30年前の(嘘か本当かわからない、憎悪に満ちたフィルターを通して書かれた)事実で、いまの協力隊とは全く違う内容だけを扱っているこの「青年海外協力隊の虚像」は、JICAにとって邪魔で仕方ない』ことでしょう。

こればかりは、すべての本が同じですけどね!科学的に正しくない説明で紹介してる農業本は沢山ありますけど、それを否定するのは難しい(めんどくさい)ですし、それを盲信する人もすでにいるものです。


前振りがいつものように長くなってしまうのは良くないので、始めます。
突然始めるので、ぼくがこの本を読み始めた経緯や第2章までのツッコミは、上の2つの記事を参考にしてください。

この記事では、前回の続きから始めます。
だいたい第2章の後半からです。(この記事でも、第3章まで入れませんでした)

注意:「青年海外協力隊の虚像」を読みながら、気になった部分を箇条書きのメモで取り出しました。そのため、本のなかのストーリー的なつながりを覚えていないことが多く、箇条書きでメモした内容に対してツッコミを入れていきます。ストーリーと対話する形で情報を得たい方は、ぜひ「青年海外協力隊の虚像」をご一読ください!

専門家なのにスペイン語が出来ない。
大学教授も同様の理由で「木偶の坊」

この内容は、「語学ができなくて仕事もまったくできないのに、お金だけはたくさんもらっている」という文脈で語られていました。

著者は基本的に一側面だけ(自分と接した瞬間の出来事だけ)で、人を判断評価する傾向が強い。

木偶の坊かどうかは、別に語学ができるかどうかでは決まらない。
スペイン語が出来たとしても、愚痴ばっか言って仕事(活動)をしないのも木偶の坊だろう。

協力隊の場合、任地に行ったら仕事がないことがある。
それも、ぼくの周りの話を聞いてる限り、意外とそういう隊員は多いようだ。
だから、面食らう。隊員は「働こう」と意気込んでいるのに、現地では「お前は誰だ?」と扱われる。
そういう難しさがあることは事実だろう。


なかには、2年間現地で過ごしているのに、最後まで語学が大幅に上達しない人もいる。
それは人にもよるし、シニアボランティアの方はよく年齢的に新しい語学を学ぶことが難しいと言ったりもする。

ぼくがコロンビアのブカラマンガに住んでいた頃、同じ街にシニアボランティアの方がいて、ときどきお邪魔して話したり、日本食を振舞ってもらった。やはり、日本人と語学的なストレスがなく話せるのはとても心地良かった。コロンビア同僚から「日本人とばかり話してるとスペイン語忘れるから、スペイン語で会話するようにすれば?」とアドバイスをいただいたが、その時間はストレスフリーの『至福のとき』だったので、わざわざ語学勉強はしなかった。

語学はできるに越しことはない。
でも、「中南米だからスペイン語で」という決まりがあるわけではない。
自分が英語がとても得意で、現地の身近な所に英語ができる人がいるのであれば、別に技術移転は英語で行えばいい。スペイン語に固執する必要はない。
語学はツールに過ぎない。
できるに越したことはないが、現地で協力するためには、スペイン語だろうと英語だろうと手段は問われない。

ぼく個人としては、専門家で現地語ができないなら、通訳を雇えばいいし、現地の隊員と協力して隊員に通訳をさせてもいいと思う。専門家ほどの知識があれば、それを生かす手段は問うべきではない。

なんでも木偶の坊に見えてしまうのは、「木偶の坊になーれ」と自分の目に魔法のフィルターをかけているからだと思う。だいたい、自分が得意ではない人や好きではない人からも学べることはたくさんあるのだから、わざわざ自分で木偶の坊フィルターを付ける必要はない。

みんな金の亡者で働かないことが木偶の坊なのだとしたら、筆者は何の坊になるのだろう?

隊員とは「絶対に自腹を切らないひと」たち

コロンビアのモチーラ(元々インディアンの人が作って使っていた)

お金は税金から支給される。でも、貯金するために使わない。なんなら、貯金するために2年間ないし、3年間派遣されたい人が筆者の周りにはたくさんいた らしい。

お金が結果的に溜まることはあっても、お金を貯めるために協力隊に参加する人ってどのくらいいるのでしょうか?もしかしたらいるのかもしれませんが、帰国後にあった隊員と「いくら貯まった?」なんていうアホみたいな会話になることはないですし、ぼくの周りには幸いにも「どういう国だった?活動は?どう過ごしていたの?」と、経験を共有したい隊員がばかりです。そういう人しかいません。

ただ、任地に行って、「日本人なのにケチってしまう」ことはよくありました。タクシーで日本円換算で50円分ふっかけられたり、お土産品ひとつ100円で“日本人の感覚”的には安いものを現地感覚的にさらに割引きをお願いしてしまう。

こういう話をすると、「ケチだなぁ」と思われるかもしれませんが、協力隊員は2〜3週間の観光客ではありません。だから、「今日は特別な日だから散財しよう!」とは思えないのです。それに、そこに住んでいると、相場や現地通貨が持つ現地におけるお金の価値を肌で感覚的に理解できます。

日本の生活で、自販機で飲み物を買わずに20円安いスーパーまで我慢したり、観光地で何店舗か回ってお土産品が安いお店を見つけてそこで買う。同じことです。

ですから、ケチ気味になるかもしれません。ぼくはコロンビア人並みの頻度でポンポンお金を使ってた(帰りにハンバーガーを食べに行くとか、休日友人とビールを飲みに行くとか)ので、ケチではなかったです。お金にルーズで心配されることはありましたが、お金をきちんと自身の経験に還元できたと思っています。

日本国内で1万円持ってても、コロンビアを旅行することは物理的に不可能です。ですから、コロンビア(任地)にいる間にコロンビア(任地)のことを知るために、その1万円を少しずつ使い、また、そのために現地感覚でお金を節約する。有効なお金の利用方法だと思います。

仕事がなく、カジノや売春宿通い

いま、こんな隊員いないでしょう。風の噂でも、ぼくは一度も聞いたこともありません。

仕事がない人はいるかもしれませんが、カジノや売春宿に通うひとはいないです。生活保護費を受給しておいて、パチンコやってるみたいなもんですからね!

本を読んでいると、「筆者のまわりの登場人物の腐り具合がすごいな!!!こんなことばかりが起こっていたら、そりゃぁ不信感も出るよなー」と強く同情できます。

簡単に任期延長

JICA関係者がファーストクラスで世界は飛び回っていた時代ですから、金銭的な制限はなかったのでしょう。

ちょうどぼくらの隊次(2016年7月派遣)が派遣されている間に、「基本的に任期延長は認めません」という方針になったようです。金銭的に経費が圧迫され、延長を許可できなくなったのでしょう。

それに、任期延長というのは、「本来2年間で終わるべき活動を延長する」ということで、その追加的な延長にはそれ相応の成果が求められます。例えば2ヶ月間延長したとしたら、2ヶ月延長するのに必要な金銭的事務的負担を上回る客観的な成果が必要になるわけです。

でも、きっと任期延長はほとんど認められないようになっているはずですので、そもそもエピソードとしても参考にならなくなりました。昔、記事を書いたんですけどね!笑

なぜか「全く仕事していない」状態で、ストーリーが進む不自然性

自分は信号を守らないのに、「信号を守らない人ばかりで、情けない」と言うひとがいる。
自分は真面目ではないのに、「あの人は真面目ではないから、頼りにならない」と感じるひとがいる。
自分は人のせいにするのに、「あの人は人に頼ってばかりで、他力本願だ」と嘆くひとがいる。


自分は活動をしていないのに、「青年海外協力隊の隊員は遊んでばかりで、仕事をしていない」と暴露する著者がいる。


仕事はないこともある。
仕事をつくること、自分の居場所を自分で創ることは協力隊に参加する上で前提におくべきことのひとつだろう。日本では仕事がなければ、自分で考えて仕事をするのに、協力隊員になるとお客様気分で自分で活動をしないのは、環境に依存されすぎだろう。ないものはないのだから、ないなら創るしかない。


送別会が協力隊の主な活動なわけがない

農村に行ったら、コーヒーやチーズを出してくれるので、大人と活動する前に、その時間で子供と遊ぶようにしていた

協力隊について、全く内情がわからない人がこの本を読んだ際に誤解して欲しくないので、いちいち突っ込むが、
どれだけ仕事がないからと言って、送別会が協力隊の主な仕事になることはあり得ない。

JICA事務所は任国の首都にあり、国際空港も首都近郊にあることが一般的なので、首都で活動にいる隊員は送別会やウェルカムパーティーに参加する回数が増えることはたしかにあるだろう。


でも、そもそも1年に最大4回しか隊員はやってこないし、最大4回しか隊員は帰らない。
派遣されるタイミングと帰国するタイミングは決まっているからだ。

だから、どんなに集まりが連発であったとしても8回。
1年間というのは協力隊の場合も365日なので、365日中の8日間をそういう行事に費やしたところで、支障はない。


むしろ、そういう会が問題なのではない(そもそも、そんなに集まらないと思うけど。。。。)


いい年した大人が、「現地の人のために」と意気込んで派遣される国でまで、日本人のコミュニティであたふたしているのはなんとなく不思議で仕方ない。『クロスロード』というJICAの映画を観ていただければ、この不思議さがわかる(映画内で、日本人隊員同士のいざこざがサブストーリー的にたくさん紹介されているのだ)。
現地にいる日本人との人間関係で悩む暇があるのなら、現地の人と時間を過ごせばいいのに と思う。


これは、コロンビアの場合、ジュニアボランティアは現地コロンビア人の家にホームステイだった。
帰国後、他の国の同期隊員の話を聞く機会があったが、派遣される国によっては日本人隊員同士でシェアハウス的な生活を余儀なくされることもあるようだ。
そういう国では、自分の身近に(本来は本質的に比較できないはずの)隊員がいるので、比較してしまうかもしれない。同じ職場や同じ人脈で仕事してるわけではないのだから、活動の進捗具合や結果は参考にならない。


いい大人なんだから、他人との距離感は自分で決めるべきだろう。
そういうことでいちいち気持ちを揺さぶられていては勿体無い。日本人との人間関係で悩みたいなら、日本で好きなだけ悩めばいいだろう。

帰国途中にアメリカ旅行をする他の隊員を、みんなで嘘をついて隠す

もうね、自分で書き始めていて、アレだけど、
時代が違いすぎて、全く想像もつかない。

間違い探しをしているはずなのに、90%くらいの部分が間違っているから、むしろ「同じ部分探し」をしたほうがいいくらい、この本と現在(2018年帰国の僕の情報に基づく)の青年海外協力隊は違う。

今は、どこかを旅行しながら帰ることは不可能だ。
なぜなら、JICAが帰国チケットを手配してくれるから。


任期延長の隊員は「神様」と呼ばれる

今は任期延長はほとんど許可されない。

そもそも、そんな神様は全く役に立たない。
こういう神様のことこそ木偶の坊と呼ぶのが最適なのではなかろうか。

今、「神様」という言葉が協力隊内で特別な意味を持つことはないし、聞いたこともない。

隊員共用車があった

本の内容によれば、以前ホンジュラスでは隊員が共用で使うことのできるJICAの車があって、その車を運転していた隊員が不慮の事故で亡くなってしまったそうだ。そして、命日にはその事故現場に足を運ぶ。いかなる理由でも、人が亡くなるのは悲しいことだ。

今は共用車というシステムは存在しないのではないだろうか?
コロンビアでは、車はもちろん、バイクも自転車も乗ることが禁止されていた。足だけがあるのだが、本当に足がないのだ。
まぁ、コロンビアは「危険な国」ですからね。笑


さて、共用車の存在どうこう以前に、共用車の事故に関する著者の想いが気に食わない。
名誉の殉職かどうか、その理由は何れにせよ、亡くなった方を偲ぶのは当たり前の感情だと思っているのだが、この著者は屍体蹴りをしていて、その話の部分は流石に不快だった。

途上国とは時間がただの国

たしか、「何をやるのも遅いし、レジも全然進まないし、無駄が多すぎる。ホンジュラスのひとはやることないからいいのだろうけど、私の時間は貴重なのよ」みたいな愚痴の中の文章だったと思う。

たしかにレジ打ちの時に話していたり、やるべきことに集中しない分、進行が遅くなることはよくあるし、コロンビアでもよくあった。

日本人的な視点に立てば、明らかに「効率的ではない」し、無駄が多い。


でも、僕はそもそも
日本のように効率化されている社会(もしくは、効率化しようとしている社会)を目指すべきだ
という意見ではない。

別に、効率的ではなくてもいいと思う。
レジで現地の人がちんたらゆっくり働いているなら、その現地のスピードに慣れればいいではないだろうか?

作業着を干していると、ニワトリが服の上で休み始める


人は、生きるために仕事しているのであって、
たくさん仕事をするために生きているわけではない。

日本のようにひとりで10個の仕事ができることが良しとされてもいいが、
途上国のようにひとりが1個の仕事しかしないからこそ、10人の人が仕事にありつけることも大切だと思う。



例えば
日本は1人で10人分働く。
10人いれば、100人分の仕事をこなすことができる。
言い換えれば、100人働くことができるのに、10人しか働くことができないのだ。

これが効率化だろう。
個人が色々なスキルを持っているからこそ、何人分の仕事もこなせてしまう。100人分の仕事を10人に配分するのだから、給料もその分高くなる。



でも、
コロンビアでは1人がきちんと1人分しか働かない。
日本人からしてみれば、もちろん働いていないように映る。「どうして、自分のことしかしないの?どうして、他のひとの仕事を見てあげないの?」と思う。
10人いれば、10人分の仕事しかこなせない。
つまり、100人分の仕事があれば、そこで100人分の仕事を創出することができるのだ。(だから、給料も安くなる)


だから、彼らは言う。
「人間は仕事をするために生きているわけではない。生きるために仕事しているの。だから、そんなに一所懸命に働く必要はないよ。」

ぼくは、日本で働く前にこの価値観と出会えてよかったと思ってる。

おしまい:まだ3章に到達していなかった。なかなかサクサク進まないね!!笑 

ツッコミをいれていくと、なかなか前に進まない!

それに、3章に入ろうと思ったのに、結局真面目にツッコミを入れてしまって、長くなってしまった。

急いで進むこともできるけど、しっかりツッコミを入れていくことのほうが大切だと思うので、このくらいの感じで、何回にも分けてツッコミを入れていきたい。


次回もまたよろしくお願いします。

「青年海外協力隊の虚像」、読み物としては読めるから、ぜひ読んでみてくださいね!


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Chaito

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