日本社会のストレスは、外的な環境から受けるもの

日本社会のストレスは、外的な環境から受けるもの

おひさしぶりです。
数カ月ぶりに更新します。

プライベートな時間が削れていく中でジムに行ったり、早くに寝ていたので、ブログに記事を書く時間が上手にとれませんでした。
なんとかプライベートな時間を確保したいものですね!

気づいたら、社会人歴も1年が経っていました。

あっという間に、時間が過ぎていきます。

でも、まだ28歳の誕生日を迎えていないからでしょうか。
あまり、時の流れを感じません。
たしかに、季節がうつろっていることを肌身をもって実感していますが、年を重ねると言うよりかは、1年のなかをぐるぐる回っているような感じを受けます。

24歳で大学院生だった頃の自分と、
協力隊を2年経て、社会人を1年経た今の自分の根幹にあるものが変わっていないからかもしれません。

いいことでも、わるいことでもない。普通のことです!

自分の生命エネルギーを消耗しながら、無理して前に進むことには限界がある

知らぬうちに、自分が頑張りすぎていて、生命エネルギーをすり減らしているときがあります。
それを回復させるために、ジムで運動して発散したり、早くに寝たりする。

いま身を置いている環境には、同世代の友だちはおろか、「友だち」がひとりもいません。
だから、同世代だからこそできる話やしょうもない話、雑談はほとんどありません。
この現状を冷静に考えると、結構さみしい気持ちになったりします。笑
福島県に来て、友人と居酒屋に行ったことはないし、どこかに出かけたことさえありません。

友人がいないので当然だけど。笑


まえ、記事に書いたことがあったが、
協力隊でコロンビアにいたおかげで自分の内に向いたストレスに対しては耐性を鍛えることをができた。
スペイン語を話し、”わけのわからない”文化を持つ異世界人とすべてをともにし、2年間生活したら、「自分が持つ内的な感情やストレスはコントロールできる」ようになりました。

思いもよらない出来事や理不尽との遭遇ばかりですから。


でも、日本社会で働いていると、自分の感情を自分でコントロールできる内的なストレス耐性よりも、
まわりのひとや自分の立場だからこそ受ける いわれのない外的なストレスが非常に多いことに気づきました。


自分のことだけを気にしていればよかった コロンビア時代と
全体のベネフィットを高めるために自己犠牲を払う必要のある 日本ではストレスの種類がちがう。

これは結構おもしろい。

自己犠牲の精神はめんどくさい

うまく回っていない部分に気付くと、それを回そうと助けに回る。
1つのことなら貢献感に浸ることができるのだが、いくつも助けに回ると自分が疲弊してしまう。

なかには、休みなく助けに回れる人もいるし、助けに回るためには自分を犠牲にできるひともいる。
なかなかむずかしいことだ。

没頭すると、自分がなにをしたいのか見失いがちになるね

ぼくはボランティア精神でいろいろ回してしまう傾向があるので、その反動で「なにやってるのだろう」と思ってしまうことが最近増えた。
なにかに乗り込むように没頭すると、それ以外のことを考える余裕がなくなるみたいだ。
時間的にもエネルギー的にも。

こういう精神的な変化は興味深い。
ぼくはこれまで大学生のころに、
1日8時間の草刈りを夏休み中ずっとバイトでしていたり、
西表島にサトウキビ刈りに行き、延々と3週間キビ刈りをしたり、
コロンビアの地で日本人1人で活動していたから、
自分の内面と向き合ったり、ずっと考え事をしながら手を動かしたり、自分と向き合うことには慣れている

でも、日本社会で働くというのは、自分の内側ばかりをコントロールしていても仕方ないことを知った。
外からストレスを受けるからだ。


そういうとき、外的なストレスをいなしながら、自分の成長に結びつけようと内面をコントロールするのだが、どうやらぼくにはまだそのコントロール能力がないらしい。
もう少し考え方を変えたり、外的なストレスを内面に向けるベクトルの角度(捉え方)を変えれば、うまくいくのかもしれない。




スムージーを始めたり、ライフスタイルを変えて適応していきたいなと思います。


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Chaito

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